第23話 ~それぞれの進化~

 両手で筆を持つ花那太は接近戦に持ち込まれる前に手早く空中に画を描き始めた。すると忽ち筆は大きな岩を描き出し、それは完成するとともに優美を狙って玉座の間をゴロゴロと転がり始める。


「舐められたものね」


 優美は呟きながら易々と岩を回避すると、先ほどの波で手放してしまっていた大鎌を拾い上げ、その勢いのまま花那太目指して走り出す。対する花那太も既に空中に筆を走らせており、今度は大きな渦巻きを描き出した。そして完成した渦巻の中心に筆を刺し入れると、それを優美に向かって投げつけた。しかし渦巻は優美に届くよりも前にレッドカーペットへ落下し、床に貼り付いた。


「何のつもりですか?」


 床に貼り付けられた渦巻の絵を一瞥し、優美がその横を抜けようとしたその時、渦がグルグルと回り始めた。その緩慢な流れを視界の端に捉えた優美は心の中で嘲笑いながら渦巻から離れようとしたのだが、次の瞬間、左足がグッと床に沈み込んだ。


「……っ!」


 少しだけ触れていた左足が見事渦に絡め取られたのであった。優美はすぐにそれから逃れようと努力したのだが、その遺志に反して彼女の身体はどんどん渦の中心に引き込まれていった。このままでは完全に身動きが取れなくなる。そうなる前にどうにかしなければと考えた結果、優美は鎌を振り上げ、そして渦が描かれている床ごと破壊してしまおうと鎌を振るおうとした。しかしそれが行動に移されるよりも前に、突然渦巻が消えた。

 ――また何か仕掛けて来る。危険を察知した優美が顔を上げると、今度は頭上に巨大な丸太が落下して来ていた。優美は振り下ろそうとしていた得物を一瞬で下段に構え直すと、倒れて来る丸太に狙いを定め、真っ二つに切断した。すると目前まで迫っていたはずの丸太は丸々一本露と消え、玉座の間には静寂が訪れた。


「……もう終わりですか?」

「そう言う割に息は上がってるみたいだね」


 花那太は手短に言葉を返すと、再び筆を持ち上げる。


「不思議な筆ですね。それ。一体どういう仕組みなのでしょうか」


 すでに武器を構えている花那太に対し、優美は余裕そうに、武器を下ろしてそう問いかけた。


「手の内を明かすわけがないだろ」


 敵の動向が気になったが、ここで口車に乗ってしまってはそれこそ相手の思う壺だと考えた花那太は優美の言動を無視して筆を走らせようとするのだが、またしても優美の声がそれを阻害する。


「いえいえ、聞き出そうというつもりなど毛頭ありません。ただただ、私は感動しているのです。隷属的に絵を描くだけだった貴方が、今こうして私と一対一で戦っているのですから」


 隷属的という言葉は花那太の心を掻き乱した。しかしそれも事実だと花那太は甘んじて飲み込み、優美の動きに目を凝らし、声に耳を澄ませた。


「花那太さん。もう一度私とやり直しませんか。真の創造の力を開花させた貴方とならば、私はアヴォクラウズを、いえ、この世界全てを手に入れることができると思っております。いかがでしょうか?」

「君の人形に戻るつもりはない」

「ご安心ください。確かに始めは貴方の細胞を採取してミミックにクローン人形を作ってもらう予定でしたが、今は違います。唯一無二の貴方が欲しいのです。やはり貴方にはオリジナルでいて欲しいのです。それに今私と手を取り合うと言ってくだされば、今度こそ、私が貴方の人形になって差し上げますよ」

「……いらない。僕にはもう、人形なんていらない」

「でしたら、パートナーというのはいかがでしょう。以前よりも対等な関係で、互いの力を互いの為に使うのです。互いに尽くし合うのです。どうですか。素晴らしいと思いませんか?」

「……悪いけど、この力を君の為に使うつもりは無いし、世界を壊す為に使うつもりも無い。これは僕を信じてくれる人たちの為に。そして、この世界の平和を創造する為に使うんだ」

「そう、ですか……。交渉決裂ということですね。分かりました。ならばもう、二つに一つ。手を取り合えないのならば、厄介な力を持つ貴方は必要ない。ここで排除させていただきます」


 ほんの僅かだが、優美が悲しそうな表情を浮かべたような気がした花那太だが、彼はその不確かな情に絆されることなく、筆を走らせた。


「ふふっ。好きなだけ描くといいわ……」


 大鎌を静かに構えると、優美はゆっくりと歩き出す。花那太はそのあまりにも悠然とした姿を見て一瞬疑念を抱き、筆を止めるべきかと考えたが、結局構わずに雷雲の画を描き終えた。

 筆から放たれた雷雲は玉座の間の天井スレスレまで浮かび上がり、そして優美の頭上に向かってゆるりと流れ始める。優美はそれを見上げると、慌てて回避に専念するわけでも、花那太に襲い掛かるわけでも無く、じっくりと画を観察し始めた。

 何をするつもりだ……。花那太は次の画に取り掛かろうとしながらも、全く動こうとしない優美を気にして一度筆を止めた。するとそのタイミングで自分の放った雷雲が優美に雷を降らし始めた。彼女はそれを完璧に見切り、雷を回避しながら挑発的な視線を花那太に浴びせる。

 この程度の攻撃じゃいつでも奇襲を掛けられるってことか? 優美の動向をそう受け取った花那太は雷雲の状態を目端に捉えながら、次なる画を描き始める。

 なるべく早く描けて時間が稼げそうなものを描こうと決めた花那太は竜巻を描いた。そして最後の一筆を離す前に優美の様子を伺うと、彼女は尚も雷雲の攻撃を回避していた。それを確認して今なら間隙無く攻撃を仕込めると考えた花那太は竜巻の画から筆を離した。すると画は忽ち具現化し、鋭い風の刃を唸らせながら優美目掛けて直進を始め、そしてそれと同時に雷雲が消えた。

 竜巻は想像以上の速度で優美に迫ったが、優美もそれを多少は予期していたらしく、彼女は既に視線を竜巻に向けており、今度は距離を取ることで花那太の攻撃を回避した。そして両手で鎌を持つと、その場でくるりと一回転して勢いをつけると、竜巻を狙って思い切り鎌を振り切った。

 ――強化の力を得た大鎌は竜巻と衝突したかと思うと、あっという間にそれを断ち切った。すると形が崩れた竜巻は一瞬にしてその場から消滅し、鎌を振り抜いた優美は花那太の方を見て冷ややかな笑みを浮かべた。


「思った通りですね」


 攻撃を退けた優美は勝ち誇ったように言った。


「開花したその力。とても強力なのは認めます。しかしまだコントロールし切れていないようですね」

「……何を根拠に」

「画の数、質、時間。全てが私に教えてくれましたよ?」


 図星を突かれた花那太は何も言い返すことが出来なかった。せめて悟られないようにと冷静な調子を表に浮かべて見せるが、優美はそれを見て嘲笑した。


「ふふっ。素直ですね。先ほどもその素直さで、私の申し出を受け入れてくれれば良かったのですが」


 優美はそう言うと、再び不敵な笑みを浮かべて見せた。


「確かにこの力は完成していない。けど、その事実が君に勝てないということに直結するとも限らないだろ」

「そうでしょうか?」

「なに?」

「強くなったのが自分だけだと思うのは驕りですよ?」


 そう言うや否や優美は両手で鎌を持ち、そしてそれを振り上げた。しかし花那太と優美とでは立ち位置的に数十メートルも離れており、今のままではあきらかに攻撃が届くわけがない。それでも花那太は敵が何かを狙っているかもしれないと危険回避能力を発揮し、念のために筆を構えて防御を固めた次の瞬間。優美が大鎌を振るった。

 ――するとどうしたことか、その場で空を切ると思われた大鎌の刃が、ぐんぐんと花那太目掛けて伸び始めたのであった。そして瞬く間に歪曲した刃が花那太の目前まで迫って来ると、それは構えていた筆に直撃した。


「うあっ!」


 少し気を緩めていた花那太は思っていた以上の衝撃を受け、玉座の間のドアまで吹っ飛んだ。しかし幸いにもダメージは小さく、花那太はすぐに立ち上がって前方に目をやった。すると先ほど花那太を襲った刃はどんどんと遠ざかっていき、そして間もなく優美の手元で元の長さの大鎌に戻った。


「い、今のは何だ……? 鎌の柄が伸びていたように見えたけど……」


 動揺の余り花那太が独り言を漏らしていると、優美は大鎌の刃を天井に、向けて杖代わりに立ち、トントンと柄の部分で床を叩いた。


「貴方と同じです。私も、自分の真の力に気付いたのですよ」


 優美がそう言った直後、再び大鎌の柄がぐんぐん伸び始めた。それはまるで如意棒のように、彼女の意思で伸び続け、そしてついには天井に達した。


「ふふっ。どうですか。面白いでしょう?」


 花那太が呆気に取られて反応せずにいると、それに追撃を仕掛けるかのように、今度は天井まで真っ直ぐに伸びていた柄がぐにゃぐにゃと歪み始めた。


「私は自分の力を、武具の力を高める。という単純な強化の力としか認識していなかったのですが、それは間違っていたのです。本当は、こうして自由自在に武具を変質させる力だったのです」


 優美は恍惚と自らの力を讃美すると、天井までぐにゃぐにゃと伸びていた鎌を元のサイズに戻し、そしてまたすぐに鎌の形態を変質させ、遠距離から花那太に攻撃を仕掛ける。

 ――鎌はあっという間に花那太の目前に迫り、無防備な花那太の首を刈り取ろうとした。しかしギリギリのところで筆を構え、何とか奇襲を回避した花那太は速筆で細かく空中に何かを描いた。


「今更何をしても変わりませんよ」


 そう言いながら大鎌の柄を巧みに操り、まるで鎖鎌や鞭を扱っているかのように何度も何度も刃を花那太に浴びせる。それに対して花那太はガードを固めることしか出来ず、このまま押し切られてしまうのかと思われたその時、優美の足に痛みが走り、攻撃の手が緩んだ。


「いたっ。なに……?」


 足元に視線を落とすと、そこには数匹のネズミがおり、そのうちの二匹が優美の足に噛みついていたのであった。


「さっき君がヒントをくれたんだ」


 ネズミに翻弄されている優美を見ながら呟くと、花那太は次の画に取り掛かる。

 ――そして続けざまに手早く猫を描き上げると、花那太は早速それを放った。すると先に描いたネズミは消えるはずだったのだが、今度は何故かネズミも消えず、猫も同時に優美へ襲い掛かった。


「二つの画を……?」


 ネズミを文字通り蹴散らした優美は次に向かい来る猫を見て呟くと、両手で鎌を操って自分のもとに辿り着くよりも前に猫を薙ぎ払った。


「この短時間で修正して来るとは……」

「行けるぞ、この感覚……!」


 互いに敵の進化を実感しつつ、互いに己の全てを出し尽くした二人は、いよいよ隠し玉無しの最終決戦に向けて自らの得物を構え直した。

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