第10話 ~目覚める影~
リーアは気を失っており、十字架に縛られたまま項垂れていた。そしてその十字架の足元には、木々が山積みにされており、今すぐにでも火あぶりが始まりそうであった。
「木が少ない。もっと、集めよう」
「分かった」
「了解した」
集落の人々は、男は木々を運び、女はたくさんのご馳走を用意して、夜の宴。と言う名の断罪に備えていた。
「ヤバいっすヤバいっす……。初汰とクロさんはどこいったんすか……。とりあえず獅子民っちにだけでも……」
民家の陰に隠れていたスフィーは、広場に集まる人々の目を盗み、獅子民のもとに向かった。
……この数十分前。丁度初汰が宮殿に足を踏み入れた時だった。
「はぁ、まったく。みんな何処に行ったのかしら……」
リーアは周りを見渡しながら、集落の中をゆっくりと進んでいた。
広場には多くの住民が集まっており、何をするわけでもなく、会話をしたり、物々交換をしたりと、自由な時間を過ごしていた。
「のどかな場所……。あ、早く情報を集めて帰らないと、獅子民さんが退屈してしまうわ」
リーアは少し歩を速め、集落の群衆を抜けていく。
広場の群がりを抜けると、店通りに出た。そこにも住民がちらほらおり、広場ほどではないが話し声が聞こえてくる。
「聞いた? 宮殿に侵入者が出たそうよ」
「イヤだわ。司教様に逆らうのかしら?」
「さぁね。それよりこれ見てよ……」
リーアの近くで会話をしていた女性たちは、このような話をして去っていった。
「宮殿……それに侵入者って……。まさかね」
リーアは苦笑いをして、再び店通りを歩き始めた。
「クーバー様、実在すると思うか……?」
「それは……実在するだろ。いなきゃ俺たちは何を……」
「だよな……。きっとこの森のどこかにいるよな……」
リーアとすれ違った集落の若者は、クーバーへの不安を漏らしていた。
「この集落の人々の中にも、少なからず疑問に思っている人はいるのね……」
リーアは誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「ちょいとそこのお姉さん、見かけない顔だね~」
「え、あ、はい? 私でしょうか?」
リーアが考え事をしていると、その横を通り過ぎようとしていた男が話しかけてきた。その男は口先がとがり、その先端から細長いひげを見せていた。見た感じは鼠のような顔立ちであった。
「そうでやすよ。こんな別嬪さんは見たことが無い! どうですか? お困りなら何か手伝いやすよ?」
「あら、そのように見えていたかしら?」
「へぇ、美人の困り顔は良く見ていますから」
「それならお言葉に甘えようかしら。ふふ」
リーアは土地勘のありそうな、鼠面の男に付いて行った。男は店通りを抜けて民家通りに入った。それこそ宮殿が見えてしまうのではないかと言うほどの距離まで近づいて行き、その一歩手前にある家に入った。そこがその男の家だと言う。
「いかした家でやんしょ?」
「えぇ、よく手入れされていますね」
「こう見えて綺麗好きなんす。あ、好きなとこ座っていてくだせぇ」
民家はすべて二階建てで、リーアはその一階に案内され、ソファや木椅子、木の机が並べられたリビングのような場所に連れてこられた。
「申し遅れやした。あっし、グライと申しやす」
グライと名乗った男は、へこへこと頭を下げながら飲料を持ってきた。
「ありがとうございます。私はリーアと申します」
リーアは丁寧に頭を下げながらそう言い、木の椅子に座った。
挨拶を終えると、男はティーカップに入った水を出した。
「すいやせんね。今は水しか出せないもんで」
「いえ、気になさらないでください」
そう言うとリーアは、出されたティーカップを持ち、注がれた水を一口飲んだ。
「美味しくないでやんしょ? ただの水ですからねぇ」
「ふふ、えぇ、ただの水だわ」
グライは気さくにそう言いながら、リーアの前にあるテーブルを隔てたソファに座った。
「それで、なぜ私に声をかけたのですか?」
「そりゃ、少し協力してほしいことがありやしてね……」
「なるほど。困っていたのはあなただったのね?」
「へへへ、そんなところでやす」
グライは後頭部に手を当てて、頬を少し赤らめた。
「それで何を手伝えばいいの?」
「それはですね……。囮ですよ」
「おと……り……?」
突如として眠気がリーアを襲う。それによってリーアは木椅子から落ち、木の床に倒れこんだ。
「だま……したの……?」
「そんなそんな。協力ですよ」
その言葉を最後に、リーアは眠りについた。
…………。数十分後、リーアは磔の状態で目覚める。
「まだ木が足りない。もっと集めよう」
「まだ足りないか?」
「十分じゃないか?」
「はぁ、お願いしやすよ」
「……。今回だけだ」
リーアは木で出来た十字架に縛り付けられ、地面より少し高い場所で身動きが取れずにいた。そしてその足元には、リーアを騙したグライがいた。
「う、ううん。ここは……」
「おっと、目覚めやしたね」
「あなたは……。早く私を下ろしなさい!」
「しーっ。騒いだら人が来ちゃうでやすよ」
「はぁ!? 何を言ってるの? あなたが私をここに連れてきたんでしょ!?」
リーアは珍しく声を荒げた。それはグライに噛みつくような勢いであった。
「しーっ、しーっ! 静かに! あっしもまだ死にたくないんでやすよ」
グライは口先に人差し指を当て、リーアを宥める。リーアはそれに従って口を噤んだが、それは不機嫌に尖らせていた。
「あなたが裏切っていないというのなら、この状況からどうやって逃げ出すのかしら?」
「そ、それは……。ちゃんと案があるでやすよ……」
「……。本当よね?」
「あ、当たり前でやす」
グライは立ち直り、集落の入り口方面に向き直った。それとほぼ同時に、集落の入り口には数人の影が映った。それは木を集めに行っていた男集団であった。
「木、持ってきたぞ」
「これで十分か?」
「あ、あぁ~。そうでやすね」
グライは焦りながらそう言うと、リーアにアイコンタクトを送った。それは目を瞑って首を横に傾げるといった行動であった。リーアはそれを見ると、小さなため息をつき目を瞑って気絶したフリをした。
「こいつ、まだ目覚めないか?」
「まだまだ! 全然でやすよ!」
「そうか、これでは儀式が始められない」
「まぁまぁ、そんな焦らなくても。夜の宴と一緒にやるのはどうでやすか?」
「宴と同時にか……。それもありだな」
「長に聞いてみよう」
男集団は結論が出たらしく、長に話をするために再び姿を消した。
「ちょっと、目覚めてたらどうなってたのかしら?」
「え、そりゃ……。でも結果オーライってことで」
グライは苦笑いをしながら頭を何度か下げた。リーアはそれに不安しか感ぜず、大きなため息とともに項垂れた。
…………。リーアとグライが儀式の時間を誤魔化しているころ、スフィーは獅子民のもとに一目散に向かっていた。
「ししたみさーん!」
「ん……? スフィーの声か?」
獅子民は退屈から少しうたた寝をしていたようで、顔を横にブンブンと振り、たてがみをなびかせた。
「獅子民さん! 大変だよ!」
「どうしたんだ、スフィー?」
「それがさ、リーアが捕まっちゃって!」
「リーアが!?」
「そうなの。でも初汰もクロさんも見当たらなくてさ……」
「なるほど、それで私しか頼る当てが無かったと」
「そうなの! どうしよっか……」
スフィーは焦りを精一杯隠しているつもりであったが、その様子は顔に出ており、獅子民にもその緊張と焦りは伝わった。
「分かったから、落ち着け。とりあえずは集落の様子を伺おう。今にも儀式が始まるなら私と君で止めねばならん」
「……りょーかい。あたし見てくるよ」
「あまり近づきすぎるなよ」
「大丈夫。この耳があるからね!」
スフィーは自慢の白く長い耳をぱたつかせ、集落の方へ戻っていった。
…………。数分後、スフィーは足早に戻ってきた。
「どうだ?」
「見た感じ、儀式はまだやらないみたい。でも準備は万端って感じ」
「なるほど。ほかには?」
「料理がいっぱい並んでて、『宴と一緒に儀式をやる』みたいな会話をしてたよ」
「うぬ、承知した。それならばもう少し待とう。もしかしたらこの騒ぎで初汰やクローキンス殿もここに戻って来るやもしれん」
「りょーかい。あたしは集落の様子を見てくるよ」
スフィーは静かに立ち上がり、再び集落に向かおうと歩き出す。するとそこに、
「お前ら、何をこそこそしている」
獅子民の背後から一人の男の声が聞こえる。
「なんだ。集落に入れんからここで待っているのだ」
獅子民は睨みを利かせながら振り返った。するとそこには、ここに来る前に出会った六人の男が立っていた。
「そうか、だが、ほかの仲間はどうした?」
「お前とそこのウサギ女だけか?」
「流石に長時間集落に居座りすぎではないか?」
「それとも……」
「もう集落の連中に……」
「殺されてしまったか!」
六人目がそう言うと、全員一斉に笑い出す。
「何だと!?」
獅子民は牙を見せながら六人の男を威嚇した。
「あんたたち……。知っててあたしたちを通したのね……」
「ハッハッハッハッ。そうだ」
「人間どもは集落の儀式に」
「我々はライオンの肉をいただく」
「そう言う手はずだった……」
「しかしまさかな」
「ウサギ肉も頂けるとはな!」
最後の一人がそう言うと、六人は再び一斉に笑い始めた。全員同じような笑い声、全員同じような顔をしている奇妙な連中であった。
「ハッハッハッハッ。はぁ」
「ということで」
「貴様らの肉」
「我々が」
「美味しく」
「頂くとしよう!」
男たちは一斉に槍を構え、獅子民に襲い掛かる。獅子民は咄嗟の判断で後ろに飛び、スフィーがいるあたりまで後退した。
「相手は六人っすね……」
「あぁ、しかし一人一人では強くはないはずだ。おそらく奴らの長所は」
「コンビネーションっすね」
「そうだ。だから私と君の脚力で、相手を翻弄するぞ」
「りょーかいっす」
二人は短く作戦を立て、互いに逆方向に走り出した。
「めんどうなやつらだ」
「分断か」
「我々はウサギを追う」
スフィー側に立っていた三人は、そのままスフィーを追って右の森へ。
「それでは我々は」
「ライオンを追って」
「左へ」
獅子民側に立っていた三人は、獅子民を追って左の森へ進んでいった。
獅子民はしばらく走り続け、振り返った先にスフィーが見えない程度のところで足を止めた。
「上手いこと分断したつもりか?」
「我らは三人でも」
「容易くお前らをひねり潰せるぞ?」
「どうだかな。今の私は虫の居所が悪いぞ?」
獅子民は軽いジョークを挟みつつ、鋭い牙を敵に見せつける。
「そんなものに私たちは屈しないぞ!」
三人は等間隔で横に広がり、槍を構えて獅子民に襲い掛かる。
――獅子民はギリギリまで三人を引き寄せると、軽いバックステップを踏んで回避する。
「素早いな」
「予想以上」
「だが我らが勝つ」
獅子民は鋭く三人を睨み、敵の隙を伺った。
全員坊主の褐色肌で、誰が誰なのか獅子民にはさっぱり分からなかったが、目の前に立つ三人のうち、一人だけ少し手前に出ていることに気が付いた。それは獅子民から見て右側の男であり、その男だけがジリジリと獅子民に近づいているのが分かった。
「ふんっ、どうした。かかって来い」
獅子民は鼻を鳴らして敵を挑発した。
――すると一番右の男はその挑発に乗り、ほかの二人より少し早く獅子民に襲い掛かった。
「ここだ!」
獅子民は右の男の腹部に噛みつき、他の二人を置き去りにして着地した。
「なに!?」
「アガ兄者!」
獅子民は銜えた男を地面に放り捨て、左を向き直ってほかの二人を睨んだ。
「さぁ、まずは一人だ」
「ゴハッ! アググ……」
アガと呼ばれた男は、口から血を吐きながらも僅かながら息をしていた。
「よくもアガ兄者を!」
「落ち着けウガ」
「しかしイガ兄者……」
残りの二人は一人が欠けたことにより、連携にひびが入り始めていた。
「二人で兄者の仇を」
「……はい、イガ兄者」
二人は平静を取り戻し、再び獅子民に槍を構える。
「こやつは貴様らの兄だったか……。しかし我らを襲うならば、容赦はしない!」
獅子民は残った二人に先制攻撃を仕掛ける。先ほど真ん中にいた、イガを狙って獅子民は飛び込んだ。するとすぐに、それを阻止しようと横からウガが槍で獅子民の頭を目掛けて突きを仕掛ける。獅子民は目端でそれを捉え、少し顔を引き、槍を躱してそのままその槍に噛みついた。そしてそのままそれをへし折り、槍の先端を遠くに放った。
「ペッ、武器が一つ減ったな」
「お、おのれ……」
「落ち着けウガ。我らの勝ちだ」
「あ、あ、兄……者……」
槍を折られたウガは、茫然と立ち尽くしそう言った。
「なぜ勝ち誇れる? 圧倒的に私が有利では無いか」
――獅子民が許した一瞬の隙、敵もそれを逃していなかった。
ザクッ!
「ガハッ!」
獅子民の右後ろ脚に鋭利な槍が突き刺さった。その柄を握るのは、先ほど重傷を負わせたはずのアガであった。
「あ、兄者!」
「流石兄者だ」
「ハァハァ。やった……ぞ……」
アガは二人に笑みを見せ、そのまま地面に顔を落とした。
「ぐっ、クソ……! 油断した……」
獅子民は自らに刺さった槍を抜けず、その場に立ち留まる。
「兄者……。仇は打つ!」
「行くぞウガ!」
イガは持っていた槍を構え、ウガは折られた槍の鋭利になった断面を獅子民に向け、立ちすくんでいるライオンに飛び掛かった。
「く、くそ……。リーアを、スフィーを助けなければ……」
獅子民は死を惜しむようにそう呟いた。するとその時――
(ざまぁねぇな。お前はライオンの姿をした飼い猫だ)
「誰だ!?」
突如獅子民に話しかけてくる声が聞こえる。
(キッヒッヒッ。お前だよ)
「私だと!?」
(そうだ。ここで死なれたら困る。死にたくなけりゃ、そこの死体を一噛みしろ)
「し、死体をだと!?」
(そうだ。早くやれ!!)
その言葉を皮切りに獅子民の怯んだ体に自由が戻った。
「兄者の仇!」
「死ねい!」
二人はもうすぐのところまで迫っていた。獅子民は夢か現実かも分からぬ声に従って、足元に転がる死体を一噛みし、その肉を喰らった。
「貴様、兄者を!」
「もう我も許せん!」
ついには怒りを抑えていたイガも一線を越え、二人は血相を変えて獅子民に槍を振り下ろした。しかしその時、獅子民の体に異変が起こる。
「力が、湧いてくる……!」
獅子民の体にはみるみる力が漲っていき、獅子民は上半身を少し浮かせ、その反動を利用して両前足で地面を力強く踏みつけた。
――するとその部分の地面が割れ、土の大盾が獅子民の前に現れ、二人はその盾に攻撃を阻まれる。
「な、なんだ!」
「どこにそんな力が!」
土の盾越しに二人の声が聞こえてくる。
「こ、この力はどこから湧いてくるんだ……」
獅子民は目前に現れた大盾を前にして、辺りを見回した。そしてすぐに仮定が生まれた。『人肉を食したことだ』と。
獅子民は足元に転がる死体をチラリと見、次に目の前の土の盾を見る。
「ま、まさかな……」
獅子民は少し後退し、死体の背中に向かって口を広げた。
…………。その一方、スフィーは三人に囲まれ、窮地に陥っていた。
「ハァハァ、こいつらしつこすぎる」
「待て女!」
「ウサギ肉!」
「我らの飯!」
男三人は、目の前の標的からまったく目を離そうとしない。
「ハァハァ。獅子民っちと結構離れちゃったな……」
「お前の助け」
「もう来ない」
「ここで仕留める」
三人は三角形にスフィーを囲み、一斉に襲い掛かろうとする。しかし。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。ドゴンッ!
と、大きな地鳴りの後、それに匹敵する衝撃音が響き、それは三人の攻撃を止めた。
「今の音は!」
「兄者たちが仕留めた音だ!」
「流石兄者たちだ!」
衝撃音は獅子民が逃げた方向からしており、スフィーを追ってきた三人は、兄者たちがライオンを仕留めた。と声を大きくした。
「今だ……!」
スフィーは三人が目を離した隙に、音を立てないように気をつけながら大木の陰に隠れた。
「ハァハァ、まさか獅子民っちが……? そんなはずないよね。でもあんな力、獅子民っちに……」
スフィーは大木に隠れながら、獅子民が生きていると信じることしかできなかった。
「な、なんだと!?」
「そ、そんなはずはない!」
「兄者たちを放せ!」
スフィーが大木に隠れてすぐ、先ほど囲まれていた場所で、三人が騒ぎ始めた。
「今の声……。獅子民っちが来たの?」
スフィーは大木から頭を出し、その先を見る。するとそこには恐れ慄く三人の姿があった。
「や、やめろ!」
「エガ!」
「うわぁぁぁぁ!」
スフィーは少し覗くつもりであったが、その一瞬で右に立っていた男の上半身が無くなった。
「な、なにが起きたの……?」
スフィーがそう呟くのも束の間、次は左に立っていた男の下半身が無くなる。
「オガ!」
「ぐあぁぁぁぁ!」
スフィーはとうに言葉を忘れ、口をあんぐりさせたままその光景を見た。
「や、やめてくれ!」
残った男はスフィーが隠れる大木に向かって走ってきた。スフィーは隠れるのも忘れて男の鬼気迫る表情を見ていた。そして次の瞬間、男はスフィーの目の前で縦にぱっかりと割れ、体が左右に倒れた。
「あ、ああ。あ……」
スフィーは恐怖で一歩も動けず、腰を抜かしたままその影を見た。男の体が地面に落ち、その先で立ち止まっていたものは、血に染まった鬣、血が滴る牙、鋭く地面を抉る爪、そして真っ赤に充血した殺人鬼の眼であった。
「ふぅー。ふぅー。肉。骨。血」
スフィーから何十メートルも先にいるライオンは、息を荒げながら、『肉。骨。血』と数回言った後、力尽きるようにその場に倒れた。
スフィーはすぐにでも近づくべきであったのだろうが、とてもそんな状態ではなく、ただ必死に大木の陰に身を隠した。
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