第2話 ~異世界の理~

 初汰の気持ちが収まるまで、少し時間を有した。


「ライオンが喋るのも異世界だから……。フードの奴が火を俺に投げてきたのも異世界だから……。そもそも人間が火を手から出すってなんだ? ありえなくないか?」


 初汰が獅子民やリーアの話を聞く気配は無く、ここにたどり着くまでに起こったことすべてを振り返り、独り言をブツブツと呟き続ける。


「困ったな……。流石に単刀直入はマズかったか?」

「困りましたね。ふふ、これでは話が進まないわ。ふふ」

「はぁ、リーアも笑いが抜けてないぞ」

「そんなこと、ふふ、ありませんよ」


 リーアはリーアで笑いのツボが浅く、思い出しては笑い、思い出しては笑い。を続けていた。

 そしてそのまま数十分経ち、紅茶はすっかり冷め、リーアもようやく落ち着くと、獅子民と協力して初汰の気持ちを落ち着かせる。


「ってことはそうだよな。俺が現世で見たあの黒い穴は、マジでワープホールだったってことだよな。となると今の俺は現世の俺で、転生ってわけじゃ無く、転移が正解なのか……」

「おい小僧。気をしっかり持ってくれ。確かに私がストレートに言い過ぎたが、いくらなんでも長すぎるぞ、その独り言」

「そうですよ。そろそろ私たちの話を聞いて下さらないと、場合によっては森で寝る羽目になるんですからね?」

「え、森? 俺はまたあそこに返されるのか? 冗談じゃない、またフードの奴に会ったら今度こそ殺されちまう」

「はぁ、もう面倒ですね……」


 リーアはゆっくり立ち上がり、焦点が定まらずきょろきょろとあたりを見回す初汰の前に立ち、火傷していない方の頬を思いっきり引っ叩いた。

 パァン!!

 その音は会議室中に響き、初汰の動きも止まる。


「あ、えっと……。叩かれた?」

「えぇ、あなたが静かに話を聞かないからですよ」

「な、なるほど……」


 初汰は左頬を抑えながらソファに座り、魂が抜けたように背もたれに全身を預ける。


「と、とりあえず収まったようだな。初汰、話は頭に入りそうか?」

「あ、えっと。軽くなら……」

「なら軽い情報を入れるまでよ」

「はぁ、人の話は聞かないくせに、自分の話を聞いてくれないと怒るのは難点だな……」

「何か言いましたか?」

「い、いや! 何も言っておらん。さぁ、早く終わらせよう」


 先ほどまでくだらないことで笑っていたリーアであったが、獅子民が言った通り、自分の話を無視されるのがなにより嫌いであった。なので急に貴族の威厳を出し始め、きびきびと話し始める。


「いいですか。まず私たちがいるこの地域は『ビハイド』と言います。そしてあなたと獅子民さんがここに来る途中で出会ったフードの人物。それは……」


 リーアは天井を指さす。


「空に浮く大陸、『アヴォクラウズ』からの刺客よ」

「空に……大陸があるのか……?」

「そうだ。私はそこでこの体にされた。上では『合成獣キメラ』を作っているんだ」

「ま、待て待て、もういい。今日はここまでにしてくれ」


 初汰は頭がこんがらがって仕方が無く、話を中断させる。


「少ない脳みそだこと。もう少し頑張れないの?」

「そんなこと言われても、ビハイドやらアヴォクラウズやらキメラやら大陸言語やら。一気に覚えらんねーよ」

「覚えられてるじゃない?」

「え、ほんとじゃん」


 初汰は自分で自分の力に驚いた。瞬間記憶はあまり得意ではなかったが、初汰の中二心がうずいたのか、すぐにカタカナは脳に浸透した。


「やればできるではないか」

「ふふふ、私の指導のおかげかしら?」

「そ、それもあったかな~、ははは」


 ここで二人と一頭の会話は終わり、初汰はテーブルに置かれた紅茶を飲む。


「冷てぇ。でも味は何となく美味しいって分かる気がする」

「あら、そうですか。それは嬉しい限りです」

「これはリーアが唯一上から持ってきたものだからな」

「上から?」

「おっと、これは失礼した」


 獅子民は申し訳なさそうに顔を俯ける。なにやら言ってはいけない情報を漏らしてしまったようだ。


「いえ、大丈夫ですよ。いずれはバレることです。獅子民さんが言った通り、私は上の大陸から来ました。しかしここを侵略するためではありません」

「じゃあ何のために?」

「この大陸を支配から守る為です」

「そっか……。ま、よく分かんねーけど、とりあえずはここに居ようかな」

「ふふ、よろしくお願いします」

「よろしくな、初汰。上の階に空き部屋が一つある。好きに使っていいぞ」


 獅子民はそう言うと会議室から出て行ってしまう。初汰は残っている紅茶を飲み干し、ソファから立ち上がる。


「案内します」

「あ、ありがと」


 初汰はリーアの後に続き、会議室を出る。会議室を出ると左右に階段があり、どちらから上がっても同じ廊下に繋がっている。初汰の部屋は右端らしく、リーアは右の階段を上がって行き、廊下の右突き当りを指さす。


「あそこが初汰の部屋よ」

「りょーかい。ありがと」


 初汰はリーアの横を抜け、真っすぐ指差された部屋に向かって行く。木製のドアで、ドアノブを捻るとギシギシと音を立て、ゆっくりと押し開けると、ミシミシと唸って扉が開く。


「これ、大丈夫か?」


 初汰の心配はドアにとどまらず、室内も埃まみれであった。


「ゴホッゴホッ。すげぇ埃だな」


 初汰は部屋に入って直進し、端にある窓を開ける。それによって少し煙たさは無くなったが、代わりに部屋がどれだけ汚いかを日差しが浮き彫りにした。


「こりゃ掃除からだな」


 初汰はめんどくさそうに部屋を出て、リーアから雑巾とバケツを借り、部屋の掃除を始める。雑巾を濡らし、なるべく上から掃除をし、最後に床を雑巾がけする。

 一時間ほど掃除を続けると、埃っぽさも気にならない程度になり、目立った汚れも無くなった。


「ふぅ、異世界最初の仕事は自分の部屋掃除とはな」


 初汰が一息ついていると、下の階から獅子民の叫び声が聞こえてくる。


「敵襲だ! 戸締りをし、戦える者は外に出てきてくれ!」


 初汰はその声に釣られ、部屋を出てエントランスを覗き込む。すると屋敷のメイドから執事まで、全員が武器を持って外に向かって行く。初汰はバレないようにそれを上から眺める。


「自分の身を守りつつ、村民の安全を確保するんだ!」


 エントランスの中央では、獅子民が流れていく使用人たちに的確な指示を出している。するとメイドに混ざってリーアも外に流れていくのが目に入る。


「あれ、リーアも戦うのか?」


 初汰はリーアの行き先を見ようと少し身を乗り出す。すると、


「おい、初汰! お前も戦ってはくれないか!?」


 獅子民に見つかってしまった。


「え、俺も戦うの?」

「死に場所を探しているのではないのか?」

「いやいや、それは終わった話。なんで外部の俺が戦わなきゃいけないんだよ」

「クソ、ならいい! 臆病者は引っ込んでろ!」


 獅子民はそう言うと、最後に屋敷を飛び出し、最前線まで物凄い勢いで走っていく。


「これでいいんだ。これで」

 初汰は借りた部屋に戻り、備え付けのベッドに寝転がった。


 …………。屋敷は使用人含め全員が出払ってしまい、一気に静まり返る。初汰はそれがとても寝心地が悪く、なかなか寝入れない。


「クソ、疲れてるはずなのにな……」

「キャーー!!」

「助けてーー!!」

「なんだ!?」


 眠りにつくことが出来なかった初汰は、戦闘が始まり、村人が戦場から逃げようと必死に声をあげているのを聞いてしまう。それを聞いて初汰は、この屋敷から一歩でも外に出たら自分もああなってしまう。と、咄嗟にベッドにもぐりこむ。


「熱い! 誰か、誰か助けてくれ!」

「痛いよー! ママー、助けてー!」

「やめてください! どうか、どうか子供だけは!」


 初汰はベッドに潜り両耳を塞いだが、開けた窓からは心地よい風ではなく、悲痛な叫びと一方的な破壊音が部屋に流れ込んでくる。


「やめろ……。やめてくれ……、なんで戦わなきゃいけないんだ……。なんで異世界来てまでそんな思いしなくちゃならないんだよ……」


 バキッ! バタンッ!

 外では森の木々が折られ、それが次々と地面に倒れていく音が聞こえる。


「皆下がれ! 私の屋敷まで後退だ!」


 獅子民の声で村人たちは村の最奥にある、獅子民の屋敷になだれ込んでくる。ケガを負った大人、子供は会議室に運び込まれ、そこで軽傷の者達が治療に専念する。そして屋敷の入り口を守るのは、獅子民とリーア、そして数人の使用人であった。


「貴様ら、ここは通さんぞ。来るならば私が相手しよう」


 獅子民は鋭い目つきで相手を威嚇する。フードを被った連中も、その覇気に少し足を引く。しかし連中は不敵な笑みを浮かべ、その場から進もうとしない。そして次の瞬間、連中と獅子民たちを遮るように、二本の大木が倒れてくる。

 ドカンッ!

 大木が倒れたことにより、フードの連中の姿は見えなくなる。


「今回はこの辺にしといてやろう! と言っても、その人数で立て直せるかな? ハッハッハッ!」


 大木の向こう側から、連中の一人がバカにしたような高笑いをした。


「奴ら、覚えておけよ……」

「獅子民さん、大丈夫ですか?」

「お怪我は無いですか?」

「お手伝いしますので、しっかり立て直しましょう」

「みんな……。すまない、私も全力を尽くす……!」


 獅子民はすぐに村人達に囲まれ、激励の言葉や安否確認の言葉をかけられる。リーアはその群衆をすり抜け、初汰の部屋をノックする。


「いるんですよね? 開けてください」

「…………」

「聞こえているんですよね? またはたきますよ?」

「なんだよ!? 俺には関係ないだろ!」

「そうね、関係ないわ。でもここにいる以上、明日一緒に村の掃除くらいは手伝ってほしいのだけれど」

「……。分かった。掃除だけだからな……」

「ありがとう。それではまた明日」


 コツコツコツコツ。リーアの足音は遠のいて行く。自分が行ったところで何も変わらなかったとは思うが、初汰は押しつぶされそうな罪悪感に苛まれた。

 少しすると下の階がざわつき始める。怪我人の手当てや、夕食の準備をしているらしい。腹を鳴らしていた初汰であったが、勇気が出ず、なかなか部屋から出ることが出来ない。

 生き残った村人は、会議室で食事をとっているようで、エントランスはすぐ静かになった。初汰はそれを見計らって部屋を出る。その理由は、村に行って食料を見つけようという魂胆であった。がしかし、部屋を出るとすぐ、一直線にリーアが立っていた。


「あっ、なんでいるんだよ」

「お腹が空いたのでしょ?」

「いや、そんなわけ――」


 ぐぅぅぅぅ。腹の虫は正直であった。


「そんなわけ?」

「減ってるよ。減ってますとも」

「物資は少ししかないわ。今日はこれで我慢して」


 リーアはそう言って、パン一つとシチューのような、肉と野菜が入ったスープを初汰の前に出す。初汰はそのトレイを受け取るとリーアに礼を言って部屋に戻っていく。


「また後でトレイを取りに来るわね」

「うっす、ありがとよ」


 初汰は焦る様子を見せずに部屋に戻る。そしてドアが閉まるのを確認すると、ベッドに腰かけて少ない夕食にがっつく。


「ふぅ、食った食った」


 初汰は満腹になったお腹をポンポンと叩く。

 少し経ったがなかなかリーアは部屋に訪れず、初汰は仕方なく屋敷内を歩くことにした。トレイを持って部屋を出ると、階段を下りて会議室を覗いた。ほんの少しドアを開け中を見る。すると中では獅子民を中心に会議をしており、部外者が入れるような雰囲気ではなかった。


「他を当たるか……」

「そうね。ここは今会議中だものね」

「よし、次行くか……って誰だ!?」


 初汰は後ろから聞こえた声に振り返る。


「しーっ。静かにして、会議してるって言ったでしょ?」


 そこにはリーアが立っていた。


「ったく脅かすなよ。これ、返しに来たんだよ」

「ごめんなさいね。今取りに行こうと思っていたのよ。なにせほかの人たちの皿洗いもしていたものですから」

「へぇ~、貴族様がそんなことするご時世なんだな」

「私はここを独裁しに来たわけでは無いと言ったでしょ? つまりみんなの役に立つことをしたいのよ」

「ま、確かに皿洗いは助かるな。俺……、そろそろ戻ろうかな」


 初汰は一瞬、「俺も手伝おうか?」と言おうと思ったのだが、なぜかその言葉は引っ込んだ。


「もう戻るの? 少し外の風でも浴びない?」

「う~ん、ちょっとなら」

「ありがと」


 リーアは玄関の大きな扉に向かって歩いて行く。初汰もそのあとに続いて行き、二人は外に出る。


「おぉ、案外寒いな」

「森の夜は冷えるわ。でも空気は綺麗よ」

「確かに。でも、この木の向こうには……」

「……見ていたの?」

「ほんの少しな。でも、俺は危ないことに自ら首を突っ込むのは好きじゃない」

「ふ~ん。意気地がないのね」

「何とでも言え。事実だしな」


 ここで会話は途切れた。周りは大木に囲まれ、その木々に住んでいる動物の鳴き声が沈黙の中の二人を包む。現世では聞いたことのないような鳴き声も聞こえ、初汰は気味悪がりながら森の空気を吸った。


「秘密……」


 リーアが口を開けた。


「私の秘密をあなただけに教えるって言ったら、私を守ってくれる?」


 リーアは自然にそう言うと、手を後ろで組みながら、初汰の返答を待つ。


「秘密……か。俺にその秘密が守れるかな……」

「守ってくれなきゃ困るわ」

「獅子民のおっさんじゃダメなのか?」

「彼でも平気よ。でもね、私はあなたから希望を感じるの」

「希望……ね。どっかで聞いたような流れだよ」


 初汰はそう言って屋敷に戻ろうとする。


「待って、とりあえずこれを見て」

「なんだよ、明日でもいいだろ?」


 初汰が振り返ると、道を遮っていた大木を、手を使わずに持ち上げるリーアがいた。


「な、どうなってんだ!? これが魔法ってやつ?」

「えぇ……。そうよ……」


 リーアは苦しそうにそう言いながら、大木を屋敷の敷地外にフワフワと運び出す。


「すっげぇ……」

「この村に住む人々も、大木は無理だけれど、軽いものならああやって運べるのよ」

「マジで異世界だ……。ってことは俺も使えるのか?」

「それは分からないわ。だから明日、村の改修作業ついでにあなたの力を見てみたいの」

「なるほどね~。ま、それは付き合うけど、リーアの秘密を守るって話、アレは考えさせてくれ」


 初汰はリーアに背を向けながら手を振ると、屋敷内に戻っていく。

 自室に戻った初汰は、ベッドに飛び込んで天井を眺める。


「はぁ、本当に異世界なんだな……。知らない大陸に、魔法、喋るライオン。何でもありなんだな。でももしかしたら俺も魔法が使えるかもしれないんだよな……。そう考えると、誰かの為に生きるってのもありだよな……。現世で出来なかった分……な」


 初汰は癖の独り言を呟きながら、今日あった出来事を振り返った。眠って起きると、はい、そこは現世でした。なんて落ちは絶対に嫌だと思いつつ、初汰はいつの間にか眠りについていた。

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