ドロップアウト・ワンダーワールド

玉樹詩之

序章 ~目覚めと出会い~

第1話 ~ドロップアウト~

 キーンコーンカーンコーン。


 三時限目の終わりを告げるチャイムが鳴る。授業をサボって高校の屋上に立つ青年は、そこから身を投げる覚悟をしていた。少しのためらいはあったものの、死ぬことへの覚悟は生半可なものではなく、青年は大空にその体を投げた。


(これで長く続いていた地獄から、天国に旅立てるんだ。俺はきっと来世では、金持ちで運動も勉強も出来るイケメンに生まれてくるんだ……)


 青年は全身に風を感じながら、校庭に向かって徐々にスピードを増していく。それを阻むものは何もなく、青年は翼をもがれた鳥のように、ただただ地面に向かって落ちていくのだった。


(さよなら、クソみたいな人生。さよなら、父さん母さん)


 その時であった。青年が自殺に少しためらったこともあり、校舎のど真ん中に付けられている時計が、十二時の時報を鳴らす。青年はその音に気を取られ、少し目を開ける。頭から落下する青年には、当然整備されていないグラウンドが目に付くはずであった。しかし青年の薄く開けた目の前には、巨大なワープホールが現れていた。


(な、なんだこれ!?)


 青年は落下の最中に声を出すことが出来ず、もごもごと口内で音を反響させながら、首を横に何度も振る。その抵抗も虚しく、青年はその大きく口を開けた黒い穴に吸い込まれていった。


「おい、今誰か落ちて行かなかったか?」

「何言ってるんですか、疲れているんですよ」

「そ、そうか。そうだよな」


 唯一目撃していた教員も、疲れからの錯覚だとそれを見逃し、その日を境に青年の話をするものはいなくなり、青年の存在自体がこの世から消えてしまった。


 …………。


 穴に吸い込まれた後、青年は数時間深い眠りについていた。落下の衝撃で意識を失っているのだ。


「おい、あのガキ上から降ってきたよな?」

「えぇ、空の裂け目から降ってきたわ……」


 森の中で眠る青年の近くには、若い夫婦が立っていた。


「どうする? こいつ連れて帰るか?」

「どうって……。情報を聞き出すために……」

「しかしこいつを捕えたことが上にバレたら……」


 夫婦は眠る青年を前にして、一向に進まない話をし続ける。

 ザッザッザッザッ。

 すると茂みの中から堂々と足音を立てて近づく一頭の獣がいた。


「なんだ!?」


 男が叫んで後ろを振り向くと、そこには一頭のライオンがいた。


「な、なんだ、あなただったのですか」

「お、脅かさないでくださいよ。私たちは新参なのですから」


 夫婦はそのライオンの出現に驚いたものの、その後ライオンから逃げるような素振りはしない。


「……」

「分かりました。それでは僕たちは先に村に帰っています」


 若い夫婦は黙っているライオンに向かってそう言うと、森の奥へ消えていった。

 ザッザッザッザッ。

 ライオンは草の上で眠る青年の近くに歩み寄り、その顔を近づける。ライオンは青年を威嚇するように、喉を鳴らしながら青年の頭から足先までを隈なく見続ける。青年が目を覚ますのを待っているようであった。


「う、ううん」


  その時、青年が寝心地悪そうに体をクネクネと動かした。すかさずライオンは青年の体を大きな肉球で何度か叩く。


「なんだ……?」


 青年はついに目を覚まし、ぼやける視界を少しでも良くしようと目をこすった。視界は少し明るみ、次に青年は上半身を起こそうと腹筋に力を入れる。しかし、その傍にいたライオンは、胸のあたりに手を置いて青年を抑える。


「なんだよ。やめろって」


 青年は胸にのしかかるなにかをどけようと、両手でそれを掴む。そして当然毛むくじゃらの手を掴み、青年はその手を退ける事を忘れて撫で始める。


「なんだこの感触は?」


 青年は掴んだ手を辿り、その主の顔を見た。そこには凛々しい鬣に包まれた、獰猛な牙を覗かせる一頭のライオンがいた。


「はぁ、なんだ夢か……」


 青年はあまりの突拍子の無さに、今までのことが全て夢だと判断した。


「俺はあの時ちゃんと死んだんだ。そうだ、これは走馬灯ってやつだろうな。でもこんな経験したことないな……」


 青年がブツブツ独り言を言っていると、ライオンは青年の胸に置く手の力を更に入れる。


「おい小僧。お前人間界から来たな?」


 なんとライオンが人語を話し始めたのであった。

 青年は夢の世界ならなんでもありだな。と思いつつ、その問いに答える。


「あぁ、そうだよ。それがどうかした?」

「上の住民ではないな?」

「なんだそれ……、まぁいいや、とりあえずさっさと俺を殺してくれよ」

「小僧、喋るライオンは怖くないのか?」

「夢ならなんでもありだろ?」

「なるほどな。よし、じゃあ夢の続きは俺の背中で。なんてのはどうだ?」

「おぉ、いいね。最高の死に場所を用意してくれよ?」

「良いだろう。丁度人手が足りなかったからな」

「人手?」


 青年が質問しようとすると、ライオンは青年の服に噛みつき、そのまま顔を仰け反らせてふわっと青年を宙に浮かせ、自らの背中に青年を乗せる。


「おわっとと。いきなりなにすんだ!」

「お前が死に場所を求めたのだろう?」

「今お前が俺に噛みつけばいいだろ?」

「それではつまらんだろ。せめて誰かの役に立って死ぬがいい」

「誰かのって……。俺にはそんな力――」

「小僧、名はなんて言う?」


 ライオンは青年の弱音を遮って名を尋ねる。


「まだ話してんだろが……。まぁいいや、俺は雪島初汰ゆきしまうた。よろしく」

「初汰か……。私は獅子民雅人ししたみまさとだ。よろしくな」

「へぇ、ライオンにも苗字と名前があるんだな?」

「私も元は――」


 獅子民が噛みつく勢いで反論しようとしたとき、目の前に黒いフードを目深に被った者が現れた。


「こいつも仲間?」

「違う。これは上の手先だ」


 獅子民は相手に聞こえない小さい声で初汰の質問に答える。


「結構やばいじゃん」

「下りろ。私が戦う」

「ダルイ。逃げよう」


 逃げ癖がついている初汰は、獅子民に逃げるように耳打ちする。


「ダメだ。私たちの拠点がバレてはいけない」

「なら俺が戦うよ。その間にあんたが逃げれば、俺は他人の為に死んだことになる。それでいいだろ?」

「それもダメだ。お前はまだこれが夢だと思っているだろうが、これは現実だ」

「意味わかんね。俺は早く生まれ変わりたいんだ。自分が嫌いなんだ。だから飛び降りた。早くこの生き長らえている時間から解放されたいんだよっと」


 初汰は獅子民の背中から下り、フードを被った人に近づいて行く。


「あの、このライオンは逃がしてやってくれませんか? その代わりに俺がサンドバッグにでもなんにでもなるんで」


 初汰がそう言ってフードを被った人の前に立つと、その人物は徐に右手を上げ、掌を初汰に向けた。


「おっさん。逃げて良いぞ。これで本当に俺の人生は終わり!」

「バカ言うな! 本当に死ぬぞ!」

「それでいいんだって」


 初汰の目の前に広げられた掌。初汰はそれをじっと見つめた。するとその掌の中心あたりから、赤い点のようなものが浮かび上がってくる。


「なんだこれ、まぁいいや。一思いにやってくれ」

「クソ。バカが……」


 獅子民は自慢の脚力で初汰に向かって走り出す。初汰に向けられた赤い点はドンドン大きくなっていき、ついには大きな火の玉となった。


「ま、まぁ夢の世界なら何でもありだよな……」


 そうは言ったものの、初汰の額には汗がにじみ出てくる。冷や汗、恐怖の汗、目の前の火の玉による汗。いろんな汗が額を伝った。


「小僧!」


 走ってきた獅子民は、そのまま初汰の背中に突進する。


「うわっ!」


 初汰はその突進で前かがみになり、そのままこけそうになったので、両手を前に出してフードの人物を突き飛ばした。フードの人物は受け身を取るために火の玉を消し、その場に尻もちを着く。


「なにすんだよ。殺され損ねたじゃんか」

「前を見ろ! 火は既に放たれている!」


 フードの人物は、本気で殺そうと初汰に向かって火の玉を投げつける。

 初汰は反射的にその火の玉を間一髪で躱す。しかし少し頬を掠めたようで、右頬に軽い火傷を負った。


「あっつ! 熱い熱い!」


 初汰はあまりの熱さに手で頬を覆おうとするが、傷の悪化を恐れてその衝動をぐっと抑え込む。痛みを堪えながら前を見ると、すでにその場からフードの人物は消え去っていた。


「大丈夫か?」

「はぁはぁ、この感覚……。俺はまだ生きてるのか?」

「何を言っている。さっきからそう言っているだろ。さぁ、早く拠点に戻って処置をしよう」


 獅子民は呆れながら森の奥に向かって歩いて行く。


「ま、待ってくれ!」

「なんだ、歩けるんだから背中には乗せんぞ」

「そうじゃなくて、俺はまだ死んでないのか?」

「はぁ、何度も言わせるな。早く歩け」


 獅子民はそのままゆっくりと森の奥に歩いて行ってしまう。

 初汰は四本足で歩いて行くライオンの尻尾を見ながら、頬の火傷を触ってみる。


「いって! めっちゃ痛い……。これで走馬灯が終わらないってことは、現実……なのか?」


 初汰は混乱する頭のまま、とりあえず詳しい話だけでも聞こうと獅子民の後に付いて行くことにした。


「なぁ、おっさん。ここはどこなんだよ?」

「後で話す」

「なぁ、俺は生きてるのか?」

「後で話す」

「なぁ、まだ着かねーのか?」

「あと少しだ。黙って歩け」

「ちぇ、分かったよ」


 その後初汰は黙って獅子民の後に続き、景観の変わらない森の中を歩き続けた。本当は迷子になったんじゃないか。と思い始めたころ。数十メートル先にあからさまな丸太で出来た防壁と、見張り台が見え始める。


「あそこか!?」

「そうだ。あそこが我々、『ピースウィル』の拠点だ」


 村の前まで来ると、堀が出来ていて橋を架けないと入れないようになっていた。しかし獅子民が堀の近くに立つと、すぐさま橋が下り、村への道が出来上がった。

 獅子民に続いて村に入ると、そこはまるでおとぎ話の世界であった。絵本に出てくるようなレンガ造りの家が並び、他を見ると今度は木で作られた家が並び、井戸があり、人々は見たこともない服を来て歩き回っている。


「ここが……」

「まずは私の家で詳しいことを話そう。それからのことはお前が決断していい。とりあえず話だけでも聞いてくれ」

「あ、あぁ。話ならいくらでも聞くよ」


 初汰は獅子民の言葉など耳に入っていなかった。見たこともない家、見たこともない服。目に映るのはすべて初めての物ばかりであった。


「こっちだ」


 獅子民は初汰の尻を頭で押し、無理矢理に初汰を歩かせる。

 森の中にある小さな村の奥へと進んでいき、その最奥と思われる場所には、先ほどの家々とは比べ物にならないほどの大きなレンガ造りの家が建っていた。


「ここが我が家兼、作戦本部だ。さぁ、入ってくれ」


 獅子民に誘導されるがままに初汰は玄関を抜け、靴のまま家に上がるとそのまま真っすぐ進んだ先にある大きな部屋に案内された。そこは会議室らしく、チェスの駒のようなものが複数置かれており、部屋の中心には大きなテーブルと、その上には地図が広げられていた。

 初汰はその部屋の右隅にあるソファに座り、テーブルをはさんだ向かい側に獅子民がお座りした。


「紅茶を淹れてきました」


 そう言って現れたのは、明らかに先ほどの住民たちよりもワンランク、ツーランク上の服を身に纏った女性であった。髪の毛は白金色のロングヘアで、後ろはティアラ型のバンスクリップで結っていた。


「あ、ありがとうございます」

「いえ、それではごゆっくり」


 初汰と同じ年頃の女性で、男にしては身長の低い初汰と同じくらいの身長であった。


「お待ちを、あなたも話に参加してください。私は説明が苦手でな」

「ふふふ、そうでしたね。私がしっかりサポートします。これだけ置いてきますね」


 女性はそう言ってお盆を獅子民に見せ、奥に消えていった。

 少し経つと女性はパタパタと速足に戻ってくる。そしてそのまま獅子民の横にある木椅子に座ると、女性は軽い自己紹介を始めた。


「リーア・クロッチと申します。固くならず、リーア。と呼んでください」

「よろしくおなしゃす」


 初汰は軽い会釈をし、話が始まるのを待った。


「ふふ、あなたもこの世界の人じゃないのね。私の姓、この世界では少し有名なのよ?」

「そう言われても、聞いたこと無いよ。それにしても、外国の方なのに日本語上手ですね」

「この世界にニホンゴと言う言語は存在しませんよ?」

「え、じゃあ俺が今喋ってるこの言葉は?」

「それは大陸の言語よ」

「大陸ねぇ。でも海や山を越えたら言語が変わるだろ?」

「ふふ、可笑しいわ。なぜそんな複雑なことをしなくてはならないの? それでは犯罪が絶えませんわ」


 リーアはそれがツボにハマってしまったのか、クスクスと笑い続けている。

 結局、それを見かねた獅子民が説明を始める。


「やれやれ、これでは話が進まん。単刀直入に言うぞ。初汰、お前は元いた世界から、私たちが住むこの世界に転移してしまったのだ」

「い、異世界転移ってやつ!?」


 初汰は声を荒げ、その場に立ち上がる。死に際に見ている夢だと思っていた初汰であったが、ここに来てようやく、『異世界転移した』と言う現実と向き合うことになるのであった。

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