最悪再来

 もしもあなたにとって大切な人が、長年囚われの身にあったとして、助ける術を得て、助けられる瞬間に巡り合ったとして。命賭す事に躊躇なく、あの人のためならば捧げてしまえると宣えてしまえるのなら、あなたが始めるのは救済ではない。

 戦争だ。

 命を賭して命を奪い、救うために他を殺す。

 同じ志を掲げる者達を率いて、或いは率いられて、倒れる仲間、友、同胞達を置き去りにして、敵と味方、双方の鮮血が混沌と混ぜ合いながら広がり続ける戦いを経て手に入るものが、果たしてその人が求める国の姿であったのか、考える余裕は、そのときのあなたには無いだろう。

 十一年。

 人が同情し、決意し、仲間を集い、計画を練り、準備を整え、決起するまでには。充分過ぎる時間。

 彼女――白雪姫しらゆきひめは、自身がどれだけ人の心を動かすに足る存在であるかを理解し切れていない。

 もしも自身があのまま幽閉されていたならば、彼女を火種とした戦争が、国そのものを滅ぼし、彼女以外の王族を根絶やしにし、多くの犠牲を払って、少数しか助からぬ戦争へと発展してしまっただろう未来を、彼女は予見出来ない。

 世界を知らないからだ。外の世界を、自国の情勢さえも知らされていなかった彼女に、想像の余地など生じるはずもない。

 もしも自分が多くの国民にとって、女王や他の王女より大切な存在だったと知ったとして、助ける術を得て、助けられる瞬間に出遭ってしまったとして、私を助けてと叫べるのなら、十一年もの間幽閉されて、病気になってなどいなかったのだから。

「ご理解頂けましたか、姫」

 裁定者、召喚士しょうかんしの話を聞いた白雪姫は、呆然としていた。するしかなかった。

 生きる戦火などと比喩されて理解出来ずにいた自分に、懇切丁寧説明してくれた召喚士の親切は、この場合の彼女にとっては要らぬ世話。余計なお節介に他ならなかった。

 無論、彼女が無知故の事故。彼女が外の世界を美化し、焦がれていたが故に起きた自壊。

 召喚士の話など理解出来るはずもなく、首を縦にも横にも振れず、呆然とする他なかった。

「理解は、難しいでしょう。あなたはただ囚われていただけで、何もしなかったし何も出来なかった。しかしあなたは、存在するだけで戦争を起こす火種。囚われの御身を助けようと、幾人もの国民が奮起する。結果、君が助かったとしても、国の滅びは免れない。戦争による消耗が、国の衰退を促すのです」

「そんな……!」

「これもまた、私の占星術にて見た結末。経緯は省いておりますが、経緯はどうあれ、結末は十中八九変わらなかったでしょう。アソーティタには、あなたに魔術を教えたかの魔導士がいますので、彼を討ち倒すため、女王軍が出来る限りの戦力を投じるは必至。もはや占うまでもなく、見えて来る結果です」

「……私には、理解し難い、お話です」

「ですが、無視の出来ない話です。知らぬ存ぜぬで、いつまでも通していい話ではない。あなたの救出のため生じた戦いが、国を衰退させる。衰退した国を周辺諸国が攻め入り、国の奪い合いが始まって……やがて、大きな大戦と化す」

「何故、そこまで……」

「無知も過ぎれば罪ですね」

 今までで一番、棘のある言い方だった。

 表情にこそ一縷の変化もなかったものの、声音は御し切れぬ怒気を孕んでいて、驚いた姫の華奢な両肩は、震えを抑え切れなかった。

 呆れ切った感情が吐息として漏れて、白雪姫の不安を煽る。

「どうやら、あなたは外に目を向けるより、まず自国について知るべきのようだ。あなたの祖国アソーティタは、周辺諸国から見てどれだけ魅力的で、どれだけ邪魔な存在であるかと言う事を」

 三神王都さがみおうとを構成する三つの宗教団体の内が一つ。人の営みを守護せし聖母、マリアを信仰するラピスラズリ。

 他二つの信仰と大きく違う点は、あくまで神たる聖母は人を見守る存在であり、全ては人が主体であると言う考え方。

 人の信仰がなければ神はなく、神は人に地上を任せたが故に存在せず、信仰捧げる限り、神たる聖母は最悪が訪れる前に救済を施して下さると言うのが、当団体の信仰の根幹である。

 神とは結局、過去の歴史に偉大なる功績を遺した先人達であると考える龍巫女りゅうみことは、もしかしたら意見が一致したかもしれない。

 アックアにより疑似的な神を植え付けられ、ゾオンに厄介になっている今、もう叶わなくなってしまった話ではあるものの、そんな可能性も存在していたという話だ。

 だが今となっては、その可能性さえ途絶えた。

 それは龍巫女当人は一切関係のない場所で、彼女がまったく関与していないところで起きていた異変。

 裁定者役を務める召喚士さえ、まるで気付き得ない変化によるものであった。

「……」

 召喚士が白雪姫と話し合っていた同時刻。共に天界よりやって来た両天使りょうてんしは、誰もいないラピスラズリ教会本部にただ一人立ち尽くしていた。

 どの部屋に行っても誰もおらず、どの通路にも影すらない。仮に全員で出払っているとして、信仰対象である聖母の像まで置き去りにして、逃げる事などあり得ようか。

 例え信仰の形、思想の在り方が他と異なろうとも、祈ると言う基本的な形は同じだ。信仰宗教と言う属性柄、決して変わる事がない唯一の部分とも言える。

 何かしら緊急性の高い事態が発生したとしても、信者の一人や二人、像を動かせずとも、動かそうとした痕跡くらいは残っているはずなのだ。

 なのに、人一人どころか、そう言った痕跡の欠片すら見つからない。

 まるで数年。十数年。数十年以上前から、人などいなかったかのような寂寥と静寂が、神聖な教会を、皮肉にもより神聖に感じさせる。

 しかし決して、喜ばしい変化とは言えない。

 少なくとも、両天使が喜べる変化ではなかった。

 探しに来た人だけがいないなら他を探せば済む話だが、明らかに不審な形で他の人共々いなくなっているとなれば、不安を煽られる事は避けられない。

 そして、ようやく見つけた一つの人影が、人間の皮を被った怪物――いや、生物と言う容器に入った悪だった時、両天使の治りかけていた体を巡る血液の循環が、一挙に加速した。

「顔色が悪いな。まるで悪夢でも見ているかのようだ。気分が悪そうだ。悪臭でも嗅いでいるかのようだ。気味が悪いか? 気持ちが悪いか? 当然だ。絶対悪ぜったいあくを前にして最悪な気分でないはずがない。ここで最高などと言ってのけるようなら、それこそ悪趣味だ」

「ここにいた人々は……」

「さぁ? だがおそらく、君の考える最悪の展開には違いない。何せ私は、絶対悪なのだから」

 もしもその手に助ける術を得て、助けられる瞬間に巡り会えたとして、命賭す事に躊躇いなく走り出してしまえるのなら、それはもう救済ではない――戦争である。 

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