小さな大戦

 重なり合った偶然の結果、共に地上へと上がった白雪姫しらゆきひめ龍巫女りゅうみこは、界人かいとを信仰するゾオンの本部へと招待されていた。

 たった二人とはいえ、二人の信者を救ってくれた恩義に報いたいと、せめて食事だけでもとご馳走してくれたのだ。

『私の事は言うな。今から敵に回すには数が多すぎる』

 無論、言われるまでもない。

 一方的に押し付けられた産物とはいえ、アックアの作り上げた疑似的な神を内包しているなど知られたら、徹底的に体を解剖され、弄られ、調べられた挙句、危険因子として殺されかねないのだから。

 本部に連れて来てくれた二人が善良であるのはわかったけれど、だからと言って組織の誰も彼もを信用できるほど、龍巫女は自分が善良な人間でないことを知っていた。

 だがとりあえず、今は大丈夫そうだ。

 皆、白雪姫の豪快な食べっぷりに驚いている。細い体に似合わない食事の量に驚き、言葉を失っていた。

 監禁されていた十一年を取り戻さんとしているかの如く、常人の許容量を遥か凌駕する量を胃袋に入れて、空の食器を次々と量産し、厨房を戦場に変えていた。

 特別早食いではないのだが、とにかく食べ続けるので調理が終わらない。

「白雪姫様……凄い食べられるのですね」

「はい。私もこの国に来て初めて知りました。十一年、まともな食事などしたことがなかったものですから」

「……なんか、ごめんなさい」

「大丈夫、気にしないでください。あ、おかわりを」

 ちなみに、銃天使じゅうてんしは向かいながらの道中で探していたのだが、結局見つけられず、合流するに至れなかった。

 おそらくは隠れているのだろう。アックアやラピスラズリで囲まれ、武器や魔法を向けられるよりはマシだが、神の如く崇拝されるのは、彼のスタンスにそぐわないのだと思われる。

 周囲からジロジロと見られ、コソコソと耳打ちされながらの食事は落ち着かないのだろう。白雪姫は食事に没頭しているので、まったく気にならないのだが。

「満たされましたでしょうか」

「はい。義理の姉妹が作った、肉を焼いただけのステーキとは比較にならないくらいに」

 やってきた男性が心配したのは、味よりも量の方だったろうが、ともかく白雪姫は満足したらしい。

 いいえまだ、などと返されたら、困り果てた挙句詫びるしかない状況にまで来ていたので、とりあえず安堵の吐息を漏らす。

 男性は教皇らしき格好に身を包んで出て来たが、人払いをさせて部屋から自分達だけにすると、被っていた帽子を脱いだ。

「よろしいのですか、脱いでしまって」

「むしろ、脱ぐために人払いをしたようなもので。重要な話をしたいのもありますが、この帽子は私には過ぎる代物。被っていると、重荷を背負っている気分になるのですよ」

「それだけの地位にある、と言うことではないのですか?」

「気持ちばかりの賽銭を、定期的に投げていただけの私では、とても力が足りません故。界人様を近くで崇拝出来ることは幸せですが、所詮はお飾り。本当の教皇が決まるまでの、繋ぎでしかないのです」

 と自分を蔑むような発言をする教皇の姿が、身を投げることを厭わなかったかつての自分と、龍巫女は重なった。

 まぁ、彼は古い伝統に縛られて、火口に身を投げるような真似などしないと思うが。

「とにかく。お二方には改めてお礼申し上げます。犠牲になった者達は残念ですが、救って下さった者達について、誠にありがとうございました」

「いえ。私達も、彼らには助けて頂きました。こうしてご馳走までして頂いているのですから、こちらこそ、お礼申し上げます」

 十一年間のブランクも感じさせない、柔らかな振る舞い。

 王族や皇族と長い間いたわけではないが、学園にはそういった家の生まれもいるため、それなりの立ち居振る舞いというものがどういうものかはわかっていた。

 軟禁生活などまるで感じさせない一挙手一投足の軽やかさに、驚くばかりである。

 強いて言うなら、横に山積みになった空の皿がなければ完璧だった。これさえなければ、完璧な王女様だった――とまで思って、自分に判定する権利はないなと龍巫女は自重した。

「ですが、私達を招いて構わなかったのですか? 私達はその……いわば、無神論者です。同じ界人を信じる者同士。というわけでもありませんのに」

「確かに。ですが無神論者ならば、わざわざ敵に位置付ける意味もないでしょう。世界を駆ける界人を信仰するならば、広い心で以て物事を見極めねばなりません。例えばあなた方を味方に付けてしまうとか、考え方は様々なのですよ」

 散々自分を卑下しておいて、油断ならない人だ。

 てっきり、定期的に収めていた賽銭の額で決まったとさえ思ったが、仮とはいえ、教皇の位置を任されるだけの頭はあるらしい。

 あわよくば、自分達を味方に付けようなどと。顔に似合わず、意外と大胆不敵な人だ

「私達は、界人の生まれ変わりたる天使の方々とも戦うやもしれません。それでも、味方に出来ると?」

「戦いを避けて頂ければいいだけの話です。この戦いのルールを見直してみれば、必ずも殺し合いをしなければならないという訳ではない様子。ならば、あの二柱の天使との戦いを避けて、玉座を目指して頂ければいいだけの話です」

「さて、そう上手くいくかどうか……正直に言って、自信がありません。一柱――いえ、一人とはまだ話も通じましょうが、もう一人は生憎と、こちらを俗物と罵るような方ですから」

 開戦早々、高らかに名乗り上げた、今回の大戦における九人の参加者で、最強の座にいるだろう、熾天使してんし

 彼女が共闘なんてする姿は、まったく想像出来ない。

 もちろん、彼女のことをほとんど知らないからなのだろうけれど、彼女はとにかく、天上天下唯我独尊――この言葉を体現したかのような、孤立的絶対強者。

 誰かの手を借りるのも、誰かに手を貸すのも意味を見出せず、結局全て自分の手だけで成し得てしまえるから、他人の手など必要ないと払い除けて進むような印象が強い。

 天界の天使がすべてそんな感じでないことは、銃天使とのやり取りでわかっている。だからこそ、彼女を限定して思う。彼女と、果たして分かり合えるものかと。

 こちらのことを一度も名前で呼ばず、興味さえなさそうな彼女が果たして、こちらに聞く耳を持つのかさえ疑わしい。

 さすがに会話出来ないことはないだろうが、しようという意欲を持ってもらえなさそうだ。

 銃天使から話を聞いているだけに、白雪姫の中の彼女は、そんな印象で構築されていた。

「今もおそらく高い場所から、私達を見下ろしているのでしょうね」

 白雪姫の予想通り、熾天使は高い場所に立っていた。

 絶対悪ぜったいあくとの戦いの後、しばらく地下に籠っていたものの、半日と掛からず飛び出してきて以来、ずっと高い位置から海上都市を見渡していた。

 感服の意はなく、感動も希薄で、そもそもあるとも言い難い。

 が、ただ見下ろしていただけの地上の文明のほんの一部に過ぎなかった海上都市に、希薄ながらも興味を抱いたのは事実で、ただの鉄塊として映らなくなったことも、また事実。

 召喚士しょうかんしの言う通りになっているのは癪だが、確かに、思っていた以上の物であったことは否めない。

 地上の俗物にしては、思っていた以上の物を造り上げていたらしい。

 知らなかったが故に、上手い事言いくるめられる形になったのが物凄く腹立たしいのだが、今学んでしまえば、今後同じ文句で止められることもない。

 故に、これは後の自分のための学習なのだと、未だ苛立つ己を律して、熾天使は浮遊する。

 国家という巨大な文明形態が確立出来るほどの規模を海上に浮かせ、三つの神の信仰を均衡させている国のシステム。

 地表の生物はすべて俗物であるという考え方こそ変わらないし、変える気さえないが、俗物でも天に及ばずながら、肉薄するだけの知恵を身に着けたと言うのなら、天からの刺客として見極めてやろうではないか。

 そうとでも気持ちを切り替えなければ、地上の摂理さえ理解せぬままただ破壊し、ただ殺戮するだけの無能と言われる。

 力で圧制するだけの、地上の俗物と変わらぬ天使とずっと召喚士に弄られ続けるのは、今感じている以上の癪になるはずだ。

「知力では奴に敵わぬことはわかっていように、それでも腹が立つ。同族でなければ――」

 言うまでもなく、殺していただろう。

 尤も、あれは実力もそうだが頭も回る。そう簡単にはいかない上、最悪、返り討ちにされる可能性も捨てきれない。

 だからこそ召喚士も出しゃばって来たのだろうし、こちらも迂闊に手を出せないわけだが。

「……なんだか腹が立ってきたな」

 一応は対等な関係とはいえ、一体の天使に自分が臆しているように感じて、腹が立った。同時、腹が鳴った。

 地上の物など口にするだけ穢れると、戦争が始まってから何も食べていなかった。

 そもそもの話。戦争も三日目が終了し、四日目に突入しようとしているわけだが、四日間もくれてやるつもりもなく、天界が用意した賭けのシステムと、召喚士の邪魔さえなければ、一日目で国ごと亡ぼすつもりだったので、持ち合わせもない。

 地上の食べ物など体が受け付けぬだろうし、どうしたものかと思慮を巡らせた結果、思い付いた。

 食べ物は嫌だが、捧げ物なら喰らってもいいか。

 気持ちの問題だが、捧げられている物ならそれなりの物があるだろうし、百や二百もあれば、一つか二つは口に合うものがあるかもしれない。

 開幕と同時に名乗り上げたことで、自分の存在は国家全体に知れ渡ったことであろうし、界人を崇める組織ならば、文句を言うこともあるまい――

「し、熾天使様だ!」

「何、熾天使様だと!?」

 何やら下で騒いでいるなと見下ろすと、熾天使に気付いた人達が次々と建物から出てきて、一斉に合掌し、己が手を握り、祈り、崇め始めた。

 どうやら、奇しくも今自分が立つ建物こそ、界人を崇める宗教組織、ゾオンの本部だったらしい。そして案の定、自分のことを見知っているとわかって、熾天使はふわり、と舞い降りた。

「捧げ物を施すことを赦す。食物を所望だ。我が腹を満たせ」

「おい、食事だ! 食事のご用意をしろ!」

 すでに白雪姫のせいで終戦直後だった調理場は、再び戦場と化す。

 白い絨毯が敷かれ、白い壁で囲われた装飾の無い部屋に入れられた熾天使が、口を潤すために出された食前酒に口を付けていると、料理ではなく、真白のドレスに身を包んだ少女が現れた。

「やはり貴方でしたか」

「……これから食事だ。殺されたいなら少し待て。戦いたいなら尚の事待て。その白い絨毯を己が血で穢したくなくば、潔く待つがいい」

 少女は――白雪姫は待つことにした。

 待つことにしたため、彼女の真正面の席に座った。

 長テーブルのため距離はあるが、熾天使の操作魔術の前にはあってないような距離だ。剣が放たれて来ようものなら、一秒と掛からず目と鼻の先に迫ってきているだろう。

「何の真似だ」

「……あなたと、お話したく思いまして」

「私と、話……?」

 罠の類は、感じられない。

 結界魔術の類も、何もない。本当に話をするだけだとしても、防御の魔術くらいは掛けておくのがせめてもの手だと思うのだが。

 敵意はないと示すにしても、熾天使からしてみればただの愚策。俗物の思考回路をこれでもかと働かせ、防御を捨てることで抵抗される安心感を生み出そうと言う無謀な賭け。

 そう知っているからこそ、彼女が本気だという事はわかるが、愚策には違いなかった。

「暫し待て。食事の間くらい待てよう」

「えぇ、構いません」

 以上の経緯で以て、調理場戦争第二回戦、開戦の運びとなった次第である。

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