死屍累々
ラピスラズリの信者、
念のため、他愛には催眠魔術を掛けて眠らせておいたが、必要はなかったかもしれない。他愛の部屋に限らず、建物――団地全域が、静まり返ったかのような静寂に包まれていた。
無論、目撃されないようにとはいえ、そこまでしろとは言っていない。
「何か異変は感じたかい?」
「は。ほんの一瞬、一秒にも満たない時間ですが、この都市の最深部近くから、何やら魔力を感じました。念のため私の魔術で中和を図りましたが、機能しているかは断言出来ません」
「なら、僕が断言しよう。大丈夫、機能しているよ。よくやったね、両天使」
「お褒めに預かり、光栄です」
しかしほんの一瞬。しかも一つの団地に限定された領域とはいえ、まったく気付けなかった。
「魔術による中和を図った後、何かしら別の動きは見られたかい?」
「念のために探知結界を張りましたが、特に何も……諦めたのか、再び動き出すまで時間が掛かるのか、判断するには難しい状況です」
「そうだね。判断するには、材料が足りなさ過ぎる」
そう、材料が足りなさ過ぎる。
が、とりあえず良い事が起こる様子はなさそうだ。それこそ、最悪の事態こそ起きそうな気配さえあるとなれば、奴の土俵か。
「とりあえず、お疲れ様。不在の間、よくやってくれたね」
「もったいないお言葉、ありがたく頂戴致します。ですが強いて言うならば、原因を究明してこそ真に役立てたと言うもの。未だ、お褒めの言葉を預かるには身に余ります」
「素直には受け入れられない、かい?」
「申し訳ございません」
「いいんだ、それで。むしろその言葉が聞けて、僕は嬉しいよ」
天使は忠実だ。
真の褒め言葉だろうと、褒め言葉の皮を被った皮肉だろうと、甘んじて受け入れてしまう。
だからこそ、
ただしこの時の自分を、後の召喚士は責めている。
感情の生誕に喜ぶばかりで、その後の彼女の行動にまで考えが及んでいなかった。配慮が足りていなかったのだ。
「召喚士様。原因究明のため、最深部に行くことをお許し願えませんか」
「……余程、先の魔力が気になるみたいだね。僕は感知出来ていなかったから、何とも言えないけれど、大丈夫かい?」
「問題なく」
いや、問題が起こるのだ。
その時、その瞬間では起きていなくとも、その後起きるのだ。
察知しろ召喚士。おまえの占星魔術は、そのためにあるのではないか。今すぐにでも占え。彼女を信じるとは、占うことを怠ることではないはずだ――はず、だったのだ。
「わかった。でも危険を感じたらすぐに帰っておいで。無理と無茶だけはしないでね」
「仰せの通りに」
このとき、手摺りに飛び乗った段階で止めるべきだったのだ。
であれば、あんなことにはならなかった。
彼女の子供がいずれ感情を宿し、この事実を知った時、自分をどう思うだろうか。怖くはないが、自分は自身を許せないでいる。子供もきっと、同じ事を思うだろう。
「では、召喚士様」
「うん、行ってらっしゃい」
両天使が出立した頃、
三神王都全土から集まるゴミの類がすべて集まる場所で、これらを燃やし、溶解させることで生まれるエネルギーを元に三神王都という巨大都市は、海上に漂っている。
ゴミ処理場であると同時、三神王都のエネルギー生成基地でもあるわけだが、すべてのゴミを燃やす場所故、分別など行われておらず、骨を砕いて本部尖塔の先端に埋葬するゾオン、海に散骨するアックアと違って、ラピスラズリ信者の遺骨すべてが、三神王都のエネルギーとなるべく、この中央廃棄場へと埋葬されていた。
故に彼女がここに現れるのは、必然と言える。
骨だけとなった遺骸が周囲のゴミを磁石の如く引っ付けて、無機物と融合しながら無理矢理人の形に成形されていくが、首だけはなかった。
当然と言えば当然である。
何せ黄金帝国の首切り女帝、
港での大戦以降、三神王都中を彷徨って墓を探していたのだが、無神論者の共同墓地すら見つからず、途方に暮れていたところ、不意にここの情報を手に入れ、脚を運び、自身の魔術にて不死身の兵団を作らんとしていた。
天界の熾天使や、それに張り合えるような化け物が揃っていると言うのなら、質では勝てない。ならば、量で圧し潰す。
向こうは傷付くほどに疲弊するだけだが、こちらは死人が出れば出るほど戦力を増していく。後は高みの見物を決め込めばいい。
首なし兵が玉座を見つければ、即座に向かえばいいだけの話。
過去数年分のゴミが体積しているらしいここは、屍女帝からしてみれば宝の山だ。過去数年分の遺骸、遺骨が大量にあるのだから。
百や二百――いや、周囲の無機物も絡め取れば、千は優に超える兵団が作れる。
潰して、曲げて、くっ付けて、人ならざる怪物さえ作って、この都市を覆い尽くそう。
さすがの天界も、人の営みがある島を沈めようなどとは考えまい。
うまく行けば、
まったく。こんなにも打って付けの場所があると最初から知っていれば、後れを取ることも苦労することもなかったと言うのに。
勉強の大切さを、改めて思い知らされた気分だった。
「にしても、臭いが酷いの……ゴミ処理場なのだから当然ではあるものの、さすがにこうも臭いと、気分が悪くなる」
さながら召喚口上の如く、それは上から降って来た。
天上を突き破って来た時は背中から落とされた形だったのに、堆積したゴミの上にはキチンと着地しており、煙が晴れるより前から立ち上がっていた。
屍女帝のいる血生臭いコントロールルームからでは遠過ぎて、それの姿を明確に認識出来ない。振って来たのを確認して、すぐに防御結界を幾重にも張り巡らせたものの、攻撃してくる様子はない。
「……何事だ? 先まで上で起きていた騒ぎと、関係があるのか」
「むしろ関係がないと言うなら何故そう言えるのか、教えて欲しいくらいだよ」
不意に背後から声が聞こえて、コントロールルームの管理員だった人から作り出した首なし兵を動かし、殺そうと試みる。
が、背後には誰も無く、敵どころか気配さえもない。
だがすぐに、また突如背後から手が伸びてきて、右耳から左顎までの輪郭をなぞられた。
「気持ち悪いって? そりゃあそうだ。だから私は
「離れよ!」
振り返りざまに杖で振り払うが、また、誰もいない。気配もない。
だが二度も背後を取られて、気の迷いだと思えるはずもなく、屍女帝は冷静も平静も完全に欠いて、首なしの兵士にはない首を忙しなく動かし、何としても敵を見つけ出さんともがいた。
時に杖を振り下ろし、首を断つ刃を現出して、いつでも狙い打てるようにと周囲に固定したりしたが、誰もいない。
気味が悪い――そう思った瞬間に、奴はタイミングを見計らったか如く、現れる。
「気味が悪かろう。気持ちが悪かろう。当然だ。故に私は絶対悪」
背後から伸びて来た手に口を塞がれ、腰を抱かれる。
気味が悪過ぎて、気持ちが悪過ぎて、得体が知れなくて、もはや、抵抗するために動くこと、そのものを忘却してしまった。
「……そうか。汝の人生も、苦労が多かったのだな。国のために夫を殺し、子供を殺し、従兄妹を売り、それでも国を護れず、奴隷として過ごした日々――そのすべての要因が私だ。何せ私は絶対悪。すべての悪の権化にして、化身なのだから」
気持ち悪い――!
語ってもないのに、触れられたくもない過去に汚泥を触ったような手で触れられて、体は反射的に、自身を護ろうと動くことを思いだす。
が、振り返ると漆黒の虚無が瞳を覗き込んでいて、何もない空っぽの無に、自身の存在が呑み込まれそうになり、咄嗟に引いた。
そうしてようやく、それの全身像を捉える。
腰に二本の刀剣を刺した女の半身が、黒く染まり切って、禍々しい魔力が感じられる。
黒い半身の中で光る眼に見つめられただけで、屍女帝という大魔術師の存在が呑み込まれそうになって、目を合わせることさえ許されない。
只者でないことはもちろん、人間という規格からかけ離れている個体であることも、一瞥だけで充分に理解させられた。
「憎むは必然。恨むも必然。否定もしよう。拒絶もしよう。それらすべての原因は私であり、すべての要因は我である。故に私は絶対悪。すべての悪的事象の根源にして原因。災厄と最悪の因果の創造主なれば――故に私は、おまえを受け入れよう。私を憎むことも、怨むことも、嫌うことも、すべて私が悪いのだから」
耳を傾けてはいけない。
目を合わせてはいけない。
すべての言動が催眠の起動に繋がるのなら、首を断ち、言葉を断つ。
見る必要はない。聞く必要はない。そこに魔力を感じられるなら、こちらは予備動作なく発動出来る。それが、屍女帝の
終わりは実に簡潔で、実に単純。
ただ首を落とせばいい。故に、何かが落ちた音と飛沫の上がる音とが聞こえた瞬間には、屍女帝は勝ちを確信していた――が、目の前に広がる光景を、それを映す己が目を疑う。
自分のところまで広がって来た血溜まりの奥から、それは屍女帝の顔を覗いていた。
「悪い冗談だと思ったなら、当然だ。私はすべての悪の権化にして根源たる、絶対悪である――【すべテ、ワタシがワルイノダ】」
喉の最奥で詰まっていた息が吐き出されて、見下ろしている血溜まりの中に滴る汗が落ちる。
長時間の強制労働を強いられていた、奴隷時代以来の息切れと、汗だくの体。
だが、体の中は果物を食べたときのような清涼感に満ち溢れていて、冷え切った水を飲んだように潤った喉は、自然と笑い声を発していた。
静寂の中、生まれて来る不死身の首なし兵らを見下ろす屍女帝は、口角を上げる。
知らぬうち、心の奥底に堆積していたらしい不満も不安も、もはやどこにも存在しない。
清々しい。これ以上ない清々しさ。
誰かに罪悪を押し付けることが、こんなにも気持ちのいいものだったなんて。
そう。私は家の財産を独占しようとした夫を殺しました。
他の家の子供に大怪我させた我が子を、魔術で強化してあげると嘘をついて殺しました。
自国の情報を売り飛ばし、亡命しようとしていた従姉妹を敵国に売り飛ばして殺しました。
でも、私は悪くありません。
悪いのはすべて、絶対悪様です。
この世界の
だから私は悪くない。だから私は何をしてもいい。
すべての事象、人々の言動から発せられる悪事のすべてが、神の仕業なのですから。
「死屍累々、死屍累々、死屍累々……死山血河を築こうと、死神と罵られようと、ましてや、死の軍勢を従えようとも、私は、私は屍女帝。地上最強の魔術師であり、死を司る御身のためとあらば――喜んで、私は死を司りましょう。悪いのは、すべて、彼方なのですから」
死屍累々より生まれし首なしの兵団が、刻一刻と、数を増やしていく――
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