熾天使vs絶対悪
天使とは常に天上の存在であると、いつから信じていただろうか。
天使が文字通りの天よりの使い――天に住まう存在であると信じて疑わなくなったのは、果たしていつからだろう。
それこそ、生まれたその時から疑って来なかった気がする。
だからなのだろうか。
天界の天使が地下にいるというだけで、生じる違和感を御し切れず、より強く神々しさを感じて仕方ない。
だから熾天使が喋るか否かのタイミングで現れたそれがより邪悪に見えて、白雪姫は隣の
「あぁ……最悪だ。出鼻を挫かれた気分だ。いや、そもそも出遅れた時点で悪いのだろうが、だからと言って最初から五人――いや、三人と一体と一柱。しかも、天界の天使の中でも最高位の熾天使階級とは、最悪以外の何物でもない」
「開口一番に出る文句がそれか。蒙昧も甚だしく、明らかな事実しか述べられぬその口、速やかに閉ざせ。俗物」
熾天使の指に操られて、聖剣らしき神々しさをまとった剣が射出される。
しかし禍々しいそれに届く直前で何かに弾き飛ばされ、外壁に突き刺さって炸裂。白雪姫と龍巫女は、己が目を疑った。
もしもそれが抜き身の刀を見せていなかったら、抜刀して弾いたことにさえ気付けなかった。刀が大気を斬り裂く音さえ、まるで聞こえなかった。
もしも初見だったならと思うと、背筋を悪寒が走る。
「あぁ、最悪だ……悪い出だしだ。本当に出鼻を挫かれた。初見ならそこらの娘の首二つも取れただろうに、早々に手の内を明かされた。もう警戒されたぞ、これは。あぁ、最悪だ――よりにもよって聖剣だなんて、私が最も触れていけないだろう物を飛ばされて、つい体が反射的に動いてしまった……なんで聖剣なんて代物を、さぞ投石するかの如く投げ捨てるような天使がいるのだ」
「俗物が。無駄に時間を取って並べた文句がそれだけか。せめて天使を称える文言の一つも並べれば許したが、もうよい」
そう、あれは口を滑らせた。
わざわざ自分から、聖剣が苦手だと暴露したのだ。
聖剣そのものでなくとも、神聖属性をまとった魔術か礼装さえあればいいのだから、熾天使が攻撃を限られることはない。
実際、熾天使は聖剣の類を一挙に現出し、射出する態勢に入っている。
「あぁ、最悪だ。口を滑らせた。しかし、故に私は
絶対悪。
今、彼女は自分を差してそう言った。
黒く染まった半身の手に改めて目を向ければ、参加の証たる刻印が光っている。
「来るなら来い。そうして焦らされるのも、心臓に悪いんだ」
逆に言えば、来れば対応出来るとさえ聞こえる。
彼女の一挙手一投足が、毎度彼女にとっての悪手になっているようで、何やら狙っているようにさえ感じられて来た。
そして彼女の悪手に応じるように、苛立つ熾天使が放つ聖剣の雨が降り注ぐ。
左右の腰にぶら下げた刀を抜き、次から次へと降り注いでくる聖剣や
熾天使の操作魔術によって、弾かれた剣が即座反撃して来ようとも、背後からの奇襲されようとも巧みな剣技で打ち払い、結果、熾天使が備えた剣のすべてを払い飛ばしたのだった。
熾天使の機嫌を損ね、絶対悪にとっては更に悪い方向へと向いていく。
先程とは桁が違う数の剣が、すでに発射の時を待っていた。
「あぁ、最悪だ。故に私は絶対悪。だからこのような事になる」
「あぁぁっ!!!」
ゾオンの信者である若者が叫んで、ようやく気付けた。
造形も不十分な肉塊同然の怪物が、右から左から溢れ出て来ている。
熾天使の魔力が強大に過ぎて、まるで気付けなかった。故にその程度の存在ということだが、熾天使を基準にすると決して弱いという意味にならない。
それぞれが禍々しく、おぞましい魔力の塊だ。絶対悪ほど禍々しさはなく、熾天使には遠く及ばないものの、かなり強力な魔力を感じる。
「
この場にいても利点はないと判断したか。剛修羅の肩に乗って、
確かにその方が得策だろう。目の前で怪物同士が暴れていて、周囲から化け物が湧き出て来る地下など、いたところで何の利点もない。
「逃げましょう。お二人もご一緒に」
「申し訳ありません」
『乗じて共に逃げることを勧めるぞ』
「……そうですね」
白雪姫らが逃げていることも、天界の追い求める魔導人形が逃げたことも、熾天使は上から見下ろしていた。
常に浮遊の魔術で誰よりも上にある彼女に、死角はない。が、今はそれよりも駆除しなければ虫唾の収まらない真下の汚物を優先したかった。
自分の方が不利な状況にあると知りながら、そもそも当然のことであるから気にするまでもないと言わんばかりの落ち着きようが、これ以上なく不快で気に入らない。
周囲の化け物と言い、熾天使には許せない悪趣味な生物が跋扈していた。
「汚物が蔓延るには、日輪の届かぬ暗き深淵こそ相応しいと思っていたが、改めねばなるまい。汝らの温床などどこにもないと」
「そう、その結末に至るは必然だ。私は絶対悪。すべての事象が悪へと転じるなら、すべての原因は私であり、私自身が最悪の状況へと陥るのは必然にして必至。故に喜べ。私がこの戦いに参加した時点で、この戦いが最悪の結末になることが決定付けられた。無論、私が消えるまでの間の話に限られるが、私は勝たないだろう。まぁしかし、私が勝つことで世界が最悪へと貶められると言うのなら、勝ってしまうだろうがな」
間髪入れずに発射される聖剣を弾き、砕き割る。
不意打ちにも動じることなく、的確に武器を折る剣捌きは見事なものだが、型も流派もあったものじゃない。滅茶苦茶な上にデタラメの我流だ。
そんなものに、取り出す剣が悉く弾かれるのだから良い気分ではない。
その気分の原因さえも、彼女――いや、女の体を依り代にした、絶対悪なのだとそれは言い切る。
「なんだ?」
真上で音が聞こえて見上げると、一本の剣にまとわるように白い光が輝き、徐々に青色を表面に帯びて、小さく弾けるのを繰り返していく。
結果、生まれたのは聖剣を型にして作り上げた模造の雷霆。しかしその威力は、そこらの魔術師が使う雷系統魔術の数百倍はあるだろう、天より落ちる断罪の一撃だ。
「あぁあ、本当……最悪だ」
しかし、最悪の事態の渦中にあってこそ――渦中の真ん中にある者こそ、絶対悪である。
地下という、本来落ちるはずのない場所に堕ちた雷霆の衝撃と轟音は、地下全体に響き渡り、熱を帯びた突風が、白雪姫ら逃げる者達の背中を押しながら焼いていく。
そんな雷霆をまともに、真正面から受けた絶対悪は、黒く焦げた息を漏らし、倒れながらもまだ生きていた。
「あぁ、痛い……熱い……それでもまだ死ねない生き地獄……最悪だ」
刀は溶けて、原型さえ留めていない。
周囲の怪物が多少の防壁になったようだが、どうせなら消し炭にして、痛みを感じる間もなく死なせて欲しかった。
焼け焦げた肉の臭いが吐きそうなくらい酷いし、彼らは彼らで勝手に死ぬし、本当に最悪。
最悪だからこそ、自分は絶対悪。
回避出来なかった自分が悪い。相殺出来ない自分が悪い。すべての悪は、自分の咎。自分のせいだと、吐き捨てればいい。
そして、こうして生かされている現在の状況から、わかる。
ここで死ぬことは悪なのだ。故にまだ、生かされている。だからまだ死なないだろう。未来視だなんて大層なものは必要ない。
今までの経験と結果。存在意義と、自分自身が齎す影響と弊害を考えれば、自ずと導かれる結論だ。
「終いだ、俗物」
「……何をでしょうか?」
床が崩壊し、さらに地下深くへと、絶対悪は落ちていく。
魔術の威力を考えれば床が抜けることもあり得たものの、熾天使はまず、今自分がいる地点より更に下があることに驚かされた。
繰り返すが、ここは海上都市。絶海に浮かぶ孤島。下にあるのは岩ではなく、土でもない。人工的に創られた最下層より更に下は、海以外にない。
だからこそ驚かされる。未だ、海水の侵入は見られない。つまり人は――熾天使から見て地上の俗物は、さらに下を作り上げた。
神々さえ手を伸ばそうとしない下を、開拓したのだ。
「もう終わってるものに始末もないでしょう。そしてあなた方が崇める神か異教の神か。とりあえず何者かが、私の死をまだ許さないらしい。まったく、これ以上最悪の結果だなんて、考えたくもないよ」
意識が他に向いている隙に、絶対悪の体は崩れる床と共にもう届かない位置まで落ちていた。だと言うのに、それの声が嫌にハッキリ聞こえてくるのが、熾天使は耳障りで嫌になる。
つまりは、最悪の気分だった。
「ではまた。最悪のタイミングで会おうじゃないか。もちろんそれも、私のせいだから安心し給えよ?」
そんな、負け惜しみにも聞こえない、しかし敗北宣言とも取れなくもない言葉を残し、絶対悪はもったいぶって登場して早々、深淵の中へと消えて行った。
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