神に最も近い者
天上天下
地上で戦っていた二人の天使にとって、赤い落雷は予期せず現れた災害に等しく、赤雷が
熾天使自身は咄嗟に展開した盾で護られて無事だったが、盾は焼け焦げて灰と化し、もはや使い物にならない。
他の武装も、直撃を受けたものはどれも溶けてしまって、武器としての役割を二度と果たすことは出来ないだろう。
それでも未だ余裕だ。傷の一つさえつけられてもいない。
だが、赤雷は熾天使の逆鱗に触れた。
偶然だろうとなかろうと、天を司る神の遣いたる天使に、神の刃たる雷を向けることに対する不遜。ましてや地上の俗物が雷を御することさえ、彼女からすれば遺憾でしかない。
天上天下――天の上にも下にも生物は存在せず、天に存在を許された唯一の種族が天使だ。
破壊の雷霆も恵みの雨も、空を駆ける積雲も、風も、空も、星さえも、天使のみが許された領域なのだ。地上の俗物らが、興味本位で触れていい領域ではない。
「――!」
「邪魔をするな……」
彼女の怒りに反応したかのように、武器は隊列を組み替えて震え、震動によって一つ一つが雷鳴をまとい始めた。
「神の雷霆だ! あの御方はきっと、天上の神直属の御遣いなんだ!」
「なんと神々しい! なんと美しいお姿!」
もはや狂っている。
信仰するにしたって、自分達の命が今危険に晒されていることさえわからないのか。
雷霆の代行となった刃の大群を神の威光と捉えられるにも関わらず、一つ一つが大国対抗兵器に匹敵する破壊の一撃と理解できない矛盾。
信仰するなら知っているはずだ。崇拝するのなら知っているはずだ。
雷霆は、神が自らに牙を剥いた地上の蛮族に対して落とした、断罪の滅却であることを。
その雷霆に限りなく近しいまでの破壊となりつつある刃の群れが、一挙に降り注げばどうなるか、想像できないはずはない。
崇拝を捧げる神の威光が、今、自分達諸共に逆鱗に触れた相手を滅却せんとしていることに何故気付けない。
逃げろと言ったところで意味はない。このままでは戦争関係なく、海上都市そのものが滅ぶ。
「やめねぇか、熾天使! 俺とおまえだけ生き残っても、玉座がなくなったらまた選別からやり直しだぞ!? 時間の無駄だ!」
「俗物の尺度に私が応じるとでも?」
百近い数。
一つ一つが、大国破壊兵器に匹敵する威力を持つ雷霆の代行。
これを撃ち落とせるだけの魔力が、今の今まで彼女と対峙していた自分にはあるか。
「あぁっ、クソ!」
考えている暇などない。
せめて半分だけでも撃ち落として、被害を減らしてやると、銃天使が銃口を向けたとき、流星の如き速度と輝きをまとった何かが、熾天使の雷霆と衝突して爆散させた。
爆破の威力が大きく、銃天使は爆風に吹き飛ばされる。
片翼を羽ばたかせて着地しようと試みたものの、衝撃が強過ぎて屋上を転げ続けて、塀に背中をぶつけてようやく止まった。
熾天使は当然とばかりに動じていなかったが、雷霆を砕いた光の先を無言で睨んでいた。
人間の上半身と馬の下半身を持った人馬に、龍の特性を混ぜたような特異な獣が、煌々と燃え滾る焔の弓を握り締め、睨み返している。
距離にして、およそ一キロ半。視認できるにしても互いにゴマ粒程度にしか見えない距離だろうに、両者睨まれていることを自覚して睨み返し、熾天使は仮の雷霆を砕いた犯人の正体を、憤怒に燃える双眸で明確に捉えていた。
「
さながら怪物の咆哮の如く、怒りを剥き出しにした熾天使が叫ぶ。
両脇に二体の召喚獣を揃え、いざとなれば迎撃も拒まないと意思を示す。今まで朗らかだった表情が嘘のように消えて、緊張感に満ち溢れた鋭い目で熾天使を見上げていた。
戻って来た銃天使は、召喚士がいることに驚きを禁じ得ず、思わず固まってしまう。
無論、熾天使に対する警戒は絶やさなかったが、出すべき言葉が見つからない。
それを察したのだろう召喚士が、若干にだが銃天使へと微笑みを向ける。
「今回は僕が裁定者役なんだ。同族だからって贔屓はしないよ」
「……あぁ、今更だがあんたで安心したぜ。こいつの暴走を止められる可能性があるし、何より止めようとしてくれるからな」
他の天使が裁定者の役を務めようものなら、天界最強の熾天使を止めることなど出来ないし、止めようとも思わなかっただろう。
召喚士なら止められる可能性もある上、何より止めようと動いてくれること自体ありがたい。
「召喚士。貴様、最初からこのつもりだったのか。それとも、あの玉座に座る俗物らの考えか。私を止めるため、裁定者としてこの戦場に入ったと言うのなら、理解できん。何故地上の俗物相手に、そこまでする!」
「何、特別な理由はないさ。ただちょっと、もったいないと思っただけさ」
「何がだ。俗物の命に価値などあるか。自分より小さな生命体を踏み潰しながら歩いていることをいちいち気にしている生物がこの世にいるか? それに――」
「彼らは喜んで死ぬと、そう言いたいんだろう?」
熾天使じゃなくとも、彼らの様子を見ていればその結論には至る。
自分達を巻き込むだろう雷霆を向けられて、恐怖するどころか歓喜して、逃げることも隠れることもせずに祈り、崇めてすらいる彼らの姿を見れば、誰だって思うはずだ。
唯一、熾天使は彼らに同情しないし同調しない。
行き過ぎた崇拝と信仰に冒され、本来の防衛本能さえ機能しなくなるほど狂ってしまった彼らを可哀想とも思わないし、気持ち悪いとも思わない。
ただ嫌いなだけだ。生理的に受け入れられない。
彼女の上にも下にも、地上の誰も存在しない。唯我独尊。
召喚士は、ずっともったいないと思っていた。
生理的に受け入れることが難しい相手がいても、おかしいことではない。
むしろ誰もかれもが好きだなんて言う人こそ、誰も好きではないだろうし、傍から見れば気持ち悪く見えることだろう。
だから、地上の生物すべてを俗物と呼んで嫌う彼女の姿は、時折清々しく感じることさえあるが、同時にもったいないとも思っていた。
天界最高戦力。生まれ持った才能を駆使し、他を寄せ付けず圧倒する天才。
だが、彼女の世界は彼女の中だけで終結しており、彼女の世界を構築しているのは、天界という空に浮かんだ大陸一つ分だけ。
地上にも、彼女が興味を持つだろう知識や習慣、魔術など、たくさんの歴史があるだろうに、それを知らずに毛嫌いしてただ壊すのではもったいない。
彼女がこれ以上強くなる必要性こそないだろうが、彼女にはより見聞を広めて欲しかった。
それこそ、これから生まれるだろう天界の天使達に、語り聞かせてやれるくらいに。
否定するにも、否定するだけの根拠を持てる
「熾天使。君にとって、この海上都市を文字通り海の藻屑に変えることは造作もないことだろう。けれど考えて見て欲しい。君よりもずっと脆弱でか弱い、君が言うところの地上の俗物達が、時間を掛けたとはいえ、一つの都市を海に浮かべたんだ。これは果たして偉業と呼ぶに値しないだろうか。そこまでして彼らが何を護りたかったか、知る必要はないだろうか。彼らがどんな術を使って、都市一つを丸々浮かべられたか、興味は湧かないだろうか。君にとっては、地上のすべては蹂躙するだけのものだろうか。一瞬、この一秒でもいい。疑問にして、考えて見てくれないか。そうした上で、結論を出してくれないだろうか」
召喚士がここまでして、誰かを説得しているところなど見たことがなかった。
銃天使が知る限り、玉座に座る過去の歴戦の勇士達でさえ、召喚士の話術を疑問に思うことなく受け入れてしまうし、そこに熱量は生じない。
説得ではなく、提案で事を解決できる。召喚士という天使にはそれだけの知識と知恵があると、いつの間にか思い知らされていて、勝手に納得して提案を受け入れてしまう。
だから新鮮だった。彼がここまでの熱量で以て、彼女を説得していることが。
だが、同時に不安でもあった。
いつもの調子ではないが故に、いつもとは違うが故に説得力を欠いていないかと。その場の勢いだけで誤魔化そうとしていないかと。
今までに感じられていた余裕を感じられなかった分、怖かった。
「この都市に……私が見るだけの価値があると? この都市を造った俗物らの技術に、私が関心するだけのものがあるというのか」
「僕がただ解説して、説明してやるだけなら、天界でも出来る。だけど君は今、数十年ぶりに地上にいる。天界の最高戦力たる君が、このような形とはいえ、地上に降りられるなんて滅多になかっただろう。これは好機だ。君の目で地上を見て、聞いて、学んで、見聞を広めて欲しい。今後の天界がより一層の発展を遂げるためにも、君が無知でただ壊すだけの存在であってはならない。それこそ君が嫌う、地上の俗物と同じになってしまう。だから――」
ずっと腕を組み続けている手から、力が抜けた。
自分自身で強く掴み過ぎて、いつか骨が折れるか肉が千切れるかするのではないかと思っていたくらいだったので、ただ手から力が抜けただけだというのに、どこか安堵した自分がいたことに、銃天使は気付いていた。
遅れて、隊列を組んでいた武器が一斉に消える。
納得している表情ではない。未だ双眸には憤怒の炎が燃え続けており、殺気も肌を突かんとばかりに伝わってくる。
が、とりあえず、都市諸共に破壊することだけは踏みとどまってくれたようだ。
「私が俗物に価値を見出す可能性はない」
「これからこの都市を調べた後でも、君はそうだろうね。けれど調べた後に言ったのなら、きっと意味合いは変わらなくとも、別の意味が含まれているはずさ。きっと、ね」
「得意の占星魔術か……相変わらず、得体の知れない奴だ」
彼女は風のように消えた。
が、いなくなったわけではない。
彼女の魔力は、気配は、ずっと真下にあった。
天界の最高戦力たる天使が、初めて地上より下へと向かったのが果たして正解だったのか否か。熾天使が気味悪がっていた占星魔術など、実はこの都市に降りてから一度も使ってない召喚士は、知らなかった。
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