天地震動の咆哮

 天上を突き破って落ちて来た巨大な肉塊と、それと対峙する少女を乗せた巨躯の戦士。

 戦士が剣を振るっている姿を見れば、剣撃で彼らが戦っていた床が抜け、白雪姫しらゆきひめらのいる下の階に落ちて来たと見るのが妥当。

 しかし戦士と対峙する漆黒の肉塊が余りにも巨大で、尚膨らみ続けているものだから、それの重さで床が抜けたとさえ思った。

 龍巫女りゅうみこの体を借りた海神が射殺した怪物の上に、圧し潰す形で落ちて来たそれを肉塊だと認識は出来たものの、誰も生物だとは思えなかった。

 それが生物だと――ましてや生きていると認識出来たのは、肉塊が勢いよく収縮し、人の形に収まってからだった。

 どのような魔術を使ったのか。初見の肉塊からはとても想像できないほど痩せこけた細身の老人が、切れた頬から滴る血を舐め取り、ほくそ笑む。

「ふぇ、ふぇ、ふぇ……思っていたより、やりおるわい。本来倒すべき魔術師と、対峙することさえ出来なかった木偶の某が」

「その木偶の某相手に、防戦一方なのは誰なのかしらね。お爺さん?」

 獣の如く低く唸る剛修羅ごうしゅらの代わりに、肩に乗る重複者じゅうふくしゃが老人を煽る。

 わかり切った挑発に乗る様子こそなく、余悠然として笑うだけの老人――にくづきであったが、直後、頭を抱えていた片腕だけが異様に膨れ上がり、巨大化した拳を振り下ろした。

 重複者は逃げることも護ることもせず、ただ剛修羅の太い首に掴まる。剛修羅は一時的に剣を突き立てると、振り下ろされる一撃を受け止めて跳ねのけた。

 肥大化させた腕の重さで重心が崩れたか、弾かれた月は後ろによろめく。すぐさま腕の大きさを元に戻すが、すでに遅い。

 突き立てた剣を取った剛修羅の突進に突き飛ばされて、更に体制を崩されたところに剣を振り下ろされる。

 肩に深く刀剣が減り込み、確実に仕留めたと誰もが思ったが、剛修羅だけは彼の体に食い込んだ剣を放して飛び退いた。

「ふぇ、ふぇ、ふぇ……さすが戦うために作られただけあって、勘がいいのぉ」

 剣が、ゆっくりとだが体から抜け出ていく。

 そもそも振り下ろされた剣は、月の体に刺さっていなかった。振り下ろされた剣の重みで月の体が、さながら粘土のように変形しただけで、元に戻っていく過程で剣が押し出され、落ちる。

 足元に落ちたそれはいらないとばかりに無視して、月は周囲を見回す。

 ゾオンの使者、白雪姫、龍巫女。みゃくが感知した侵入者が、こうも一か所に集まっているとは思わなかった。

 送り込んだ刺客は、ほとんど機能しなかったと思われる。

 ただしゾオンの連中はいいとして、他二人は此度の戦争の参加者に選ばれた魔術師。それくらいの実力があって当然というところか。

 だが今は、その二人でさえどうでもいい。彼女らを遥かに超えるだろう怪物と、対峙しているのだから。

「剛修羅、大丈夫?」

 返答こそないものの、普段通りの低い唸り声が問題ないと示す。

 まだ行けるようだが、重複者には未だ、月の魔術を解読できていなかった。中で騒ぐだけの人格達も、騒ぐ割りに何も知らないので余計苛立つ。

 何より、重複者は個人的に月のことが生理的に受け入れられなかった。

 老齢な人格も彼女の中にはあったものの、月はそれらにはない気味の悪さと気持ち悪さがあって、何より腐っているような臭いがする。

 単なる加齢臭ならまだ、歳のせいと理解もしよう。だが、彼から臭うのは肌にこびりついた酸化した血の臭い。肌のシミも、浴びに浴びた他人の血がこびりつき、取れなくなった跡だった。

 そんな顔でグチャグチャに皺を歪ませる老人の笑顔が、重複者は嫌いで嫌いでたまらない。

 ここまで誰かを嫌いだと感じたのは、初めての経験である。

 だからこの老人の人格は欲しくない。

「ふぇ、ふぇ、ふぇ……そらどうした? 理性を失った獣と人格を持った人形如きが、いくら考えたところで意味もなかろうに」

「余裕ぶって……まぁ、笑ってられるのも今のうちでしょうけど」

 剛修羅に下ろして貰い、三歩程度の距離を下がる。

 誰にも聞き取れないくらいに小さな声で彼女が囁くと、剛修羅の筋肉が漆黒に変色しながら膨れ上がり、金色の雷電を発し始める。

 彼女を支えるため収めていた剣を抜くと重心を前方に傾け、前傾姿勢のまま飛び出した。

 一瞬で月のすぐ横に回り、わざと大振りの剣撃を振り下ろして回避させると、落ちていた剣を拾いあげて踏み込み、さらに斬り込む。

 先ほどと同様に体が粘土のように柔らかくなって、月の体に傷さえ与えられないものの、衝撃は充分に老人の軽い体を吹き飛ばす。

 老人らしからぬ軽快な動きで態勢を立て直し、壁に足がついた瞬間に床へ跳んで、追撃してきた剛修羅の剣を躱し、そのまま壁を斬り裂きながら踏み潰してやろうと落ちて来た剛修羅の背後を取って、片腕で首を絞める。

 細い腕を深く入れたあと、筋肉を膨れ上がらせて気道を塞がれる剛修羅は振り払おうともがくが、月の腕はより太くなって首を絞めてくる。

 剣を放した剛修羅は首を絞める腕を握り潰すが、月に反応はない。そのまま、さらに力を籠めて首を絞めようとする。

「どうしようと言うのですか」

 一歩踏み出そうとした白雪姫を、龍巫女が呼び止める。

 何故問いかけると問う白雪姫の目に、龍巫女もまた、何故そんな問いを何故するのかと語る眼差しで返した。

「あれは魔導生物兵器で、この戦いの参加者。同じ参加者なら、助けるよりもあの老人に加勢して倒す方が賢明ではないのですか?」

「他人の死を願えと仰るのですか?!」

「ですが、あなたにも願いがあってここにいるはず。それは他人の死屍を踏み越えなければ手に入らない。違いますか」

 違わない。

 確かに強制的に参加させられたが、願いはある。この戦いに参加した以上、自分の命は狙われるし、狙われる以上は応戦しなければなるまい。

 しかし、だからここで何もせずただ傍観して、見殺しにするのは違うと、白雪姫の中の何か――道徳的なものが叫んでいた。

「私の願望は、目の前で人を見殺しにしてまで、手に入れたいと思うものではないのです」

「大丈夫よ」

 と、また別の角度から制止を受ける。

 まさか彼女から話しかけられるとは思ってなかったため、白雪姫は驚いた。自分達の方に一瞥もくれなかったから、興味さえないと思っていたのである。

「剛修羅は、あなた達より強いもの」

 重複者の言葉通り、直後に状況が変わる。

 今まで静電気程度の量で、剛修羅の体から発せられていた電気が徐々に太く眩くなって、電光へと変わる。

 それでも足りないとさらに太くなり、大気を震わす震動が肌で感じられるようになったときには、雷電へ変貌を遂げて自身諸共、月の体を焼いていた。

 直前、月が状況を見て逃げ出そうとした瞬間があったものの、逃げ切れなかったのだろう。雷電の速度に敵うはずもない。

 何より強い力を籠めて首を絞めていた腕が雷電を受けて痺れてしまい、逃がすまいとしていたはずが、逆に自分が逃げられなくなってしまったのだった。

「なんて魔力量っ……!!!」

 先ほど、肉塊と化していた月が落ちて来た際に圧し潰した怪物の残骸が、遠くから伸びて来る雷電を受けて焼け焦げているところから見ても、龍巫女が学園で習った炎系統の魔術よりもさらに強い熱量が発せられているのは明白。

 何より雷電を直接浴びずとも、震える大気を受けているだけで全身を駆け巡る衝撃は大きく、ダメージと呼べるものこそないものの、ずっと肩を掴まれて左右に揺らされているような感覚がして酔いそうになる。

 龍巫女やゾオン信者らが雷電の直撃を受けまいと堪える中、助け出そうとしていた白雪姫はまた、別の理由で踏み出せずにいた。

 自身を避雷針として、敵を滅却する大規模雷電魔術。その詳細から起動式まで、彼女は知っていた。

 何せ彼女が憧れ、焦がれる騎士王国にて最強とされる女騎士の称号を引き継ぎ、現在七代目となる騎士が操る最強の魔術として、勉強していたからである。

 魔術の名も、言うまでもなく知っている。

 天空に潜む王の激昂。天地を揺るがす憤怒の咆哮。万物滅却の赤雷の名を――

「“偉大なる大王の憤怒エリクサンダー”……」

 月が何か吠えている様子だったが、雷電に掻き消されて聞こえない。

 直後、地下であるにも関わらず落ちて来た赤雷に剛修羅と月が焼かれ、裂かれ、焦がされる。

 この魔術を使う七代目の騎士は、攻撃力よりも防御力の方が優れており、自らの操る雷霆を超える防御魔術を重ねて掛けることで耐えるのだが、それでも受けるダメージは大きく、周囲への被害も甚大だ。

 何せ焼けた細胞は炭化して再生することがなく、焼き尽くされた大気の中、呼吸さえもままならない。故に諸刃の剣として、彼女は戦いの中で二度しか使ったことがないというけれど――

「――っ!!!」

 考えるより先に、体が動いていた。

 炎が一瞬で目の前を走り、高く燃え上がって壁となる。直後、それらが一瞬で凍って、雷電から身を護る盾となった。

 氷壁は透明故、剛修羅の様子も月の様子も見える。すでに相当の雷撃を受けているはずだが、両者共に屈しない。

 月が首を絞めて落とす、もしくは首の骨を折るのが先か。

 剛修羅の雷霆が彼を焼き尽くすのが先か。

 だがそのまえに、自分達が殺されてはたまらない。白雪姫は念には念をと、重ねて氷壁を張って皆を護る。

 案の定、激しさを増していく雷電が次々と氷壁を砕いていき、破壊と創造の競争までもが始まった。

 だが相手との魔力の差も大きく、何より元々の魔術の規格が違い過ぎて、先に氷壁を展開していたのに追い付かなくなっていく。

 ついに最初に作った氷壁が最後となったとき、背中に押し当てられる二つの手があった。

 ゾオンの信者が二人、背中を押す手を通じて魔力を送っている。

「すみません! これくらいしか助力できませんが!」

「あんたしかいないんだ、頼む! 頼むよ!」

「はい! ありがとうございます!!!」

 おまえはやらないのか。

 そう問うたのは、内にいる海神でないことを、龍巫女は自覚していた。

 が、先に自分で言った通り、これは殺し合い。何より叶えたい願いもない自分には彼女達を助ける義理も理由もなく、ここから一人逃げ出してしまえば、自分だけ助かる。

 状況は、自分にだけ都合が良かった。

――仮に生き残ったとして、なれに行先はあるのか

 数時間前、生まれたばかりの海神と名乗る、生物ですらない概念に言われた言葉を思い出して、勝手に深い衝撃を受けた。

 果たしてここで生き残って、意味はあるのか。願いのない自分に、果たして、逃げた意味を問われた際の回答を持ち合わせているか。

「学園で習う程度の稚拙な結界ですが、強化しましょう」

 白雪姫の氷壁に、龍巫女の魔術陣が重なって白銀に輝く。

 今ここで彼らを助ける理由は確かにないが、見捨てる理由もまたなかった。何もなかった。

 助けられたなら少しは気分がいいだろう。その程度の天秤で、彼女は今ここに全力を注ぐことを決めた。

「ありがとうございます!」

『礼には及ばぬ』

 と、勝手に海神が返したが、自分では何も出てこなかった。

 特別助けたいわけではないけれど、助けた後の心持を理由に助けたい、だなんて、今目の前で全力を注ぐお姫様に言う勇気は、龍巫女にはなかったのである。

『さぁ、一瞬たりとも気を抜くな! 力を抜くな! 魔力を絶つな! 抜けば諸共灰燼と化すと思え!』

 海神の鼓舞を受けて、全員が踏ん張る。

 ただ一人、氷壁越しに赤雷を受ける剛修羅を見つめる重複者だけは、別の方へと意識を向けていた。

「この程度の雷電……! わしを焼き尽くすにはまだ足りぬわ――!」

 月にとって、ある程度の雷電は肉体の創造と破壊をより早く循環させることで耐え抜ける障害であり、剛修羅の首を自分がへし折るのが先だと思っていた。

 が、そう思い込んでいた意識が混濁する。目眩や頭痛と言った、病的症状ではない。自分の中に異物が――自分ではない誰かが入り込んだような感覚。

 自分ではない誰かが、自分の中にいる。それらが一斉に違う意見、論争を続ける喧騒は、彼の脳内で高速で循環し、彼を酔わせた。

「“人は孤独では生きられぬアナスタシア”」

 人格を奪い、操るのではなく、人格を一方的に与えるだけの魔術。

 簡単に言えば、多重人格者を作り出す魔術だが、多重人格など作ろうと思って作れる代物ではない。一挙に大量の人格が投入されれば、自我を失い、やがて精神内部で人格同士の自我の争奪戦が始まる。

 剣もなければ銃もなく、魔術さえもない頭の中の闘争は、永遠無限の地獄。それらが行われる脳では、高度な魔術など維持できるはずもない。

 結果、筋肉の収縮と膨張、強化、柔軟化と多彩な魔術を駆使していた月の体は一瞬で年齢相応に萎み、雷電に抵抗する術を失って焼き殺された。

 雷電が弾け、魔術が収束すると、無傷で立ち尽くす剛修羅へ、重複者は氷壁が砕けてすぐに抱き着きに行く。

 強姦犯罪者に強盗殺人者と、厄介な人格を七〇ほど放り込み、気色の悪い老人ごと灰燼にした重複者の心持は、今、爽快真っ只中であった。

「ありがとう、剛修羅」

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