海神の弓・凍てつく炎獄

 最近、若い信者が立て続けに行方を眩ませる事件が頻発しており、幹部はこれらの調査を命じて来た。

 少しでも投資金を増やして、ゾオンだけの国を手に入れたいらしいが、おそらく信者の家にはもうびた一文残ってはいまい。

 信者のいない家など、団体からしてみれば鍵のかかってない金庫と一緒だ。何より盗まれたとしても、それが神々のためとなれば憤慨どころか嘆くことなく、喜んで差し出すだろう。

 自分も信者で、それも幹部を務めている身だが、さすがに盲信も過ぎると思う。

 苦しみから逃れるために誰かに祈り、自分達よりも遥か高位の存在に護られていることに安心を覚える感覚はわかる。

 が、そのために自分が生きるのに必要な物資をすべて差し出してしまっては、自分が生きられないということにさえ気付けないまでに盲信するのは、行き過ぎていると思う。

 信仰は、生きるためにあるのだから。

「見るからに怪しいところに入りましたけれど、三神王都さがみおうとにこんな地下みたいな場所があるなんて、知りませんでしたよ。だってここ、でしょ?」

「そりゃあ、あるさ。だけど、ここは俺も知らなかった。アックアかラピスラズリか……どっちかの秘密の集会場かと思ったが、どっちでもなさそうだな」

 ゾオンも例外なく、三神王都にある三つの宗教団体は、自己主張が強い。

 絶えず権力争いをしている状態なので、自分達の場所であればこれ見よがしに団体のシンボルマークが刻まれた旗だったり、独自に開発した魔術陣の劣化版であったりと痕跡を残す。

 だが今通って来た道中のどこにも、それらしきものは見られなかった。海上都市では希少な無神論者の旧アジト、と言った様子だ。

 薄暗いが電気は通っているし、水気もある。隠れ家にするには、これ以上ない物件だろう。

「しかし……うぇ、気持ち悪い魔力だな。こんなとこにずっといたら気が狂っちまいそうだ」

 魔力感知に長けた信者が、わざとらしくも苦しそうに舌を出す。

 しかし魔力云々抜きにしても、漂う空気は進むごと喉を焼き、首を絞めてくるほど淀み、穢れているように感じられた。ただここにいるだけで、寿命が倍速で減っていきそうだ。

「さっさと要件済ませて、帰りましょうよ」

「言われるまでもない。だけど漂ってる魔力のせいで、進めば進むほど感知しにくくなってる。さっきまで大量に集まってる魔力を感じてたが、今はロストしちまった」

「大丈夫なんですか、それ」

「任せろ。マップは頭に入ってる」

 と、自慢げに頭を小突いているが、裏を返せば彼以外に基地の内容を把握している人間はこの場にはいないということでもあった。

 彼自身は理解し切れてない様子だが、彼を死守しなければ帰ることさえ出来ないかもしれない状況に、他五人は息を呑んだ。

「とりあえず進もう。事態の把握もしないまま、戻る訳にはいかない」

 不安に駆られるが、進まねばならない。

 今回の目的は事件の真相の把握。出来なかったとしても、進展はさせねばならないのだから。例えこれが形式上の捜査だとしても、やるべきことはやらなければならない。

 が、状況は予想を遥かに超えて、惨状と惨劇が繰り広げられていた。

「なんだ、この惨状は……!」

「おえぇぇっ!!!」

「おいおい、大丈夫かよ」

 六人の中で一番若い青年が隅に駆け込んで嘔吐する。

 目の前に広がる原型を留めていない肉塊。潰された臓物。それらから発せられる鉄臭い血の臭いと、充分過ぎるくらいに吐き気を誘って来るから、嘔吐しても無理はない。

 現に他の五人も嘔吐はしないまでも、充分に悪寒に背中を撫でられていた。

「もはやうちの奴らかどうかもわからないな……影も形もねぇとは、まさにこのことだな」

「あぁ。だが、この惨状は報告すべきだろう。最悪、三つの団体同士の全面戦争にもなりかねない事案だ。誰がやって誰が犠牲になったのか。首謀者は誰なのか。解決するかどうかはわからないが、当分水掛け論が続くだろう」

「じゃあ水掛け論が始まる前に、とっととここを綺麗に洗い流して掃除――」

 ぱぁん、

 と、水風船が割れたような破裂音。

 突如聞こえた音に振り返った全員が見たものは等しく、今の今まで連れ添って歩いていた仲間の頭が弾け、心臓が押し出す鮮血を首より噴き出す様だった。

 部屋の隅で嘔吐していた青年は、さらに胃液を嘔吐。他も言葉を失った。

 仲間を殺した敵が人間であるなら憤慨し、即座に殺しに掛かったろうが、頭を失って倒れる仲間の後ろに立っていたそれの異形を見てしまっては、跳び込む勇気も湧いてこない。

 四本の腕に生えそろった鋭い爪。蝙蝠のような膜のある翼を広げ、飛び上がったそれは横に開く三つの赤眼で五人を見下ろし、急降下。

 嘔吐していた青年と、隣にいた信者を右に生えている二本の腕で貫いた。

「あ、っぁ……!」

「に、逃げ、ろ……っ!」

「――逃げるぞ!」

 遺言となってしまった警告に従い、残った三人で走り出す。

 背後には目を向けず、ここまでマッピングしてきた信者が魔力感知で絶えず感知。

 衝動も本能もなく、機能的かつ機械的に殺戮する悪魔の存在を背後に感じながら、三人はひたすら来た道を走って戻る。

「なんなんですか?! なんなんですか、あれ!!!」

「知るか! とにかく走れ! 三人の犠牲を無駄にするな! 下り階段は飛び降りろ! 上り階段は一段飛ばして駆け上がれ! 他は全力で走れぇっ!!!」

 魔力を感知したのだろう。先程までの余裕はまるでなく、唯一帰路を覚えている彼が大声を上げながら先頭を走る。

 下り階段を飛び降りて、上り階段を一段以上駆け上がり、他はひたすら駆け抜ける。先導する彼が有言実行する後ろで、二人も習って飛び降り、駆け上がり、疾走する。

 最後尾を走るリーダーは、追い付いてくる悪魔迎撃の魔術起動のため魔力を籠めていたが、初見の印象から通用するかどうか不安だった。

 そもそも生物なのかさえわからない、異形の姿。

 亡国の魔導生物兵器の中には、あれと同じく腕が四本ある者もいたというが、今回の戦いで参戦している剛修羅ごうしゅらは人並み外れた巨躯ながら異形ではない。

 となれば、悪魔の正体は剛修羅ではない別の怪物。誰かに操作されており、しかも全団体の全教徒が標的であるならば、ゾオンだけでなく三神王都全体に対する脅威。

 もはや。この事態を、あの悪魔の存在を出来る限り早く知らせなければ――

「そら、もうすぐ広いところに出る! それまで頑張――!?」

「あぁぁぁっ!!!」

 悲鳴が響く。

 血飛沫が飛び散って、頬を濡らす。

 心底恐ろしいのに、目の前で繰り広げられる惨状から目が離せない。

 蜥蜴のように四つん這いに這う怪物が、亀のように首を長く伸ばして先頭を走っていた男の胴体に噛み付いて、強靭であるのだろう歯で噛み砕き、両断した。

 爬虫類のような体には似合わない人面が、噛み砕いた肉と骨をグチャグチャにしながら咀嚼し、大きな月賦を吐き出す。

 彼のすぐ後ろにいた信者はその場で腰が抜け、粗相をしてしまっているが気付いていない。

 ただただ怖くて恐くてこわくて、とにかく震えることしかできない。

 前からも後ろからも怪物。道順を知っていた信者も今、嚙み殺された。逃げ切るのはほぼ不可能だ。奇跡に縋ったとしても、五体満足では済まないだろう。

「……俺が時間を稼ぐ。その間に逃げろ」

「で、でも――」

「いいから、早く!」

 悪魔を倒すために籠めていた魔力だが、解放するしかなかった。

 まず倒せるかどうかもわからないし、倒せたとしてもどちらか片方だけだろう。それでも二人一緒に逃げるのは限りなく不可能だ。

 なら調査隊を任せれた身として、四人を死なせてしまった罪滅ぼしとして、自分が引き受けるのが相場だろうと考えるのは、彼にとって自然なことだった。

 が、その判断は遅かった――と言っても、間に合わなかったという意味ではない。

「騒がしい」

 男が魔術を起動するより早く、怪物が門番の如く通せん棒していた部屋の奥より放たれた矢が怪物の首を順に貫き、後頭部を射貫いて沈黙させたのである。

「喧噪なる咀嚼音である。仮にも龍に近しい形を取るのならば、誇りを持って在るべきだ。龍は生物の世界にて頂点につ存在なれど、信仰を喰らう存在に非ず。故に沈黙せよ。首を垂れよ。海神の断罪を受け入れよ――疾く、消え去るがいい」

 悠々と、階段を一段ずつ牛歩で降りる弓兵は、言動が不一致していた。

 いや正確には、姿

 降りてきたのは、まだ幼ささえ感じられる少女。しかし操る言葉は、年月をかけて熟された重みさえ感じるほど老齢。

 言動不一致とさえ思わせるほど、彼女は見た目と中身が違っていた。

「まったく、有象無象が湧いて出よる。形も魔力も異なる異形なれど、どいつもこいつも。もはや自身が死んでいることさえ理解し得ないだろう頭で、こうも喚くか」

「――って、私の体で物騒なことを言わないでください!」

 突然の変化――いや、変異に驚く。

 一瞬にして言動と外見が一致したかと思えば、少女は自分の中身に対して、怒りの籠った眼差しで睨み始めた。

「何度言えば理解して頂けるのですか?! 私の体で、物騒な物言いはやめて頂きたいと、再三言っているではないですか!」

『すまぬ。湧いてくる有象無象の多さに苛立っていた。特別今のは龍の親族に近しい形をしていたため、我慢ならなかった』

「本当にもうやめてください! 護ってくださるのは嬉しいですが、自分自身の口から出ていると思うと怖い言葉ばかり並べられると困ります!」

『ウム……』

 傍からでは、彼女一人が大声で独り言を言っているようにしか見えない。

 しかも誰かを相手に喋っているような口調だから、尚の事近寄りがたい気配を感じてしまう。

 しかし礼は言わなければならないのだが、まだ後方から悪魔が迫っている――はずだったのに、悪魔はいつまで経っても追って来ない。

 というか、熱い。いや、寒い。

 熱と冷気と、正反対の温度が連続して肌を撫で、体温調節機能を混乱させる。

 直後、二人の側を通過したものから冷気を感じたものの、転がったそれは燃えていた。

 三人を虐殺した悪魔だったのかもしれないそれは、凍える炎で燃えていた。黒く焼け焦げているのに冷たい、本来あり得るはずのない青き炎獄に焼かれて死んでいる。

 矢を放つ少女の方は初見だったが、幹部の男は二律背反を成す炎に見覚えがあった。

「あれ、あなたは、確か……」

白雪姫しらゆきひめ様。また会えるだなんて、光栄です」

 彼の言葉で、朧気だった記憶を明白にさせる。

 屍女帝しじょていとの戦いの後、自分達と一緒に来て欲しいと言いながら、断り立ち去った自分に応援の言葉を投げかけてくれた男性だと、完全に思い出した。

 そして周囲の状況を見て、小さく短く吐息する。

「また、間に合わなかったのですね……私は」

「何を言います。間に合ってくださいました。今こうして、私達は生きている。助けて下さったことは結果の上ででしょうが、それでも私達が助かったことは紛れもない事実。だから礼を申し上げます。ありがとうございます、白雪姫様。そちらのご令嬢も」

「ご、ご令じょ、う……?」

 生贄風習が未だ根付くような田舎出身の彼女――龍巫女りゅうみこは初めて自分に向けられた二人称に対する返答が出来ず、あわあわとなる。

 『堂々とすればよい』と海神に言い切られたが、彼の場合のは自分の中のそれと大きくかけ離れていたため、無言却下した。

「とにかく、ここは危険です。早く外に出たいのですが、如何でしょうかお二人共」

 いつまでも自分を責めているわけにもいかないと、白雪姫は首を振る。

 せめて助けられた彼らだけでも地上に送り届けようと決めたとき、空が――天井が割れた。

 天変地異さえ疑った四人の下へと落ちて来たのは、巨大な肉塊と、肩に少女を乗せて巨剣を振るう狂戦士、剛修羅。

 天上崩落の音さえ掻き消す咆哮が反響し、地下全体に轟いた。

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