天界の聖槍
少年には両親がいた。
無口な父親と、口うるさい母親。
いつも喧嘩ばかりしていて、それでも何故か仲がいい。
なんで結婚したのかと聞けばお互いに、さぁなんで結婚したんだろうねと、同じ言葉を返す平々凡々な家庭の、ごく普通の家庭にいるような、特筆すべき特徴もない立派な両親。
ただし他の国にいれば、一つ特筆すべき項目がある。
両親は信仰者だった。
神の使い。天を駆ける
この戦争開始からずっと、界人と像の重なる天使の参戦に喜んでいた両親は、迷うことなくゾオンの方針に従い、貯金していた財産のすべてを父が銃使いの天使に、母がいくつもの剣を操る天使につぎ込んだ。
そして少年も、誰を応援するかは決めていた。
開幕と同時に宣戦布告した、
宣戦布告できるだけの自信と、それに伴うだけの周囲を圧倒する実力。
彼女の立ち居振る舞いは、年頃の男子にとって憧れのそれだ。故に少年が彼女を応援するのは、必然とも言えた。
そして近くで彼女が戦っているとあれば、ゾオンの信者である以前に、年相応の好奇心と強い憧れとが少年を迷いなく現場へと向かわせた。
周囲の人々と同じ方向、角度を少年は見上げる。
戦っている熾天使を見つけ、興奮から跳ねる鼓動はそれこそ、熾天使の戦う空に到達するほど高鳴って、見つけた瞬間から見入ってしまっていた。
曼荼羅の形に似た隊列を組む、無数の刀剣。槍、戦斧、杖――武器となるもの、命を刈り取れるものが隊列を組んで、彼女の背にて静かに指示を待つ光景も、指示を与える彼女も格好いい。
どこまでも彼女は格好よく、どこまでも彼女は圧倒的で、勝つのは彼女しかいないと、子供ながらに、浅い根拠ながらに信じていた。
どう考えたって、どうしたって、勝つに決まってる。他にどんな奴がいたところで、あの天使に勝てるはずがないと、深く信頼していた。
が、少年のそれが信頼でなく、信仰であるということを、少年自身わかっていない。
両親が界人を信仰していた時点で、少年が影響を受けていなかったはずがない。界人――すなわち天使を特別視してしまうように、刷り込みの如く、少年の考え方は出来上がっていた。
故に少年の憧れは純粋な憧れとは似て非なるもので、彼女が天使でなかったら、少年が憧れることはなかったかもしれない。
結局、この少年もまた両親と同じ信仰の中にあり、戦いを見つめる目が瞬きを極力しようとしなかったのも、意識することなく祈る形で両手を握り締めていたのも、両親によって刷り込まれた信仰の影響であることは、間違いなかった。
だから少年は知らない。信仰とは一方的なものであって、信仰を受けている対象が、信仰する信者達に救いを齎す可能性は、限りなく無に等しいことを。
「っ! 目立ち過ぎたか。天使を信仰する連中を中心に、集まり出しやがった――! だからおまえも、少しは遠慮しろって言っても無駄だろうなぁ……」
「あぁ、無駄だ」
砕かれた刀剣と同等以上の刃が、発射のときを武者震いしながら待っている。
それらを一斉に放てば
熾天使には、それらを放つことに躊躇などない。何せ地上の全種族、全生物を俗物の一言でまとめて考え、実際に呼ぶ天使が躊躇などするわけがない。
「天使が信仰されるのは、当たり前のことだ。ならば私の攻撃とて、奴らには祝福だろう。何より、俗物とて歩を進める度に、足元の虫を気にすることはあるまい」
「あぁ、想像してた通りの発言で逆に安心したよ」
無論、安心などしていない。
戦略的撤退を宣言していた銃天使であったが、ここで撤退すれば、後で
せっかく手を組んだのに、反感を買って後ろからブスリ、なんて事態はごめんだ。そんな簡単にやられるつもりはないが、それでも出来る限りそうならないようにしたい。
だがその一発ブスリを避けるために、百人近い規模の人達を護るというのも割に合わない話ではある。
逃げたい。とても、物凄く。いや、普通ならここで逃げていた。
無論、戦略的撤退だ。相手に隙が出来ればこちらから攻め、また状況が悪化すれば逃げるヒット・アンド・アウェー作戦。
そんなの男らしくねぇだろうよと、親友たる天使と何度口論になったことか。
今回は存分に出来ると思っていたのだが――そう考えると、彼女と手を組んだのは間違いだったか――いや、やめた。考えることを一旦、一瞬、コンマ一秒だけやめる。
人間も天使も神様も、間違いは犯すものだ。失敗だってする。その場の勢いでした約束に、後で自由を奪われることだって珍しくない。
だからあれこれと後悔ばかりしていると、段々と色々萎えて来るから、後悔ばかりするのはやめた。ではどうするか、そんなの決まってる。
「ここで使うつもりは、なかったんだがなぁ……」
親友の言葉を借りるわけではないが、確かにここで引くのは男が廃る。
相手は怪物級の強さを誇る天界の最終兵器と言えど、女であることに変わりはない。
女が強いこと、男にも負けず劣らずのものを持っていることは重々承知しているが、だからと言って女に背を向けて逃げ回るなんてのは、確かに男ながらみっともない話だ。
まぁあくまで地上の、それも随分と昔の価値観のような気もするけれど、理解はできる。故にここで引き金を引くことに、躊躇はない。
「出すつもりか? 天界の聖槍と謳われた一撃を」
「やるつもりだよ。全身全霊をかけてな」
「ならば――」
熾天使の背後で発射のときを待っていた刀剣、武装の数々が隊列を組み替える。
さらに背後で円陣を作っていた刀剣らも加わり、より大きな円陣を組むと、それぞれの刃の先より細い魔力が放たれ、円の中央で集束。明らかに解き放つつもりであろう質量を持った光が、発射の時を待つ。
「これくらいの方がやり甲斐もあろう。存分に、気兼ねなく撃つがいい」
「まったく、これだからあんたって奴は……」
長い付き合いだが、今でさえ彼女の実力の上限がわからない。
一部例外を除いて、天使は一番多くの魔力を持つ種族だ。しかしもちろんのこと、無限に持っているわけではない。他の種族同様、上限が存在する。
天使には階級制度があり、一番最上位の
だが、最高階級の名をそのままに自らの名とする彼女の魔力量の上限は、それらを遥か超越した領域にある。
誰も彼女の魔力が枯渇し、疲弊した姿など見たことがないし、上限を知らない。
一度興味を持った天使が彼女に再三頼み込み、測らせて貰ったことがあったそうだが、熾天使階級の基本魔力量の五〇倍を超える数値を計れる計測機器が、耐えかねて破壊されたらしい。
つまり単純計算で少なく見積もっても、地上の魔術師らの五〇倍以上の魔力量を誇っているわけで、地上の魔術師らを俗物と呼び、蔑んだとしても傲慢でも過信でもない。
彼女にはそれらが当然と許されるだけの、圧倒的力が備わっているのだから。
さながら王が民を支配するかの如く、神が信徒を支配するかの如く、太陽が生命を支配するかの如く、至極当然。
故に彼女の放つ破壊光線が、人々に天罰と呼ばれていたとしてもなんら不思議なことではないし、なんの違和感も感じない。
だから怖い。
同じ天使でさえ、圧倒的差を感じてる。なのに引いてはならず、真っ向から迎え撃とうとさえしているのだから、我ながら正気の沙汰じゃないと思う。
が、怯えはない。こちらにも、プライドはある。
男であり、元熾天使の一人であり、天界の聖槍と謳われただけのプライドが。
「聖槍抜錨。これなるは天より降り注ぐ断罪の一撃なり――!」
「遥かなる西の果てより放ち、東の楽園を焼き尽くす破壊の化身。名もなき光よ、汝に天界の聖槍を破壊する栄誉を賜す」
聖槍と謳われる銃天使の一撃であるが、実際に槍を使うわけではない。
かつて天へと放ち、大地の一角を焦土に変えた一撃を地上の人々がそう呼んだため、そのままそう呼んでいるだけだ。
後で知ったことだが、どうやら地上には騎士の王が世界を天へと昇り、抜いた槍にて地上に蔓延る悪魔の一切を焼き払ったという伝説があった。それが聖槍の呼び名の由来なのだろう。
だからというわけではないが、元々名前も与えていなかった一撃に、銃天使は名を与えた。
地上の国に残して来た、最愛の槍使いと同じ名前にして、形見のように残して来た。
「“
二丁の拳銃によって同時に放たれた一撃は、銃撃と呼ぶには余りにも強大な力だった。
まさに伝説の聖槍の投擲。地上を焦土に変えた光の降臨。
同等以上の破壊を齎すだろう光の束へと放たれ、螺旋を描きながら貫かんとする光景は、人々の目に果たしてどのような形で映っているかなど、今の銃天使に考える余裕はない。
圧倒的質量にて地上の一切をも焦土と灰燼に変えようとする光が迫りつつあっても、下にいる人々は恐怖を抱かず、天使の放つ光の眩さに感動し、その場で祈るばかり。
しかも信仰の対象が自分達を護るため立ち向かう銃天使だけでなく、自分達を塵に変えようとしている熾天使にまで向けているのだから、異常な光景だ。異質でしかない。
だがこの国にはそれらを指摘する人間も、違和感を感じる人間もいない。
だからこそ異常だ。その場にいない信徒もただ茫然と戦いの行方を見守るばかりで、誰も地上で祈る仲間達を助けようだとかする者はない。むしろ死んでしまえくらいに思っている。
最後、勝ったときに貰える自分達の取り分が増えるからだ。そういう計算だけは現実的なものだから、やはり異常としか表現のしようがない。
「まったく、余り一般人を巻き込まないで欲しいのだけれどなぁ」
随分と規模の大きな戦いがあると思って来たものの、来るより前から熾天使だろうなとは思っていた。国一つ焼き尽くすことさえ、カップに茶を注ぐ程度の作業と大差なくこなせるとなれば、彼女以外に誰がいようか。
裁定者の役を務めるため、参加者ほぼ全員の能力値を把握している
拮抗している――ように見えるだろうか。
召喚士の目には、圧倒的大差があるように見える。
それこそ象と蟻の喧嘩だ。戦いのように見えながら、実際は一方的な蹂躙である。
戦いに見えているのは象が加減をしているからで、手を抜いているからで、本領の一部しか発揮していないからだ。
象が少しでも力を籠めれば、均衡は軽く崩壊する。
だがどうやら、彼女も完全に手を抜いているというわけではないようだ。実力の二割――いや、三割弱は出している様子。
しかもそれで押されているのだから、顔には出さないものの、彼女も驚いていることだろう。
実力を見誤ったとしか言いようがない。
彼女の実力は周囲と比べても圧倒的だ。魔術での戦いになれば、負けなどあるはずもない。故に彼女唯一の弱点として挙げるならば、自身を格上だと自負しているが故の油断である。
彼女が上にいるのは間違いないが、間違いないが故に手加減の具合を間違える。
このときも、彼女は手加減の具合を間違えたがために、天界が誇る聖槍に光を穿たれ、多くの武装を木っ端微塵に砕かれた。
大量の武装の破片が散る中、驚愕で静かに見開かれる虹彩に、苦し紛れながらに浮かべられた銃天使の笑みが映る。
「よぉ、熾天使様よ。さすがに今のは、舐めすぎだろうよ。こちとら仮にも、天界の聖槍だぜ」
熾天使の優位は変わらない。
彼女にはまだずっと上の段階があり、すでに切り札を繰り出した銃天使と比べれば、まだまだ余裕が有り余っている。
だが今この瞬間、油断故に仕留め損ねたことは紛れもない事実であり、攻撃を相殺された上に展開していた武装をすべて粉砕されたことも事実。
彼女のあまりにも高いプライドは、今までにないくらいに傷付けられた――はずだったのだが、彼女は笑っていた。
彼女を知る銃天使と召喚士は、彼女が激昂すると思い込んでいたために驚かされる。同時、ただでさえ苦し紛れでようやく笑えていた銃天使の顔色が、一挙に青ざめた。
「地上の温い戦場でだいぶ腐っていると思っていたのだが、案外鮮度を保っているものだな。俗物程度にどれだけ使ってきたのか知らないが、それだけの口を叩ける程度ならば、使っても構わなそうだ」
「おいおい……」
銃天使が見たのは、たった今自分が破壊したのと同じ規模の隊列で組まれる円陣。
一つ破壊するのにさえ全力を賭してやっとであったというのに、同等規模の円陣が八つも組まれて、熾天使の背後にて指示を待っていた。
「五〇年ぶりの戦場とあって、つい気合が入ってな。支配下にある刀剣、武装の類すべてを用意してしまっていたのだ。後でこれほど使うはずもないと後悔していたのだが。感謝する。おまえのお陰で、無駄にならずに済みそうだ」
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