悪魔は語られるほど黒くない
「地上は随分と、派手にやっているようですねぇ」
年季の入った枯れた声が、地上を見上げながらボヤく。
ヒビの入った茶碗を器用に持って茶を飲む今の老人は、冷静沈着を具現化しているような落ち着きっぷりで、上が崩落するのではないかと終始落ち着きのない名もない信者達に比べると、異質にさえ見えた。
だが実際、老人――
犯罪歴で言えばこの場にいる誰よりも長く、現在、現時点でこの海上都市にいる人間全員と比較しても、誰よりも多く殺している。
それでもただの老人と侮れば、目の前の肉塊と同じ運命を辿る。
未だ誰にも姿を見せぬ第八次参加者の一角、
ゾオン、アックア、ラピスラズリ。この国で長く三竦みを続けて来た彼らにとって、他の教団と協力関係を築く可能性すらある彼らの存在は、脅威的であり、魅力的でもあったのだろう。
彼らは最初から話を合わせていたかのように、同じ話を持ち掛けて来た。
自分達と協力しろ。他と協力しようものなら全力でおまえ達を潰してやるぞ、と。
確かにこの国において、三つの宗教団体が王族よりも力を持っていることは事実だ。単なる脅しなどではないだろう。
が、彼らがその話を持ち掛けて来た時点で、交渉は決裂していた。
神を信じる宗教団体が、権力や武力を誇示して脅してくるなど愚の骨頂。神の奇跡を信じるとあくまで言うのなら、罰も神に願えばいい。
そうしないのは、彼らが真に神を信仰していない決定的証拠。神を信仰することを、金を儲けるための職業としている証拠だ。
故に、真に絶対悪という神に等しい悪心を信仰する彼らにとって、無様かつ滑稽とさえ映る彼らの傘下に入るなど、あり得ない決定。
かといって、いらないところで戦力を浪費させようとも思わない。
故に、殺した。
三つの団体も、わざわざ危険な交渉に幹部を寄越すこともあるまい。所詮捨て駒だというのなら、潔く捨てて行って貰おうと思ったまでだ。
実際、彼らも驚いたことだろう。自分達より二回り以上年上の老人に、あっけなく殺されてしまったのだから。
「しかし、
「月さん、なら……その、大丈夫、だと、思う、けれど……」
「ふぇ、ふぇ、ふぇ。
「ご、ごめん、なさい……」
同じ幹部とはいえ、最年長と最年少。二人の間には、明らかな隔たりがあった。
しかしそう感じているのは脈だけで、月の方はそれこそ、孫がいれば同じ歳くらいだっただろう少女に対し、愛着こそあれ、突き放すようなことは考えていなかった。
「冗談じゃ。むしろ嬉しいわい。わしを老いぼれ扱いしないのは、
老人の手が、照れる少女の頭を撫で回す。
絶対悪を信仰する団体の中で、数少ない朗らかな光景だった。少女が血に塗れておらず、目の前に潰れた肉塊が転がっていなければ、猶更、微笑ましい光景だったろう。
そして、ここで違和感を感じなければならないのは、脈と呼ばれた少女が今自分のいる状況、光景に対してまるで反応していないことである。
最年長の月からしてみれば、彼女はいたかもしれない孫と同じくらいの年端もいかぬ少女――さらに言えば幼女であり、惨劇とも言える光景に胸を痛め、泣いて失禁したとしてもおかしいなんてことはない。
だが少女は自身が血塗れであることも転がる肉塊にも興味すら示さず、悪びれている理由は最年長の月に失礼を言ったことに関してのみ。
猟奇的なのは老人で間違いないが、異常性で言えば、少女の方が圧倒的だった。
「それでじゃ、脈。ここにまた珍客が参ったのじゃな?」
「は、はい……三方向から同時に、示し合わせたみたいに。でも、連絡を取り合ってる様子はなくて、本当に、その……偶然が、重なった、としか……言いようが、なくて」
「なぁに、おまえさんが責任を感じることはない。突入時刻だけ外で示し合わせて、後は別行動という線も考えられるからのぉ。それに偶然とは重なるものじゃ、三方向から同時に侵入者がいたとしても、なんの不思議もない。ワシらはただ、出迎えるだけじゃ。それで脈、侵入者の面は割れておるのかぇ?」
最後の最後、痰が絡まったらしい。
わずかに黄ばんだ異臭のする痰を血溜まりの中に吐き捨てた老人は、ゆっくりと曲がった腰を自ら押しながら立ち上がった。
遅れて、脈が数秒の沈黙の後に答える。
「工場跡地の隠し通路から、アソーティタのお姫様が単独で。元マフィア組織のアジト跡からは、ゾオンの信者が六人。ですが、一人だけ異様に強い、です」
「ほぉ。しびれを切らして、ついに幹部でも来させたか。まぁいいわい、そっちは捨ておいても。で、残る一方は?」
「……港で海神を名乗っていた、女弓兵が」
「ほぇぇ」
招かれざる客には違いない。
が、月が浮かべた皺クチャの笑みの意味は、脈や周囲の信者には理解できた。
ゾオンの幹部に、海神を名乗った女弓兵。彼らを殺して見せしめにすれば、三つの中でも比較的大きな団体に対して抑止力になるし、逆に彼らの力を利用するためのきっかけにもできる。
招いた覚えはない。が、招き猫が手を振ってくれたのかと思えるほどに、絶好の鴨が来てくれた。これ以上ない好機。逃す手はない。
「なら、ワシが女弓兵をやろうかのぉ。脈、おまえさんが指示して、ゾオンの連中を相手せぇ」
「……アソーティタのお姫様、は?」
「捨て置いて構わんわい。対峙したところで何も利点もないしのぉ。まぁ、敵対してくるようなら迎え撃てばいいだけじゃが、あのお姫様は見るからに好戦的じゃなさそうじゃし、偵察程度の様子見なら、放っておいて構わんじゃろ」
「わ、わかりました……!」
もちろん、女弓兵とお姫様が組んでおる可能性もあるが、そのときはそのとき――殺す数が一人増えるだけじゃからのぉお。
白目を剥き、妖し気に笑う老人は暗闇に消える。
残された脈は自分の胸を押さえながら深く息を吐き尽くすと、元々生物だったとは思えないほど変形した血塗れの肉塊に順に、軽く触れる程度にタッチしていく。
「えっと、あの……これからゾオンの人達を、その、追い払いたいと思います。ついて来て、下さいますか?」
「はっ、はい!」
いい大人が、二つ返事で引き受けてしまう。
彼女の後背に広がる惨劇を超える悲惨な光景を見れば、次は自分達だと戦慄さえ覚え、応じずにはいられない。
しかし、彼らもまた絶対悪を信仰しているような連中だ。少女の背後で蠢く光景を目にして抱く感情は、恐怖だけではない。彼女に付き従う理由もまた、恐怖だけではない。
絶対悪を信仰し、幹部らの下へと集った信者が最初に知るのは、本物の悪魔は、語られるほどに黒くはない。そんなにわかりやすい存在ではない。
猛毒を持つ動植物が色鮮やかで、肉食獣よりも草食獣の方が人を殺しているように、脅威とはそんなにもわかりやすい形で明確化されておらず、必ずと言っていいほどに、脅威とは別の殻に閉じ籠っているものだ。
それを体現した存在を、信者らは初めて目の当たりにする。そして奇跡と呼び、崇拝する。
たった今殺されたばかりの肉塊が、再び脈動を取り戻し、異形の怪物と成り果てながらも復活を遂げ、剰え、自分よりも小さな少女に使役されている。
悍ましいながら、死者の蘇生にも近しい光景を前に、人は奇跡を感じざるを得ない。
例えそこにトリックが存在し、世間に認知されていないだけで、習得可能なタネだったとしても、信者は疑うなんてことをしない。
疑うという概念を奪い、信仰と信心とで人を動かす。
かの存在以上の喜びはなく、かの存在以上の悪はない。故に信じているのなら、救われる。何をしたところで、かの存在以上に悪い人間はいないのだから。
だからどこまでも突き進めてしまう。それこそ、彼ら幹部のように、怯えることなく。
「では、その、お願いします……」
新たな怪物へと成り代わった血塗れの肉塊と共に、罪悪感を忘れた信者が参る。
その先に、不死身の怪物を倒すため作られた兵器がいることなど、知る由もないままに。
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