港の戦線

 天騎士てんきしは無事だろうか。

 国は――ヴァルパニアはどうなっただろうか。

 彼女に託した希望は、命は、ちゃんと紡げているだろうか。

 初日に熾天使してんしと一戦を交えてから、銃天使じゅうてんしの不安は尽きなかった。ずっと自分を匿い、英雄として扱ってくれた第二の祖国を思う。

 それだけ自分の実力に自信を喪失していると言えたが、仕方ない。

 そもそも熾天使相手なら、自爆特攻でも仕掛けてでもダメージを与えることすら難しい計算をしなければならないのだ。

 そう簡単に倒せるわけがない。

 こうして港で戦線を張って誘ってはいるものの、彼女が来ない方がうまく立ち回れる気すらする。

 吹かす煙草の量が、自然と増える。

 天騎士の前では吸うことを躊躇っていたが、今ではその遠慮も必要ない。

 それが寂しいような悲しいような、なんとも言えない気分だ。

 用意した魔弾の数は百を下らない。

 どれも一発で熾天使を仕留めきれるとはいかないが、他の参加者にならば後れを取ることもないはずの代物ばかりだ。

 それだけの魔力を籠め、それだけの時間をかけて作ったのだから。

 戦争二日目の朝日が昇る。

 水平線から昇る朝日が眩く照らし、吹き抜ける潮風が煙草の煙をくゆらせる。

 海の無かったヴァルパニアでは、見ることのできなかった光景だ。

 あいつにも見せてやりたかったなと、ほんのわずかの現実逃避に走りそうになるが、運命はそうはさせまいと敵を送り込んでくる。

 無論、相手に彼の黄昏を邪魔したなどというつもりはなく、配慮もない。

 だが銃天使も弁えている。

 戦況とはいついかなるとき、どのように転ぶかわからないものだ。

 だからこそ熾天使という怪物相手でも、蜃気楼が垣間見えた程度の勝機を見出せる。

「それで? あんたは戦いに来たのか? アソーティタの姫様よ」

 未だわずかに冷える夜の残り香が、彼女の周囲で凍結して白く凍る。

 朝焼けに光る真白の頭髪が、十一年という苦渋の歳月と病魔が生み出したものだとは誰も思うまい。それほどまでに美しい。

 氷のように鋭く、炎のように熱い視線が、銃天使の眼光を射抜いていた。

「私のことを、ご存じなのですね」

「あぁ、知ってる。国が反乱を起こしてまで救った悲劇の姫君。十一年の監禁生活とは、よくもまぁ生き残ってたものだぜ」

「お陰様で、この体は病魔に蝕まれていますがね」

「その病気を治すのが、あんたの願いってわけか」

「私は生きたいのです。生きて、この世界をもっと見てみたい。十一年もの時間をただ浪費してしまった私はもっと、世界を知りたいのです」

「まぁ小さい頃から閉じ込められてたら、そう思うわなぁ。

 天使にそんな自由はない。

 物心がつけば天界の魔術によって感情、記憶、行動を抑制される。

 監禁とはまた違うが、しかし違う形での束縛には違いない。

 世界のことは情報として知っているものの、実際に体験して記憶している天使はまずいないだろう。

 そう思えば天使という種族こそ、世界で最も世間知らずな種族なのかもしれない。

 この広い世界について知りたいなどと、考える余地すら与えられない天使族にとって、彼女の願いはあまりにも単純ながら、眩く見える。

 病魔に侵された身で、凛として立つ姿がまさにそうだ。

 天使はそもそも地上の毒や病魔に対して強い耐性を持つが、侵されれば脆い。

 彼女のように世界を知りたい一心で、戦争に身一つで乗り込んでくる度胸など、誰も持っていないだろう。

 脳の抑制が働いているので、そのことに悲しみを覚えることすらないのだが。

「それで? 繰り返し訊くがあんたは何をしにここに来た。俺と戦うためか、俺と共闘を企むためか。不可侵条約でも結びに来たか。思いつく限りはこの三択だわなぁ」

「共闘、というわけには参りませんか」

「共闘と来たか」

 銃天使は三択と言ったが、事実この一択だろうと思っていた。

 彼女は初日、熾天使と銃天使の戦いを仲裁していた。

 借りを作ったわけではないだろうし、ただ人民を守っただけなのだろうが、その際に熾天使の強さを垣間見ただろう。

 故の提案であることは想像に難くない。

 彼女が本気で暴れれば、この国の大半の人間が死ぬことになる。彼女はそれを避けたいはず。

 さすが一国の王女は、思考回路が常識を逸脱している。

 他国の民まで気遣わなければならないとはと、銃天使は皮肉を込めて称賛したが、それは胸の内に収めた。

 彼女にその手の冗談が通じるようには、思えなかったからだ。

 赤く冷えた眼光が、冗談を本気と捉えて凍らせてきそうである。

 十一年もの監禁生活の中で、彼女に冗談が言われたことはないだろう。故に通じないと、安易に想像がつく。

「俺達が組めば、熾天使を倒せるとでも? 言っておくが、あいつは天界でも例外的強さを持った三体の天使の一角だぞ。本来ならこの戦いに参戦することすらあり得なかったはずの怪物だ。例外中の例外。天界でもそのまま例外ミ・ティピキィと呼ばれる化け物だ。それをどう倒す」

「それはまた、話し合う余地があるかと。それに私の実力をまだあなた自身が確認していないのに、私では力不足だと決めつけるのは早計に過ぎませんか」

「それだけ奴は強いってことだ。並の魔術師や戦士じゃあ奴には遠く及ばない。おまえの実力が並以下なら無駄死にするだけだし、ある程度強いだけでも結局負けるだけだ。それでも決めるのはまだ早ぇと吠えるなら――見せてみろよ。てめぇの力」

 銃弾がわずかに傾げた彼女の頬を掠めて、セミショートの真白の髪に風穴を開ける。

 傍から見れば、彼女の咄嗟の反射速度が辛うじて躱したように見えることだろう。

 ただしそれは、彼女の方だけを見ればの話。

 見れば、その場から大きく飛び退いていたのは銃天使の方だった。

 銃天使が彼女に銃口を向けて引き金を引くよりも一瞬速く、彼女の剣から走っていた微量の魔力が銃天使を捕まえようと、氷塊となって伸びていた。

 そのままそこにいれば銃弾は彼女の頬を掠めるだけに終わり、銃天使は彼女の氷に捕らえられて殺されていた可能性すらあった。

 コンテナの上に飛び移った銃天使は、自然と口角が上がる。

 聞いていたよりもずっと狡猾で、抜け目のない姫様だ。

 彼女に対する評価を改めなければならない。

 貴族や王族は魔術の英才教育が施されているのが定番だが、十一年もの監禁生活で彼女は例外だと思っていたし、会得した魔術も付け焼刃だと思ってさえいた。

 だが彼女は相当に、魔術の才能に溢れているらしい。

 本来受けるべき教育を受けていれば、もっと実力のある魔術師へと育っていたことだろう。

 故に運命とは実に皮肉にできている。

 才能のある者こそ短命で、常人より多くの不条理に襲われて、あらゆる理不尽に翻弄される運命にあることは、誰にもどうしようもないことだ。

 もしもその非凡な人間が、凡俗と同じ環境下で育った場合。おそらくその才能を開花させることはなかっただろう。

 彼らは与えられた不条理と理不尽の中で生きるために才能を開花させるのだから、彼らの行きつく領域は、決して温室で庇護されながら育てられて会得できる範疇のものではない。

 彼女――白雪姫しらゆきひめもまた、そのような類の天才だろう。

 それこそ天使には存在しないタイプの人間だ。

 誰もが同じ環境、同じ教えを受けて育っていく天使という種族には、そもそも非凡という考え方そのものが消失している。

 熾天使などの理由もなく強い絶対的強者を例外と呼び、銃天使のような世界に影響を受けた存在を堕天使と呼び、他すべての天使は決して個人としての才能も秀でることなく、戦場に送り出されていく。

 故に天使は自分自身の中に眠る才能というものにとても疎い。

 脳の拘束が解けて、天使の中でも極めて特殊と言える銃天使だが、物心ついてすぐに植え付けられた天使としての思考回路は未だ拭いきれるものではなく、彼女の才能の部分に向ける目をあまり持ち合わせていなかったのが正直なところで、故に実力を計り損ねた。

 だが故に、人間はやはり面白いと銃天使は思う。

 天使よりもずっと劣る種族のはずなのに、天使の常識では計り切れないものを持っている。

 それは愛か友情か信念か。

 天界によって抑制されている心というエネルギー。

 それがもたらす力の凄まじさを、銃天使は知っている。

 だが何度目の前にしても、驚かされるばかりだ。

 何せ人によって心の形もそれによって現れる力の形も、何もかもが違うのだから。

「私の力を試すのではないのですか? そこまで遠ざかれると、計れるものも計れないと思いますが」

 前言撤回。

 たっぷりの皮肉を籠めた冗談を言える彼女に、冗談が通じないこともないだろう。

 むしろ真面目なツッコミくらい返してくれるかもしれない。

 もっともそんなやり取りをするかどうかは、彼女がどれだけやれるか次第だが。

「悪いが、俺の武器は見ての通りこれなんだ。視認できる距離にいれば関係ねぇ。それはあんたも同じだろ? その氷、あんただったんだな。あそこにあんなオブジェを作ったのは」

 ずっと遠くのビルの上に未だ咲き誇る氷の彫像を差して言う。

 夜だったからということもあるだろうが、未だ一片も溶けずに残っていることから相当の魔力が籠められていることがわかる。

 遠目からでも確認できる大規模の彫像を作ったことで、彼女は自身の持ち合わせている魔術と実力を晒したわけであるが、単なる無計画ならば笑って過ごしていたところ。

 しかしそれこそ熾天使のような実力者ならば、どれだけ自分の実力を晒そうとも結局誰にも負けない強さを持っているのなら問題はないわけで、手の内をあまり見せたくないなどともったいぶったことを考えなくて済むわけである。

 故に銃天使の中で、熾天使級の怪物が少なくとももう一人いるなんて状況は勘弁願いたかったのだが、目の前の彼女がそこまでの怪物には見えない。

 いや、怪物には程遠い。

「失策だったな、お姫様。あんたは俺達を牽制したかったんだろうが、それならあんたは敵の目の前にわざわざ出てくる必要はなかった。あれだけの大規模魔術を見せられれば、皆そりゃあ警戒はするだろうが、あんたが出て来た時点で虚勢だとわかる。まるで自分を大きく見せて威嚇する動物みてぇだ」

「私が、そこまで劣ると?」

「あんたは強いだろうよ。魔力量だって常人と比べりゃある方だし、才能にも恵まれてる。。あんたは才能に恵まれてるだけで、戦い方を知らねぇ。センスだけでそれ相応に戦えちまうから、基礎も何もわかってねぇ状態だ。要は実戦経験の数だな。十一年も監禁されてて、しかもあんたの身分だ。当然のことだろうが――」

 銃天使は自らの足元を撃った。

 先ほどと同じく銃天使を捕まえようと伸びていた、白雪姫の凍てつく魔力が散っていく。

 白雪姫はここで明らかに動じた。

 一歩引いて、剣を改めて構える。

 その明らかに変わった一挙手一投足に、銃天使は首を横に振った。

「この通りだ。初見殺しにはもってこいだろうが、単調過ぎる。敵に二度も同じ手が通じると思ってる時点で爪が甘い。明らかな実戦不足だな」

 直後に撃たれた五発の銃弾。

 白雪姫は足元に氷塊を繰り出し、壁にしてガードしようとする。

 だが先に撃ちこまれた二発が氷壁を貫通し、残り三発が紅蓮に爆ぜる。

 膨れ上がる炎の中で銃天使の姿を探した白雪姫のコメカミに、銃天使は拳銃を突き付けた。

「俺とあんたじゃあ、潜って来た修羅場の数が違う。あんたの十一年が壮絶だったのは認めるし、あんたなりの戦いもあっただろう。だがそれだけだ。にわか仕込みの魔術をそこまで昇華できてるだけ立派だが、ただ出すだけなら拳銃こいつで充分だ。おまえには考える頭があるだろう? もちっと工夫をしねぇとなぁ」

 引き金を引かれる直前に、白雪姫は身を深く屈めて銃弾を躱す。

 そのまま切り上げて銃天使の顎を狙ったが、白雪姫はその場からすぐさま飛び退く。

 鈍い痛みに従って足元に一瞥を配ると、自分の足の甲に銃創ができて、真っ赤な鮮血を溢れさせていた。

 銃弾は確かに躱したはずだし、軌道線上に足はなかった。

 ならば今の瞬間に二発、もう片方の拳銃に撃たれたか。

 だがそうだと思われる拳銃から、硝煙が上がっているところは見られない。

 ならば一体、この足を撃ち抜いた弾はどこから放たれたというのか。

「わからねぇだろ。今、どこからあんたの足を撃ち抜いたか。そこが俺とあんたの経験値の差だ。俺も下界に降りたとき、脳の抑制は強く働いてた。だがそれでも下界の奴らとの戦いはこの体が覚えてる。奴らと交わした剣戟も体捌きもすべて、この体に沁み付いてるのさ」

「っ……」

「わかるだろ? あんたには俺と対等に張り合えるだけの経験値がない。俺の手下にしてくれじゃなく対等になろうってんなら、それくらいの力がなきゃいけねぇのさ。というわけで諦めな。あんたじゃ俺にも、あいつにも勝てやしねぇよ」

 実力の差は見せた。

 ある程度の力量を持っていれば、ここまでのやり取りで実力の差は瞭然と見えるはず。

 だがそこもまた、経験値の浅さ故か。

 それとも何か引けない理由でもあるのか。

 高貴な姫様は未だ、銃天使に剣を向けて魔力を練っていた。

「これ以上何をしようってんだ」

「無論、見せるのです。私の実力を――!」

 肩で風を斬り、凍える真白をまとって走る。

 銃天使が拳銃を構えたその瞬間、剣にまとわれていた冷気が橙色に変色して、凄まじい勢いで膨張して爆ぜた。

 間一髪で回避して傷こそ負わなかったものの、冷気が灼熱へと変わったことへの驚きは禁じ得ない。

 咄嗟の判断で回避できたことに、自画自賛しそうにすらなった。

「もう少しお付き合いを。それに、まだあなたの実力も見れていません。私と張り合えるというのなら、その証を見せてください」

「……やれやれ。あんたさては、負けず嫌いだな」

 銃天使はほくそ笑んで、銃口を向けた。

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