邪悪の魔眼

 此度の第八次玉座いす取り戦争ゲームの参加者の一人、絶対悪ぜったいあくに仕える五人の眷属。

 かいなまなこあぎとにくづきみゃく

 神祖たる絶対悪を崇める信仰集団の幹部とも言える存在。

 それぞれの異名は絶対悪の誇る腕力、絶対悪の魔眼の双眸、強き言葉を発する顎、存在を形作る肉、そして彼がすでに死んでいる存在ではなく、未だ生きる脈ある存在だということをそれぞれ表すため、その名を拝命された。

 誰から、というのは愚問だ。それこそ絶対悪様からに決まっている。

 そして全員が、それぞれ名と共に神祖より権能の一部を授かり、行使する自由を許されている。

 一端とはいえ、かの神祖の力は凄まじい。故にまさか重複者じゅうふくしゃの回収に向かったあぎとが死ぬとは、思っていなかった。

 あの人形との相性を考えて彼を送り込んだのだが、逆に相性の良さから看破されたか、それとも想定外の事態が発生したか。いずれにせよ、あの人形を手に入れられなかったことは痛い。

 さすがにすべてが万事うまくいくなどと、幸せな頭をしているわけではないが、それでも失敗の可能性は薄いと見ていた。

 仲間の力を信じていたといえば少しは聞こえがいいだろうが、正直なところあの人形の恐ろしさを甘く見ていたという方が大きい。序盤からこうも蹴躓くとは、思っていなかった。

「……腕」

「どうしたのですか、脈」

「港で、二人の参加者が戦ってる……銃声と、剣が振られる音が、する」

 若干吐き気があるらしい。数度えずきながらも、脈と呼ばれた少女は情報を伝える。

 腕は彼女の背をさすりながら、情報伝達の魔術で仲間に伝えた。

 情報を信号にして直接頭の中に送り込む魔術なのだが、初心者だと対象者に直接触れていなければほぼ確実に失敗する。だが腕は数キロ離れた相手――眼の下へと、的確に情報を送れた。その点ですでに、彼女も魔術師としては素晴らしい逸材だと言える。

 情報を受け取った眼は、自身の身の丈に合わない十字架の形をした弓を構え、淡く輝く虹彩で腕から得た情報の方角を見通した。

「いるいる。港に二人、確認完了。射抜けますかって感じかな?」

 腕には伝達魔術の素養があるものの、眼にはない。

 故に情報伝達は一方通行で、会話のようなことは両者の間ではできなかった。

 故に今、位置と数の情報だけを送られた眼には、その場から狙撃して参加者を仕留めることに尽力するか、そこからその目で戦いの結末までを見届けて、敵の戦力を分析するのか、どちらを選ぶかの判断を煽られている。

 距離は目測だが、およそ三.七キロ程度。射程圏内。

 射抜くことに問題はない。そしてこれだけの距離、反撃の心配もないだろう。

 拳銃使いがいるが、銃弾がこの距離まで飛んでくるわけがない。無論、そう高を括った次の瞬間に頭を射抜かれてた、なんて間抜けな事態は避けたいものだが、おそらくは大丈夫なはずだ。

 そしてもう一人に至っては剣士だ。魔導剣士のようだが、それこそこの距離まで届かせる魔術などありはしないはず。

 魔術の系統からいって、未だに溶けぬ建物の屋上に咲く氷の巨像を作った張本人らしいが、この距離でも仕留められるほどの大魔術などあって堪るものか。それはもはや魔術を超えた、魔法の領域だ。

 確かに魔術の才能には恵まれているようだが、魔法なんて領域に至られて堪るものか。それは賢者――いや、大賢者の領域だ。人間をやめた者の領域だ。

 そんな人外の領域に、自分よりも小さな体の小娘が至るはずもない。それこそ、玉座の知識と権力が必要だ。故に、彼女にここまでの遠距離狙撃はない。

 ならばここは――

「様子見、かなぁ」

 眼が与えられた絶対悪の権能は、簡単に言えば魔眼と呼ばれる代物だ。

 透視と望遠眼が基本性能だが、他にも様々な権能を持つ。距離三.七キロとは、弓矢が届くほぼギリギリの射程内であったが、眼の権能たる魔眼の射程は、さらに遠い。

 故に様子見を決めた眼は、拳銃使いの天使の射程圏外だと思われる範囲まで下がる。そして結果を先に言ってしまえば、その判断は正しかった。

 何せ港の戦線で戦う二人よりも、空を駆ける最強の天使よりも遥かにずっと、仕留めやすい標的を見つけたからだ。

 まるで物腰で、構えてすらいない。そして右手には参加者の証である魔術刻印。

 まさしく絶好の獲物カモ

 絶対悪様の勝利のためにも、仕留められる奴は仕留められるときに仕留めるべきだ。

 意匠の過剰な露出具合とその口調及び態度から、何事も適当にことを進める性格だと思われている眼だが、その魔眼の射程内に捉えている獲物は逃すことなく的確に射抜く、確実性を重視する性格であった。

 無論、相手が弱ければ弱いだけ、相手を遠距離から狙撃しながら、恐怖に慄く様を遠くから傍観するという嗜虐心をも持ち合わせていた。

 彼女が弓矢という遠距離狙撃用の武器を主武装にしているのが、その証拠である。

 そういう意味合いでは、彼女は実に自身にあった権能を授かったと言えた。

「誰だか知らないけれど、ごめんねぇ? 私、狙った獲物は逃がさない、狩人体質なんだぁ」

 豊満な胸を惜しみなく押し付けて這いつくばり、眼は狙いを定める。

 まったくもって無防備。防御系の魔術も気配遮断の魔術もかけず、結界を張っている様子もない。この上なく最高に間抜けな獲物カモだ。

 本当、何故この戦いの参加者に選ばれているのだろうというくらいに、甚振り甲斐のない獲物カモだ。

 しかし本当に何も面白くない。狩人としては、獲物が逃げ、必死に抵抗する様が面白いというのに。これでは案山子を射抜くのとなんら変わりない。

 本当につまらない。まったくもって何故、あんな奴が参加者に選ばれたのだろう。

「んじゃ。バイバァイ」

 魔力の籠った矢が一直線に男へと放たれる。

 障害物は何もなく、邪魔する人も誰もいない。矢はそのまま標的の頭を射抜いて終わり。

 わざわざ確かめるまでもない。これで参加者が一人減って、絶対悪様の勝利が――

 と、眼は授かってから一度も疑ったことのない魔眼の見た光景を疑った。

 何せ眼の放ったは空を裂き、突如方向を変えて的を外れたからである。

 何が何だかわからない。状況を改めて整理すると、どうやら突如標的の周囲を強力なビル風が吹きつけて、矢の軌道が変わったらしい。

「ちぇ、運のいい奴」

 だがそんな幸運は二度も三度も続かない。次で確実に仕留める。

 風の強弱、その動き、標的の動きとその速度。全部計算に入れさえすれば、そう奇跡が続かない限り外れ続けるなんてことがあるはずがない。

 次こそ仕留める。

 次こそ、次こそ、次こそ、次こそ――

 次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次こそ、次――

「なんで当たらないわけ?!」

 おかしい。

 あまりにもおかし過ぎる。

 何故一本も当たらない。掠りもしない。

 こちらはすべてを計算に入れて撃っているというのに、彼はこちらに気付きもせず、振り向きもしなければ動揺も見せない。すぐ側を矢が通過しても知らん顔で、歩く速度を決して変えない。

 何より当たらない理由がわからない。

 時には風、時には鳥、時には壁、時には飛び出してきた犬――とにかく、何かしらの理由で矢がまったく、彼に当たらない。

 まるで矢が彼を避けているかのよう。いやまるで、だ。

 だがそんなことあるはずがない。

 世界そのものの寵愛を受けるなど、それこそ神の子でなければ――

 そこまで気付いて、眼は震えた。歓喜ではない。恐ろしい事実に気付いてしまった。

 もしも今矢を射かけているのが神の子ならば、我らが絶対悪様と並ぶ神祖となるやもしれない。そうすればこの世界に、生きる神祖が二人いることになってしまう。

 それはダメだ。いけない。あり得ない。あってはならない。

 否定する。拒絶する。そんな事実は認められない。

 私が信じる神祖はただ一つ。この魔眼を与えてくださった絶対悪様以外にない。それ以外の神祖の存在など、認めてはいけない。あってはならない。

「ごめんねぇ、腕ぁ……魔眼、使うねぇぇえ?」

 魔力の消費が激しく、一度使うと再度効力を発揮するのに時間が掛かるため温存したかったのだが、仕方ない。

 相手が相手だ。これは自らの信念をかけた戦いだ。ここで神の子を殺し、絶対悪様をこの世界唯一の生きる神祖にするのだ。

 そのためならば躊躇いなどない。腕も含め、みんな理解してくれるはずだ。

「この世界に、神祖様は二人もいらないんだよねぇぇぇぇっっ!!!」

「そうだな、その意見にはまったくもって同感だ」

 一閃。

 眼の体が、音を立てて倒れる。

 直後、路地裏に密集する汚いゴミだまりに、彼女の頭が落ちて来て、ゴミを漁っていたカラス達が一斉に飛び上がった。

 彼女の首を刎ねた聖剣が宙に浮いて、上空を闊歩する熾天使してんしの側で転輪する他の聖剣、魔剣の隊列に戻っていく。

 刃にこびりついた血は瞬く間に乾ききって、首を失った死体に侮蔑の眼光を落とした。

「この世界に神祖は二人といらん。ましてや一人として、地上に生きている神祖などいらん。神とは貴様らの不平不満を埋めるべく、幸福を祈り願うための偶像ではない。我々天界の天使をこの世界に残し、世界の今の姿を拝見し、あるべき姿へと戻す裁定者だ。森羅万象を司る存在なれど、決して貴様ら俗物の薄汚れた欲望を満たすための存在ではない」

 そういう意味では、熾天使にとってこの三神王都さがみおうとという国は心底気に入らないことばかりだ。

 三柱の神を信仰する三つの教団が集い、それらすべてを尊重する平等なる王が統治する海上都市国家。三つの信仰が入り乱れ、交わる国。

 地上の俗物が何を信じ、それにどれだけ心酔しようとも興味はない。

 だがその対象が天界を創造せし主と同じ名で呼ばれ、しかも三柱も存在するというのなら、話は別だ。

 駆逐しなければならない。殲滅しなければならない。

 神はこの世界にたった一つ、天界を作りし我らが天使の祖たる、主のみがあればいい。

 いや、我ら天使の祖たる主しか許されぬ。地上に降りた神など、もはや俗物に取り入る魔性でしかない。魔性に落ちたけだもの風情が、神を名乗るなどおこがましい。

 今すぐにでもこの都市諸共、天使の祖たる神を侮辱する地上の俗物を消し去りたい熾天使であったが、そこは己を律する。自分は我慢のできない子供ではない。

 今ここですべてを滅却することは容易いが、それではこの戦いの根底が成り立たない。

 まったくもって我ながら、こんなチマチマとした戦争に参加するなど馬鹿げたことをした。

 やはり断るべきだった。この程度の戯れにもならぬ些事に、わざわざ付き合うなどと、当時の自分に文句を言いたい。

 だが出場してしまった以上、投げだすわけにもいくまい。投げ出してしまえば、この後延々と嫌みとして言われ続けることになるだろう。

 特に召喚士しょうかんしとか召喚士とか召喚士とか――うん、奴しかいないか。

 そうだ。元はと言えばあいつの口車に乗ったのがきっかけではないか。

 まぁそもそも、自分がこの戦いに参加するはずだった天使を殺してしまったのが原因なのだから、原因は自分にあるのだが、しかしそれでも奴の巧みな口車のせいだと思ってもいいのではないだろうか。

「フム……暇潰しに、奴を探してみるか」

 他の参加者と戦ったところで、面白みもない。一方的な展開になるだけだ。

 ならば召喚士と語らっている方がまだ、時間も有意義に使っていると言えるだろう。展開によっては、召喚士との直接対決に持って行けるかもしれない。その方が面白みはある。

 口八丁手八丁では奴の方が上手うわてだが、まぁ何事も予定通りに行くこともなければ逆もある。試してみても損はないだろう。

 では急ぐ用事でもなし、適当に探すか。

 と、今まさに熾天使が移動しようとしたとき、彼女は目の端で捉える。

 直後に聖剣と魔剣が走り、それを瞬く間に包囲した。

「どういうことだ貴様……何故、貴様が裁定者としての権限を有している。いやそもそも、何故貴様がこの戦場にいる。召喚士の犬」

 聖剣と魔剣に囲われた両天使りょうてんし

 自身に向けられた刃の隊列に対して、彼女は両手に光を灯した。

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