心の弱さ
♪ 私は人形
魂のない
歩きもしないし 喋らない
だけど みんなは 想像するの 動く私の姿
立てば
ドレスの裾を持ち上げて あなたに会釈をする
ごきげんよう 気分はいかが?
私と一緒に踊りましょ
手を引いて 腰に手を添えて
音楽に合わせて 軽やかなステップを
ピアノ ヴィオリン トロンボーンが歌う
さぁさ 華麗に 踊りましょ
踊って 歌って 踊り疲れて
そして眠るの
永遠に ♪
「あなたは、私と一緒に眠ってくれる?」
鈴の音のような静寂の中で一つ、小さく響く声で少女は問う。
胡坐の中に少女を座らせる大男は、低く唸るばかりで応えない。
少女の胴体よりも太い腕で、少女を守るように自分に抱き寄せるくらいだ。
彼はずっと誰も来ない前方を睨み、獣の如く唸り、何者かを威圧し続けている。
少女はそれを答えとして、小さく安堵の吐息を漏らし、彼にもたれかかった。
「きっと、きっと一緒にイスに座ろうね。優しい怪物さん」
「それは、難しい相談だ」
答えたのは、大男ではなかった。
漆黒の中から現れた黒尽くめの集団が、月明りの下へと踊り出る。
ローブの下の凶器が月下に晒され、大男と少女に刃を向ける。
そして彼らの奥から、三叉槍を握り締めた長身の男が出て来た。
ローブをまとった連中とは明らかに一線を画す男の登場に、大男は剣を抜く。
「
「素敵な口説き文句ね」
「生憎と、絶対悪様の下についた瞬間から、色欲は捨てた。悪かったな、口説き文句じゃなくて」
「いいの。人形を抱かなければならないなんて、悲し過ぎるもの。愛でてくれるのは、嬉しいけれど、人の営みにまで介入しようだなんて、思わないわ」
少女がおもむろに立ち上がると、大男も立ち上がる。
両手に剣を握り締め、目の前の敵軍に牙を剥いて低く、荒々しく唸る。
「冗談はいい。理解しているだろう。おまえの能力は、この戦争にとても有利に働く。人を操り支配するおまえの力、絶対悪様のために使ってもらおう」
「いいわよ?」
実にあっけない返事だった。
一切迷いなく、考えてもいないだろう間のなさであっさりと答える。
返事を聞いた黒ローブ達は、おもむろに武器を引く。
「おまえら武器を降ろすな!」
「顎様?!」
むしろ武器を構えた顎。
徹底抗戦の構えに、部下は驚く。
同時、重複者は微笑を零す。
彼女の微笑が集団から言葉と一呼吸を奪い取った次の瞬間には、最も彼女の近くにいた数人が、自ら自身の体に刃を突き立て、命を絶った。
「あなたは、平気なの?」
同じく最前線にいた顎だが、脚が震えていること以外は変化はない。
必死に何かしらに耐えようとしているようで、額から汗が垂れる。
「言ったはずだぞ! こいつの能力は他人の支配と操作だ! 心を強く持て! 自殺衝動の強い自我を植え付けられて、死ぬぞ!」
“
対する相手の人格を奪い、別の人格を植え付ける、彼女に搭載された人心支配能力。
自我の弱い者はたちまち心を奪われ、さらに弱い心を植え付けられて蹂躙される。
例え自我が強くとも、絶えず彼女から発せられる魔力に次第に心を折られ、自ら命を絶ってしまう。
どれだけ心が強くても、最後に辿るのは精神の死か肉体の死か。
それがどちらの方が早いかというだけの話である。
現に彼女と相対して、生きていた――無事でいた人物など一人としていない。
故に顎もまた、いつ精神を蝕まれて殺されようとも不思議ではなく、殺すのではなく捕らえるという目的からも、早期決着が望ましいことに変わりはない。
彼女に施されている魔術式は、今や意思を持った彼女によって制御されている。
故に懐柔さえすれば、彼女の魔術から逃れることができるということ。
だが彼女は今、意思を持っている。
それはすなわち、魔術の解除と制御は、彼女の気分次第という話だ。
故に彼女が嘘をつき、密かに術中にかけて殺すこともできてしまうわけで、意思を持ったが故に、彼女は殺人魔導兵器として完成したと言える。
そして今、彼女は紛れもない嘘をついた。
黒ローブが自殺したのがその証拠。
彼女の精神支配は続いている。
心の弱い者から、彼女を見た瞬間からその心を奪われていく。
耐え切れないものは死に、耐えた者は変わる。
彼女が今までに奪って来た、殺してきた人格を新たに植え付けられて、彼女の支配下へと落ちていく。
ただ彼女の姿を見るだけで、見た瞬間から心が揺さぶられていく。
彼女の脅威は、誰にも気付かれることなく誰にも悟られることなく、本人すら自覚しない速度で蝕んでいく隠密性にある。
前もって情報を持っていたとしても、彼女を見るだけで蝕んでいく心と闘い続けることから逃れる術はない。
顎のように真正面から向かって行っても、陰から狙ったとしても、彼女を視界に捉えた瞬間から、彼女の術中の中にいるのだから。
遠い昔に着せてもらったというウエディングドレスに身を包んだ人形少女が、愛おしくてたまらない。
愛おしいと思えば思うほどに、彼女に心を奪われていく。
最悪にして最強、かつ最恐の魅了型精神支配魔術。
それが彼女の魔術の正体である。
「それって、暴言だと思わない? 心を強く持て、だなんて……じゃあ心の弱い人はどうすればいいの? 自分の弱い心を嫌ってる人は、どうすればいいの? 頑張ってる人に対して『おまえは頑張ってない。そんな風に見えない。もっと頑張れ』って言ってるようなもので、とても、酷いと思わない?」
彼女の言葉が誘惑する。
私は言ってあげる。
あなたは頑張ってる。
自分の弱い部分と闘ってる。
あなたは充分頑張ってる。
だから、休息だって取っていいのだと。
誘惑に甘え、そうだと思った瞬間には、彼女の術中に心を奪われる。
艶のある髪に見惚れ、陶器の肉体を抱きたいと考え、ガラス玉の瞳にいつまでも見つめられていたいと、愛情と色欲とを履き違えて、混同さえした複雑な純心に似た心で彼女を舐めるように見て、心を奪われる。
そして、死ぬ。
「奴の言葉に耳を傾けるな!」
「あなたのそれはただの脅迫よ。力に任せて吐くだけのただの暴言。心の弱さは克服するものじゃなく、受け入れるものだわ。私は、そう信じてる」
どこまでも甘い言葉が、彼らの心を奪っていく。
一瞬でも、ほんの一瞬でも心を許せば、その瞬間に持って行かれる。
彼女はそれを知っている。
意思を持ち、人間の言葉を得た彼女の言葉は、どこまでも甘い。
そこに本心など、微塵に籠っていなかったとしても、彼らにとって救いの言葉になることを、彼女は悪魔のように知っているが故に、手玉に取って来る。
「さぁ、眠りなさい羊たち。あなた達はもう数えられる側じゃない。数えて、眠りなさい」
「その口を閉じろ、人形風情が!!!」
血飛沫が弾ける。
月光の下で折りたたまれた内臓が飛び散って、広がり、ぶちまけられる。
床は一面血で満たされ、血の池が広がって悪臭を放つ。
顎はその光景を、天井から見下ろしていた。
黒ローブの半数は自ら腹をかっ裂いて臓器をぶちまけ、半数は残った少数を集団でかかって殺している。
そして顎自身は、自身の武器である槍によって貫かれ、天井に張り付けられていた。
理解が追いつかない。
果てしなく、理解が、思考が追いつけない。
何が起こってどうなって、このような結末に至ったのかわからない。
――あなたになら任せられる
そう言われて来たと言うのに、なんだこの状況は。
なんだ、この惨状は。
「ありがとう、
大男――剛修羅は唸る。
その目は誰も捉えていなかった。
誰も見ていなかった。
今までに屠って来た多くの命を、認識しているのかは定かではないものの、瞳に刻んできた剛修羅の目は、閉ざされていた。
目蓋の上からできている傷から、目を潰したのだとわかる。
そして剛修羅ほどの実力者を相手に、重複者が潰したはずもなく、自ら潰したのだと見て取れる。
しかし目を封じた剛修羅によって、顎は瞬殺された。
抵抗する暇もなく、あっけなく返り討ちにあって、串刺しにされたのだった。
「この、怪物、が……」
重複者と対峙するために、重複者への対策はいくつか講じて用意して来た。
剛修羅がいたとしても、狂気に呑まれて理性を失っている怪物の隙など、いくらでも突けると思っていた。
それは正しい。
実際に重複者への対策は成功していたし、剛修羅の隙を突けるほど、顎の実力はあった。
計算外だったのは、剛修羅が目を封じていたこと――すなわち自分の意思で、重複者を守っていることだった。
顎の計算は、剛修羅が重複者によって操作されていることを前提としたものだった。
故に隙を突くことは、難しくとも可能だと思っていた。
だが剛修羅が自分の意思で動き、自身の持てる反射速度で動いているのだから、顎の計算を超えていることは確実だった。
故に、このような結末に至る。
顎は結局、対策に対策を重ねて講じ、実践した重複者ではなく、剛修羅によって心を折られ、死んだ。
「ありがとう、剛修羅」
剛修羅は喋らない。
喋るために必要な脳機能は、すべて狂化の魔術によって奪われている。
故に何故、剛修羅が重複者についたのか、その理由を問うことはできなかった。
目を封じることで重複者の魔術から逃れることができて、さらに実力的にも、彼ならば重複者を充分殺し得るというのに、その後も他の参加者相手に、同等以上に立ちまわれるというのに。
何故――
故に重複者は、剛修羅に感謝していた。
どんな理由が心中にあるのかわからないし、ひょっとしたら騙し討ちのための演技かもしれないと、逡巡することもあるが、彼は狂気によって支配された狂戦士。
芝居なんて芸ができるはずもない。
彼の頭は狂気によって満たされ、本能に従っているのだから。
故に重複者も、安心して彼に委ねられる。
裏切りも知らない、暗躍も知らない、もしかしたら今どきの子供よりも無垢な存在。
彼の心だけは、決して折れない。
彼の心は決して、弱くない。
だって、世界中から恐れられ狙われる、生物ですらない意思を持っただけの人形を、護ってくれているのだから。
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