魔導生物兵器

 戦争一日目、終了。

「お、お口に合いますでしょうか……」

 不安げな他愛たあい

 聖母はゆっくりと咀嚼し、微笑みで照らす。

「はい、とてもおいしいです。ありがとうございますね、他愛」

「! そ、それは良かったです! 良ければどうぞ、遠慮なく召し上がってください!」

 他愛手製の料理の数々は、美味なるものばかりだった。

 天界にいる間しか味覚が働かないように、天使は基本なっているため、聖母を騙る両天使りょうてんしはほぼ初めてとなる地上の料理を味わう。

 味覚が解放されなければ、天使は地上の食物すべてをただの栄養と見て、味わうことなどできなかった。

 戦争の裁定者役を全うするためとはいえ、脳の抑制を解除してくれた召喚士しょうかんしにはお礼を言いたいところ。

 しかし今、召喚士は聖母様の遣いという芝居をしており、さらに言えば現在この場に召喚士本人がいなかった。

 聖母と同じ食卓を囲むわけにはいきませんと理由をつけて、隣の部屋で何やら話し込んでいる様子である。

 相手が誰かは両天使も知らないが、天界の誰かであることだけは確かだ。

 そして両天使の予想通り、召喚士は天界と連絡を取っていた。

 他愛が聖母を信仰する上で使っている装飾品を媒介として簡単な魔術陣を形成し、相手の姿を立体的な映像として目の前に出す。

 話し相手は召喚士の報告に、苛立っている様子を見せる。

 報告内容にではない。報告そのものをしてくる時間が、遅かったことに対してだ。

『とぼけるな召喚士! 貴様、これ以上問題を起こす気か!』

 天界でもナンバーⅡと呼ばれる座に位置する召喚士に対して、当時こんなにも強い口調で言える人物は一人だけ。

 天界の玉座に座る五人の中で最高峰。最も古い時代の戦争に勝利し、玉座を勝ち取った魔術師、一番目イナ・ディフテロ

『何故我々にまず連絡をしなかった! 熾天使してんしを勝手に参戦させただけでなく、裁定者の役まで代わりおって! ちゃんとした説明あるんだろうなぁ!』

「説明も何も、僕はただ守ろうとしているだけですよ。あなたもご存じのはずでしょう。僕が私利私欲で動く天使ではないということを」

『天界の天使を野放しにしておけるという事実が問題なのだ!』

 天界の天使の脳に施される抑制は、感情及び記憶の部分を制限し、天界に対して天使が反発しないためにする処置。

 地上では倫理的観点などの問題があるため公表はしていないが、しかし天界が地上を統べる国として機能できているのは、天界の天使が命令に忠実で、逆らうことがないからである。

 どれだけ繁栄する国も、謀略や転覆を許してはいつか落ちる運命にある。

 だが脳が抑制され、叛逆の意思も王への疑惑も削がれてしまえば問題はない。

 天界が発足されてから現在まで、一度たりとも叛逆された歴史が存在しないのは、脳の抑制があるからである。

 故に天界としては困るのだ。

 天界にも自由に行動でき、叛逆すらも可能である存在がいると地上に知られるのは。

 命令に忠実。戦場における潔癖の駆除者の看板に、泥がつく。

『おまえの身勝手で、無駄に静粛の対象を広げなくてはならなくなるであろうが!』

「そうピリピリしないでくれ、一番目イナ・ディフテロ。繰り返すが、僕は別にこの戦争を搔き乱そうとしているわけじゃあない。

 一番目イナ・ディフテロは驚かない。

 いつものことだと言わんばかりに受け止めて、特別な反応は示さなかった。

 当然である。

 これまでの七回の戦争でも、召喚士がすべての決着を先に知っていたのだから。

 彼の星占いは、九分九厘の的中率を誇る。

 さらに戦争の勝者に関しては、ここまで百パーセントの的中率を叩きだしていた。

「ただ、今回はよくない。僕の占いがこれまでの戦いであなたを含め、その戦いの勝者を導き出してきたけれど、今回はその中でも最悪だ」

『どうせ、熾天使が勝つのだろう。おまえがけしかけなければ、そんな結果にならずに済んだと思うのだが?』

「いや、そうしなければいけなかった。あのまま蝶天使ちょうてんしくんが出ていたら、それこそ最悪の結果――勝者のいない結末を迎えることになるところだった」

『なんだと、誰も玉座に座らなかったというのか!』

 一番目イナ・ディフテロはここでようやく反応を見せた。

 二百年に渡って天界を治めてきた彼が、初めて動揺したと思うくらいの反応だった。

 実際、勝者なしという結末は一番目イナ・ディフテロの予想を超えているものだったことに間違いはない。

 今までに一度もなかった結果だからだ。

「僕の占いだと、結果までの経緯や経過はわからない。けれど事実、あのまま蝶天使くんを行かせたなら、この第八次戦争は十中八九、九分九厘、意味のない戦争に帰結していたことだろう。そのための策として、彼には悲しくも貴い贄になってもらったわけだけど、まだ問題がある」

『それでもまだ、勝者が現れなかったとでも言うつもりか』

「いや、勝者は現れる。ただし戦いのすぐあと、死んでしまうんだ」

 一番目イナ・ディフテロは、再び動揺を見せる。

 奇しくもこれまで、勝者がその後死んでしまう結末はなかったからだ。

 いや、正確には殺した結末ならある。

 玉座いす取り戦争ゲームとはそもそも、世界を統べる玉座の一角を争奪する戦いという表向きの理由で飾った粛清だ。

 世界にとって悪影響を与える者、世界を変革し得る者を選び出し、粛清していく大規模儀式。

 故に参加者九人は粛清する側とされる側が存在し、もしも勝者が粛清される側だった場合、勝利後の粛清も視野に入れてのことである。

 過去に二度ばかりそのようなことがあり、そのときは勝者を粛清後に地上より魔術師を一人招いてその座に就かせるという処置を施した。

 だがここで召喚士の言う「死んでしまう」とはすなわち、処理以外の死因を差す。

 自決か病死かギリギリの勝利後に力尽きたのかは知らないが、それこそ困る。

 玉座の権能を死人に与えては、それこそ無駄だ。

 玉座の与える厖大な知識と魔術は、天界の五つしかない財産なのだから。

 玉座に座る者とは、その知識と魔術を天界と世界のために行使する権利を与えられた者達を指し示す。

 脳は天使よりもより強く抑制され、世界と天界のためだけに生きる執行者と化す。

 その権能を与えるのが玉座のシステムだというのに、謙譲したあとで死なれては、無駄遣いもいいところだ。

 玉座のシステムは、起動できて数年後。

 戦争は粛清の儀式の面を持っているとは言っても、後任者を選び出す儀式であることも変わりはない。

 故に許されない。結局勝者はいなかったという結末は、望むところではない。

『最悪の結末を回避するためおまえは介入するのだと、そう言いたいわけだな召喚士』

「それが今の僕の仕事さ。銃天使じゅうてんしを含め、粛清すべき存在を確実に処理するためには熾天使の力を借りるのが最適だし、彼女を御するとすれば僕しかいない。そうだろう」

 しばらくの沈黙。

 先にそれを破って畳み掛けたのは、召喚士だった。

「それにこれはチャンスだ。例のあの子の回収もできる」

重複者じゅうふくしゃか』

「人の人格を殺し、他人格を植え付ける魔導生物兵器。かの魔導大国が残した負の遺産。戦争という名目でもなければ、僕ら天界が彼女を手に入れることはできない。そうでなければ、リブリラの永書記えいしょきに悪いように書かれてしまうからね。天界の面目を保つなら、これは好機だと思うんだ」

『確かに……あれを穏便に回収などとはいかないからな。何しろあれは、地上では害悪の類と認知すらされていない魔性だ。あれを回収しようとすれば、我々は世界からの反感を買うだろう。自分の子供を奪われるかのようだと訴えてくることは、目に見えている』

「あの子の魅了はもはや世界規模で蔓延しているからね。ならば戦場で壊れてしまったために回収したと言えば、まだ面目は保てる。何故戦場に招いたのかという声は、あるだろうけれどね」

『その程度の反抗など可愛いものだ。天界の武力を前にすれば、地上の種族は無力に等しいのだからな。最も、反抗されないのが最善であることに変わりはないが』

「納得してもらえたかな、一番目イナ・ディフテロ。僕なら裁定者として戦争を進行しつつ、熾天使を御し切り、重複者を回収する。そんなことができるのは僕だけだと、自負しているつもりだよ」

 またも沈黙。

 だが今度は召喚士も口を開かない。

 重く圧し掛かる空気にもめげず、ひたすらに沈黙を貫き続ける。

 ようやく一番目イナ・ディフテロが折れて吐息したときでさえ、召喚士は口を真一文字に結んだままだった。

『仕方あるまい。ならば貴様に一任する。だが、一任するからには事を成せ。それが貴様の役目である。最悪、熾天使に国を沈めさせても構わん。必ずや勝者と、重複者を用意せぇ』

「もちろん、そのつもりだよ」

 通信が終わり、召喚士は気疲れしたと言わんばかりに凝った肩を鳴らす。

 そして隣の様子を窺おうとして、調度よく扉を開けたところで両天使と鉢合わせた。

 一瞥をやって他愛の存在を確認すると、すぐさま両天使の前で片膝をつく。

「聖母様、地上のお食事はお口に合いましたでしょうか」

 一瞬たじろいだ両天使だが、召喚士が一瞥くれたのを見て咳払いをする。

 そしてなるだけ、自分の中で作り上げた聖母像を壊さないように、かつ召喚士に失礼の内容に。

「はい、実に美味でございました。貴方ももう食べて結構です。天へのご報告、ご苦労様でございました」

「もったいないお言葉。それでは失礼して、私もお食事を召し上がらさせて頂きます」

 他愛の手料理を食べ終えて、召喚士が用意された部屋に入ると、そこでは若干気疲れした様子を見せる両天使がベッドの上で座っていた。

 扉が閉まるとすぐさま、召喚士の前に片膝をついて深々と頭を下げる。

「先ほどはご無礼を致しました、申し訳ありません」

 聖母を騙るために心を解放したのだが、返ってそれが彼女に気疲れを起こしてしまっている様子である。

 だがそうしなければ、命令に忠実な天使が他人を騙るなどできはしない。

 痛める心があるだけ、それはいいことなのだろうとは思うのだが、しかし召喚士は悲しまないし、反対に喜びもしない。

 そこに曖昧なくらいな、悲し気な笑みを見せるだけである。

「構わないよ。僕が騙れと言ったのだからね。だからこれからもその件での謝罪は必要ない。これが最初で最後だ、いいね」

「かしこまりました」

「さて、では今日の報告をしてくれるかい?」

 と、召喚士はその場で正座する。

 扉が開けられるといけないということを悟り、両天使は「失礼します」と断ってから立ち上がると、聖母の如き慈愛に満ち満ちた笑顔を演出して、口調をも演じ始めた。

「戦争の一日目が終了いたしました。銃天使と熾天使の衝突があったものの、決着つかず。また、重複者と剛修羅ごうしゅらの接触を感知致しましたが、どうやら結託した様子。未だ、同じ場所にて感知しております。この状況をどう見ますか? 召喚士」

「失礼を承知で愚察ながら申し上げますと、おそらく重複者と剛修羅は結託したというよりも、剛修羅が重複者の手玉に取られたというのが正しいかと。あれは戦うということをまるでしません。人格を奪い殺し、ほかの人格を与えて懐柔する魔性なれば、知恵あるものすべてを魅了し欺き、手玉に取ることでしょう」

「なるほど。ではこれをどう対処するものとしますか? あなたの考察を聞きたいです」

「あの者はこの都市をも脅かしかねない存在。早急に手を打ち、あわよくば捕縛したいものと考えます」

「よろしい。ではそのように。手段はあなたに任せますよ、召喚士」

「は、必ずや」

 というやり取りで明日以降の方針を相談し、この日は就寝した。

 天界の天使といえど、睡眠しておいた方がいいことに変わりはない。

 狙いは魔導生物兵器、重複者。

 ただしそこには、狂気の蛮勇にして同じく魔導生物兵器、剛修羅が立ち塞がる。

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