絶対悪信仰
三つの信仰によって作られた
天界によって作られた海上都市が、その三つの信仰のみで成り立っていたのは、発足された当初だけの話。
かつては世界の神秘とされていた神の奇跡だが、魔術と魔導技術の発展により、その奇跡が平凡化していったという背景が存在する。
かつての神の奇跡の数々も、時代の進化と共に解明されたが故の結果である。
技術の発展と、古代の神秘を魔術という形で会得できるようになったが故の信仰の衰退。
人々が信じるものは神などではなく、偉大なる魔術師という明確な存在。
誰もが何かを敬い、崇拝までするような時代は、とうの昔に過ぎ去った。
『信じるものは救われる』などという言葉が、皮肉めいて聞こえるほどに、信仰の時代は廃れていったのだった。
故に彼の存在は、非常に稀有で希少。
かつ、異様であった。
彼の正体を誰も知らず、誰も彼の姿を見たことがなく、どのような魔術師であるかもわかっていない。
だというのに、彼はまるで高位の神祖として扱われ、裏の世界で彼を知らない者はいない。
誰もが彼を敬い、崇拝し、信仰する存在。
その名を、人々は
すべての悪心の権化にして、悪の頂点。
この世全ての悪を敷く者にして、統べる者。
この世全ての人災すべてが彼の手によるものであり、この世全ての災害が彼の魔術だと噂される。
すべての厄災の権化にして最悪の象徴。それが絶対悪だと、世界は知っている。
彼は最悪の絶対悪。
この世全ての悪心の権化にして、悪の頂点。
だが世界にとっての悪である彼は、崇拝の対象であった。
名のある魔術師こそが尊敬される存在となれるこの世界。
だが彼はその中で、誰にも実体を掴ませていないが故に崇拝される神だった。
故にこの大戦に、彼の信者が行動しないはずはなかった。
絶対悪の参戦が決まってすぐに、彼らは動いた。
三神王都に忍び込み、それこそ三神王都の警察機関が把握し切れない速度で戦力を拡大。
今や国がその実体を把握できていないというだけで、規模だけで言えばすでに、三神王都に根付いていた三つの信仰団体すべてを上回るほどにまで勢力を広げていた。
それこそ、
今宵のミサは盛大だった。
記念すべき、戦争開幕の夜。
信者達はまるで、世界を呪うかのような呪歌を歌う。
燃え盛る松明の隊列が、黒ローブに包んだ信者の狂気を照らす。
古今東西。
王都に侵入した世界各国の信者達が、それぞれの生まれ故郷で犯した罪を主張するかのような臭いを放っていた。
捧げられるものもその罪に合った、傍から見れば吐き気を催すものばかり。
異臭と呪歌とに密閉されて、人々の目は狂気に満ちていた。
どの目を見てもすでに、死んでいるという表現が正しい。
唯一生きている目が見られるのは、幹部と呼ばれる五人だけだった。
五人全員が刑によって、聞く者が聞けば震えが止まらない名を奪われた罪人達。
収監されていた獄を抜け出て、絶対悪信仰の幹部と呼ばれる彼らの目は、むしろ活き活きしたものだった。
死んだような黒ローブの集団も松明の群れも、それらが差し出し、照らす捧げものも、すべて彼らの目には鮮明に映っていた。
誰も顔を背けず、目も逸らさず、平然と受け入れている。
彼らは颯爽と、黒ローブを脱いで姿を晒した。
そうすることを許されているのも、彼らだけだ。
「よくぞ集ってくれました、同胞たち。今宵は血の宴が始まった夜。絶対悪様もお喜びのことでしょう」
五人の幹部でも真ん中に立つ青年が、信者達をまとめるように振る舞う。
王宮専門強盗殺人鬼。
殺害人数五〇六人。
転覆した国家の数、三つ。
彼女が幹部であり、さらに筆頭であるかのように振る舞うのは、彼女の輝かしい罪歴を称えて、皆が慕っているからではない。
ただ単純に、彼女しか、人をまともにまとめられる存在がいないからである。
他の人間にはもちろんのこと、四人の幹部に関しても、人を先導する能力は彼女と比べてしまえば、乏しいものだった。
「先ほど、天界の天使より宣戦布告を頂きました。我らが神は、この挑戦を未だ受けない様子ですが、それも彼方の深い御心に従ってのことでありましょう。我々には、計り知れぬものがあるのです」
誰も疑っていないうえ、疑う余地も挟まない。
誰もが彼女の言葉を疑わず、絶対悪の存在を疑っておらず、絶対悪がこの戦いに参戦していると思い込んでいた。
真実は誰にも、誰の頭にも、理解できてなどいなかったが。
「我々は求めます。彼の勝利を。故に戦うのです。玉座を探すのです。世界すべての悪であるお方を、この世界の王とすべく、我々は立ち上がったのです。故に神は、あのお方は求めます。我々の奮戦を期待します。故に、あなた方の尽力な働きを、期待しております」
彼女一人が、彼らを先導しているのではない。
彼女はあくまで代弁者にして、代筆者。
彼らを従えているのはあくまで、絶対悪そのものだ。
故に彼らが応じたのは、彼女の言葉にではない。
彼女が語る、絶対悪の御心である。
彼女が嘘を騙ればすぐさまに彼らは、彼女を殺すだろう。
故に、というわけではないが、彼女も嘘は騙らない。
もしも私欲によって動かそうとするものならば、信者はすぐさまその嘘に気付く。
何せ誰も、彼女について来ているのではなく、絶対悪について来ているのだから。
「さぁ戦いのときです。彼に変わって我々がすべてを殺しましょう。我々がすべてを勝ち取りましょう。奪いなさい、殺しなさい、あなた方の働きが、あの方の勝利となるのです」
「「「おぉぉぉぉっっ!!!」」」
黒ローブは蠢く。
闇夜に溶けて消えていき、それぞれ他の参加者を探しに散った。
少なくとも松明の仄暗い明かりの中から黒ローブを見失ったとき、青年は短く吐息した。
彼女の装いを改めて描写すれば、とある魔導学園の制服と酷似した制服を着ていたが、本来真白に青を基調とした制服が真っ黒に塗り潰されていた。
本来の制服よりも短い丈のスカート。
帯刀するため、二重三重に巻かれたベルト。
何より、首より下の全身をくまなく巻いている包帯は血塗れで、特に首筋は赤褐色で汚れていた。
「
顎と呼ばれた大男。
三叉槍を手にしており、スラっと足が長く高身長。
必要最低限の筋肉のみをつけたいい体をしており、その胸には三叉槍に刻まれているものと同じ刻印を刻んでいた。
魔術的なものではなく、ただの刺青である。
顎と呼ばれた男は口元をマフラーで覆っており、ひたすらに口を見せようとしなかった。
「あなたに一人任せます。首を取ってきてください」
「『言うは易く行うは難し』だ。そう易々とはいかぬぞ」
「あなたならば不安要素は少ない。それに、私や
「えぇ、
反論した眼は、制服の青年を腕と呼んだ。
眼は腕よりも幼い顔立ちをしていたが、彼女よりも大人びた体をしていて、その体を包み隠すことなく露出していた。
上半身に関しては胸以外出しており、下半身も腰はもはや曝け出しているほど。
臀部の半分が背後から見えてしまうほどに、ズボンを緩く履いていた。
彼女の武装はその身丈には合わないほど巨大な十字架の弓で、指先で操るその仕草から、彼女の細い体には似つかわしくない怪力を想起させた。
「私そんな弱くないしぃ。腕にそんな言われたくないしぃ。なんだったら私が代わりに行くしぃ」
「やめてください。あなたは何かと派手過ぎる。あなたの出番は、この戦いがより激しさを増した佳境に尽きます」
「でぇもぉ」
「ふぇ、ふぇ、ふぇ。若いのはやる気があっていいのぉ」
明らかに五人の中で年長者と思われる、老齢な男が笑う。
鼻が高く、目元もハッキリしていて、若かりし頃はさぞ女を虜にしただろう美貌を持っていそうな顔立ちをした老人だった。
彼は五人の中では
その柔和な笑みからは、とても人殺しなどできそうもなく見えるが、実際はすでに大国規模の人数を丸々殺した大犯罪者である。
スーツに身を包んだ、若干の潔癖を感じさせる彼は、長く伸ばして結んだ髭を撫でながら、眼の反論を嗜める。
「おまえさんもさっき見たじゃろう? あの
「えぇぇ、ただの操作魔術師じゃん。武装が凄いだけで大したことないよ、あの人自身は」
「これだからおまえは頭が悪い。せっかくいい目をしてるのによぉ」
顎の言葉で眼はムッとなり、月は笑う。
月は睨まれていることなど気にも留めず、未だ長い髭を撫で続けていた。
「魔術刻印というのは起動すれば魔術と一緒じゃ。つまり魔術刻印を刻んだ武装を同時に複数使うと言うのは、魔術を同時に複数発現するのと意味は同じ。操作の魔術自体も合わせ、奴は数十にも及ぶ魔術刻印を同時に起動しておった。それだけの魔術を同時に展開できる魔術師など、世界にそういると思うか?」
五人全員が思い浮かべたのは、黄金の帝国ヴォイの
地上最強の魔術師と呼ばれる不死王ならば、その程度のこと造作もなくやってみせるだろう。
つまり熾天使と名乗った天使の実力は、その領域に達していると言うことだ。
かの骸皇帝に及ばぬと自負している自分達で、同じ領域の存在に勝てるなどとは思えない。
そう言われることで、眼は自分達と今の今まで下に見ていた天使との実力差を改めて知ったのだった。
「じゃあどうするの? どうやってあの天使、倒すの? 腕」
「とりあえず、あの天使は後回しです。先に他の参加者を倒します。なので顎に頼んでいるのです」
「そゆこと。だから待ってな、眼。すぐさま出番は来るさ」
「じゃあ待つけどぉ。サクッと殺されないでよねぇ」
「そう簡単にはいかねぇよ。俺だって、それなりの戦火を潜って来たんだからな」
「では頼みました、顎」
「あぁ、行って来る」
顎はそうして、闇の中へと姿を消した。
残された腕と眼、そして月はさて、と一斉に視線を集める。
ここまで終始無言を貫いた彼女はただ床の一点を見つめたまま、未だに黙り続けていた。
「
眼に話掛けられて、ようやく反応する。
だが人見知りのようで緊張し、最初こそ「あ……うぇ……」としか言葉が出せなかった。
言葉を発するまでにそうした躓きを五、六度して、ようやく答える。
「考えてた……の……どうしたら、あの、天使を殺せるかって……でも、どの作戦も不安で、無理で……だから、だから……」
と、震える脈の小さな頭に手を置いた、腕の手は冷たかった。
まるで死んでいるかのようだった。
流れる脈は希薄で、とても感じ取れるものではなかった。
「安心して大丈夫です、脈。あの天使は狙いません。あの天使には、絶対に勝てない。この戦争に参加している者誰もが、そう思い知ったことでしょう。良くも悪くも、彼女は戦いの序幕から力を振るい過ぎた」
「じゃ、じゃあ、どうするの……?」
「彼女に魔術や実力で敵わずとも、策はあります。故に、彼女を殺せる者をこちらに招けばいいことです」
「魔導王国を滅ぼした人形兵器、
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