亡国の剛修羅

 彼が初めて目にした光景は、白衣を着た女の人が、薄く透明な板の前で悠然と、自分達を差して何かを語っているところだった。

 女性が自分達の生みの親――言ってしまえば母親で、自分達が彼女によって作られた人型魔導決戦兵器、人造人間修羅シリーズであることを知ったのは、およそ五年くらい後のことだった。

 どれだけいるのかわからない弟達と共に、それぞれ液体の入ったカプセルで眠る彼は、剛修羅ごうしゅらと名付けられた。

 弟の異修羅いしゅらと共に修羅シリーズの最高傑作と呼ばれた彼は、当時敵対していた帝国ヴォイの骸皇帝がいこうていを討ち倒す切り札として期待されていた。

 だが結末はヴォイの軍勢に攻め落とされ、修羅シリーズはそのほとんどが殲滅された。

 剛修羅と異修羅の二体は生き残ったが、異修羅は異次元監獄へと幽閉され、そして剛修羅もまた世界を放浪し、戦場ならばどこにでも現れる一種の災害に指定されていた。

 天界によって高値の懸賞金が首にかかり、世界に指名手配されても尚、剛修羅を捕まえることは誰にもできなかった。

 転移の魔術によって、一定以上の規模を超える戦場に必ず現れるという特性を持つ修羅シリーズ。

 剛修羅も同様にこの日もとある戦場に転移し、施された狂化によって理性を失っているがために、無差別にその暴力を振るう。

 結果的に救われる国もあるので、剛修羅が現れた戦場においてはどの国が彼を有効活用できるかで、勝敗が決まることもあった。

 この戦場においても、剛修羅は大いに利用されていた。

 このとき、かの騎士王国エタリアと、エタリアを侵略すべく進軍して来た王国との大戦が繰り広げられていた。

「あれが噂の修羅シリーズ……六腕の異修羅はすでに投獄されたと聞いていましたが、あれもそれだけ強いので?」

 剛修羅の戦う様を見て、騎士の一人が上官に問う。

 上官たる女性騎士は、同期の騎士が馬を使い、敵軍へと剛修羅を誘いこんでいるのを見下ろしながら、煙草の煙をくゆらせる。

「あれとは別物さ。六腕の修羅は、元々突然変異によって生まれた人間の子を、ベルサスの魔術師が拾い上げたところから始まったと聞く」


「だがあれは、剛修羅はその魔術師の卵子と異種の精子を掛け合わせ、培養液の中で育てた真の魔導生物兵器。あの体には狂化だけでなく、様々な魔術が施されていて、異修羅とは比べ物にならない最強の修羅、と言われているそうだ」

「それでも、骸皇帝には敵わなかったんですか」

「そうだな。まぁそもそも、修羅シリーズは骸皇帝と戦うことすら適わなかったそうだが。例え相対したとしても、かの皇帝には敵わないだろうな」

 エタリア騎士団副団長、純騎士じゅんきしの直属の部下である九人の騎士。

 それぞれ獣の名を冠していることから、十字騎士獣士じゅうじきしじゅうしと呼ばれる。

 一人を作戦指揮官に残して、残り八人で剛修羅の誘導に務めていた。

 戦場においては見るものすべてを敵と認識し、襲い掛かる修羅シリーズ。

 その特性を生かし、彼らは馬を使って剛修羅を誘導していた。

「おい、鹿騎士かきし! もっと右に誘導しろ! このままじゃあ味方に突っ込むぞ!」

「んなこと言ったってなぁ、馬騎士ばきし! こいつ俺のことを無視しやがる! 小さいからか?! 小さいからか!」

 王国では馬鹿コンビと呼ばれる双方の騎士。

 彼らの乗る馬は王国が用意した上級の馬で、俊足と呼ばれる種類である。

 騎士団長や純騎士を含め、十字騎士獣士ら団長クラスの馬は皆そうだ。他より速い。

 だが剛修羅はその速度にも追いついて、黄金の剣を振り下ろして両断しようとしてくる。

 斬撃は大地を割り、真正面へと飛んでいくので攻撃範囲がとても広く、ただ回避するだけでも苦労させられるというのに、騎士達は迎撃ではなく誘導を求められているので、難易度は非常に高い。

 騎士団でも俊足と謳われる馬鹿コンビでも、至難の業と言って過言ではなかった。

「どけ、馬鹿コンビ!」

 それを見て、三人の行く先に立ちはだかる騎士が一人。

 五メートルを優に超す剛修羅に、唯一体格で張り合える巨躯の彼は、さらに自身より大きな大剣を握り締め、剛修羅を待ち構えていた。

象騎士ぞうきし!」

「おまえ、死ぬなよ!」

 二人の馬が左右を横切って、剛修羅はどちらでもなく目の前の象騎士に剣を振り抜く。

 大振りかつ剛腕で繰り出される一振りが大地を砕き、衝撃で大きく歪む。

 隕石が衝突したかのように大きく凹んだ大地の中央で、力の限りを叩き込む剛修羅とそれを受ける象騎士の筋肉が、これでもかと膨れ上がった。

「舐めるなぁっ!!!」

 剛修羅の剛腕を、跳ね除けた。

 大きく踏み込み、横から斬り払う。

 だが剛修羅は真上に高く跳躍して躱すと、落下も合わせた重量のある攻撃を再び振り下ろし、大地をさらに深く歪ませた。

 受ける象騎士は全身から汗を垂れ流し、筋肉は限界まで膨れ上がって、額には血管がはち切れんばかりに浮かび上がり、痙攣する。

 さらに剛修羅の斬撃は止まらない。

 上から叩き込む形で繰り出される斬撃は止まることを知らず、ぶつかる度に激しい火花を散らして象騎士を追い詰めた。

「象騎士様っ!」

「だから無理するなって言ったのに……」

 二人の騎士が加勢に入る。

 うち一人は剣を持たず、ガントレットをまとった拳に魔力を圧縮。剛修羅に殴りかかった。

 もう一人も、レイピアを振り抜いて思い切り突く。

 だが剛修羅は片腕で拳を受け止め、剣でレイピアを受け止めた。

 攻撃の最中に不意を突いたというのに、誰もが驚愕する反射速度。

 まず考えてから動いたのでは間に合わないはずだ。

「このっ……!」

狼騎士ろうきし、下がりなさい」

「まだいけるっ、てっ!」

 足蹴りが剛修羅に迫る。

 だが剛修羅は喰らうよりも先に自ら頭突きして相殺。

 その拳を持ったまま、狼騎士を思い切り投げ飛ばした。

 投擲速度によって、身が軽い狼騎士は体勢を立て直すこともままならず、地面を転げに転げて、象騎士にぶつかることでようやく止まった。

 頭突きされた脚は折れており、剛修羅に捕まっていた拳自体はなんともなかったものの、ガントレットが砕けていた。

 狼騎士が投げ飛ばされたその隙に、もう一人の騎士がレイピアで迫る。

 王国が誇る、当時最速の突きと謳われた彼だが、このときその自信を喪失した。

 すべての突き、すべての攻撃を剛修羅は躱し、受け止め、さらには弾き返したのだ。

 たった一秒内に二〇は濃縮されていたはずの攻撃がすべて、すべて防がれたのである。

「馬鹿な……」

 彼は王国でも自信に満ち、事実を受け入れられないなどと言わない人だったが、しかしこのときは自然に、この現実を否定したいかのように漏れ出た。

 そして剛修羅の無慈悲な斬撃が、彼の命を一瞬で閉ざす。

子騎士ねきし様!」

「……馬鹿コンビ! 援護しろ! 子騎士がやられた! 死体を回収する!」

 仲間を殺されて怒る双方だったが、そこは自分を律して平静を保とうと試みる。

 馬鹿コンビは呼ばれるほど、馬鹿ではない。

 むしろ平静を保つことに長けた、実に冷静な騎士達である。

 馬が翻弄し、鹿が颯爽と子騎士を回収。象騎士らと共に撤退する。

 そして迎え撃つは、これまで見る方に回っていた三人の騎士――のはずだった。

 彼ら十字騎士獣士の間では、そのような手筈になっていた。

 無論、子騎士の死は想定外だったが、しかしここで三人の騎士が戦いながら、剛修羅を移動させる予定だった。

 だが子騎士が死んだことで、彼女が出るしかなくなった。

 いや、彼女が出ねば収まらなかった。

 彼女が仲間の死を、そう易々と許容できる人格ではなかったからである。

「よくも、よくも……よくもぉっ!!!」

「姫!」

「なんで姫が出てるんだ、おい!」

 十字騎士獣士の彼らだけが、彼女を姫と呼ぶ。

 世間からは魔女と呼ばれていようとも、彼らにとっては一回りも小さな若い女騎士。

 姫の愛称は、その可愛らしさと強さの両立を表しているもので、決して揶揄しているわけではない。

 全身に鋼鉄の武装を施し、剛修羅の前に堂々と君臨する彼女は、赤雷をまとった剣を握り締めて剛修羅に一歩また一歩と向かっていた。

 そしてその敵意を感じ取って、剛修羅もまた青雷をまとって迎え撃つ。

 彼女――七代目純騎士が踏み込んだ瞬間に剛修羅も踏み込み、互いの剣をぶつける。

 赤と青。

 二色の雷が、激しい衝突を繰り返し、その雷撃は敵を巻き込んで戦場を焼く。

 自陣は三人の騎士による魔術障壁で防御させた七代目の判断は正しかったが、しかし三人にも相当の負担だった。

 一瞬で魔力を限界量まで搾り取られそうになるほど、恐ろしく重い雷が二つも襲い掛かって来て、障壁は一瞬で崩壊しかける。

 もしも自分達に向けて放たれた攻撃だったなら、一瞬で焼却されている事実を呑み込みながら、三人の騎士は部下のフォローも受けながら必死に障壁を張り続けた。

「剛修羅、あなたは……あなただけは!!!」

「姫、落ち着け! 魔力量じゃ敵わんぞ!」

 我を忘れ、力のままに剣を振るう七代目。

 剛修羅はその赤雷に焼かれながらも、臆することなく前進し、七代目の剣に対抗していた。

 やがて剛修羅の魔力が青から黄色へと色を変え、口が裂けんばかりの咆哮を上げて、力限りの暴力を叩きつける。

 黄金色の雷撃が空へと舞い上がる中で、七代目は剛修羅の一撃を受け止め、さらには跳ね返そうとしていた。

 全身の魔力を赤雷に変換。

 歴代純騎士が引き継いできた継承の魔術によって、十字騎士獣士の魔力及び膂力の三割を自らに乗算。

 鎧はその魔力を帯びて起動し、変形。

 赤雷が天へと届き、雷雲も存在しない空に雷鳴が轟く。

 ゴロゴロ、

 と、まるで空に巨大な化け物が住み着いているかの如く、黄雷を迸る剛修羅に牙を剥けて唸る。

 そして次の瞬間、牙と爪が一瞬で、剛修羅へと落とされた。

「“偉大なる大王の憤怒エリクサンダー”!!!」

 敵軍も、味方の軍も関係ない。

 両者が張った障壁などいとも簡単に、紙屑であると吐き捨てるが如きその攻撃力が、七代目自身を避雷針として振りかかって来た。

 剛修羅によってできた大地の窪みに落ちた雷はそこを焼き、まるで本当に、宇宙そらから隕石が降って来たかのような惨状を作り上げる。

 周囲の酸素は炭化して、呼吸すらもままならない。

 大気がまだ雷を受けて、バチバチっ、と、火花を散らしたときに似た音を立てている。

 この雷で敵軍二千、味方一七〇の兵士が死んだ。

 ただ雷のわずかなとばっちりに当たっただけで、体全体の細胞が炭化していたのだ。

 そしてその雷の直撃を受けた剛修羅は――

 ――立っていた。

 体には一切の傷がなく、肌のどこも焼けていなかった。

 衣服すらも、火の粉の一つも点いていない。

 むしろ雷を呼び寄せるために避雷針となった七代目の方が重傷で、自らの魔力の反動で全身が麻痺し、動けない状態にあった。

 決死の覚悟で、自滅覚悟で放った大技がまったく効かなかったことに、七代目は絶望こそしなかったが、しかし自分の命を諦めた。

 それは、太古の時代から続く食物連鎖。

 弱肉強食の世界が育んできた、一種の本能とも言える感情で、怒りはなく、ただ弱い者が強い者に淘汰されるという事実だけが彼女の眼前に立ち尽くしていた。

「……ここ、まで、ですか」

 容赦はない。遠慮もない。

 ただ彼には、戦う本能、殺戮する力だけが与えられた。

 命を尊ぶ心もなければ、何故戦うのかなんて考えることもない。

 ただ目の前の敵を排除し、殲滅する。

 それが修羅シリーズ最高傑作、剛修羅である。

 使命を全うするとか、本能のままにでもない。

 ただ考えることなく、剛修羅は七代目に剣を振り下ろして、消えた。

 誰もが七代目の死を予感していたし、助かる道はないと思っていた。

 だが偶然にも、奇跡的に、剛修羅は今回の玉座いす取り戦争ゲームの参加者に選ばれたことで、強制的に戦場へ転移。

 七代目はあとコンマ数秒遅ければ、子騎士同様にその頭をかち割られていたという、危機的状況を脱したのだった。

「姫!」

「姫!」

 剛修羅が暴れたことによって、この戦争は両軍一時撤退を余儀なくされた。

 エタリアは十字騎士獣士の一人を失い、また副団長純騎士が重傷を負ったものの、辛勝した。

 結局両国には、あの破壊生物兵器がどこへ消えたのかわからなかった。

 まさか玉座いす取り戦争ゲームに参加させられて、強制転移を命じられたなどとは、誰も思わなかった。

 後日、復帰した七代目は剛修羅のことをこう呼んだ。

 あれは、殺戮という名の災害であったと。

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