最強の強運者
彼は魔術師ではない。
かといって戦士ですらない。
彼の出身国、リブリラは創世記より世界中の情報を記し続け、その役割を担う者を
世界の図書館とも呼ばれるこの国に、彼が生まれたことは奇跡と言えるのか幸運と言えるのか――いや、強運というべきだろう。
もしもの話になるが、彼がもしも戦争の絶えない国や兵役を強いる国。
もしくはそれらの戦争によって貧困に喘ぐ国に生まれたとしたら、彼は大人になれずに死んでしまったに違いない。
彼はそれまでにも弱く、脆弱、虚弱、最弱の文字が似合うほど、それらの言葉の具現であるかの如く、彼は他と比べても
リブリラの永書記となる条件は、誰よりも何よりも弱いことであり、歴史を記すこと以外になんの才も持ち合わせていないことである。
だがこの男は、その才能すらも持っていなかった。
剣の才能は、ない。
魔術の才能は、ない。
かといって人を先導する才能もないし、人を騙せる才能もない。
だが彼は、何をするでもなく、何を努力することもなく成長し、大人になった。
何か特別な才能を持っていたわけでもなく、何かを必死に努力することすらせず、ただ気の向くままに生きているだけ。
彼はまさに、順風満帆な生活を送っていた。
何せ彼が自らを託したその運が、強運過ぎたからだ。
彼はまず、世界的遺産に登録されているがためにどこも戦争を仕掛けてはいけないとされているリブリラの、王宮貴族に生まれた。
王の信頼も厚い宮廷魔術師だった父は家にいることが少なく、日々自身を溺愛する母の下で育ち、そのためになんの不自由もなく育てられた。
欲しいものはすぐに手に入れることができ、したいことはすぐにできる環境。
彼は自身を戒めることもなく、勉強も運動も碌にせず、また怪我をすることも病気にかかることもなく育っていった。
だがなんの努力もしない彼は、なんでもできてしまった。
別段、得意分野があるわけでもなく、不得意があるというわけでもない。
ただ周囲から軽蔑されない程度に物事ができて、同じ位物事ができなかったために、周囲からはただ、裕福な家庭に生まれたというだけのなんの特徴もない。
しかし平々凡々とも言えない、なんとも掴みどころのない男であった。
彼は言う。
物事を必死に努力してまで、何かをする必要はない、と。
努力する人間を羨んでいるわけでも、努力したいと思っているわけでも、ましてや努力する人間を馬鹿にしているわけでもない。
ただ才能というのは自分の中に必ず一定量だけ存在し、人生というのはその才能にあったものだけを送ることができるというのが、彼の持論だった。
しかし彼に、彼の今の生活を維持できるだけの才能はなかったが故に、その持論はそもそもが破綻していた。
では何が、彼の生活をそこまで満たしているのか。
――強運である。
彼は驚くほど運がよかった。
文字通り、彼の運は何よりも強かった。
彼に向かってまず飛び道具など当たらず、掠りもしない。
死ぬような状況に陥ろうとも、死ぬどころか怪我すらすることなく助かり、毒を飲もうとも平気で生き残るし、ギャンブルでは必ず当たりを引く。
問題が選択式なら適当に選んだだけで全問正解を果たし、身内の誰も悲惨な死を遂げなかった。
彼の強運過ぎる強運を称え、人々は彼を
彼の人生は皆が憧れ、羨み、恨むものだった。
彼を陥れようと誰もが画策したものだが、彼の強運の前ではすべてが無駄。
ある者は決行する前日に家が全焼。
ある者は決行日になって強盗に襲われ、ある者は計画しただけでその翌日、彼女を友人に寝取られた。
強運者の強運は自身に対しては幸福を生み、敵対者に対しては絶望を生み出す。
彼のことを気味悪がり、離れる者もいたが、しかし彼は強運者。それでも憧れ、羨む者の方が多く、彼を一人にすることはなかった。
敵対する者を誰であろうと地獄に引き落とし、自身は幸運――いや強運な生活を送り続ける強運者。
父が老衰によって死んでもその莫大な遺産を受け取り、貴族の令嬢と婚姻を結んで幸せな生活を過ごしていた。
そんな彼がこの戦争の参加者に選ばれたときには、誰もが彼の運が尽きたと嘆き、または喜んだものだ。
行った者は誰も帰ってこないこの戦争、彼がこの戦争の参加者に選ばれることなど、まずありえないとすら思われていた。
故に誰もが彼の参戦に驚いた者だが、当の本人と言えば暢気なもので。
「なら俺が最初の帰還者になってやるよ」
と言い放つ始末。
今までに何人の魔術師及び戦士が、そういって戦いの災禍に呑み込まれ消えていったのか、彼は知らない。
魔術どころか戦う術すら知らない彼の、自信の根拠とは一体なんなのか。
それは誰にも理解できるはずがなかった。
彼は残された期間で戦う術を身に着けるでもなく、父の遺した遺産という遺産を食い荒らし、食べたいものを食べて買いたいものを買い、妻とセックスすることに没頭した。
生き残るための策など必要ない。
何せ彼には、どんな対策も無意味と化す、脅威の強運が存在するのだから。
一体誰が、強運などという干渉不可能な能力に対策などできようか。
その力を理解しているが故に、強運者はなんの努力もせずなんの対策も立てず、戦場へと向かった。
自分がいなくなったあとの妻のその後が心配ではあったが、最終的に帰って来ればいいと思っていたのでそこも何も考えなかった。
彼は自分が帰って来れると信じていた。
その信念は揺ぎ無く、戦場には戦いを見物するくらいの気持ちでしか、向かわなかった。
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