滅失の重複者
ん? あぁ、遅かったな。
いや、時間通りか。俺が来るのが早かっただけだな。
あぁ、わかってる。先に飯は頼んだからな、約束通り、そっちが奢ってくれよ。
ん? あぁ、わかってる。約束だからな、情報はやるさ。ただそれを記事にできるかできないかは、あんたの力量次第だろうが。
あぁ。だが、あんたが知りたいのはあれの情報なんだろ。なら覚悟することだ。あれは生半可な気持ちで手を出していい代物じゃあないのさ。
あれの正体? いきなりだな。
まぁ待て、落ち着け、興奮し過ぎだ。
とりあえず水を飲め。落ち着かないと話もできない。
飲んだ、飲んだな。いいか落ち着け、落ち着くことが肝心だ。
俺は今までにも、あんたみたいな命知らずの記者に情報を与えてきたが、みんな最後には死んでいった。
何故かって? 落ち着きを失ったからさ。
人生、落ち着きを失った奴から死んでいくのさ。自分を見失うって奴かな。
だからとにかく、落ち着きな。自分自身ってのを保ってれば、まず身の破滅なんざぁ起きねぇよ。
ん? 俺はなんで自分を保ってられるのかって?
阿呆。俺だって、とっくに自分ってのを見失っちまったよ。
あれは俺達人間の、自分自身を奪うのさ。
意味が分からないだろ? だがそう表現するしかないのさ。あれと相対してると、どんどん自分自身ってのを失っていく。
最初こそ。
最初こそ、俺も他のみんなも、あれをただの人形だと思っていたんだ。
綺麗な女の子を差して「あの子お人形みたい」って言うだろ? あの表現とは逆なんだ。さも、「あのお人形、女の子みたい」か。
俺自身そう思ったぜ。
あれはただ、女の子がパントマイムの延長線上で、人形のフリをしているだけと思ったのさ。
だがあれは本当に人形だった。紛れもない。あぁ、本当だ。
ガラスの瞳に丸い関節。肌はブリキ。髪も明らかな作り物だった。
紛れもない人形だった。
美しいさ。そりゃあ美しい。
あれがもしも人間だったなら、年齢なんて関わらず誰もが交際を申し込んだだろうさ。
何せあの人形に惚れ込んだ職人が、ウエディングドレスを仕立てて着せちまったくらいだからな。
だがそれが、あれの術中だ。
あれには魅了の魔術式が仕込まれていると言われている。
言われているって言うのは、誰もその魔術式を見たことがねぇからだ。
あれの魅了は、そんな無粋な真似すらさせてもらえねぇほどに強力だ。
あれの情報を前もって知っていた俺ですら、触れることもできなくなるほどにな。
あいつの魅了にはまった人間は、まるで東国のお百度参りかってくらい、何度もあれに会いに行く。俺も何度も会いに行った。
そしてそいつらの生気を、あれは吸うのさ。
それこそ、際限なく。生命力も魔力も、空になるまで。それこそ死ぬまで、吸い取られる。
だが吸い取られても死ぬことはない。
あぁ、今死ぬまでって言ったがな、だがそれは別の意味さ。
あいつは魅了した人間の個性を殺す。
あいつは人の生気を吸い取って、その人間の人格を殺し、吸収するんだ。
あいつは今やその能力で、無数の人格を吸収した。そしてそれを、事もあろうに他の人間に与える。
わかるか? つまりあいつは吸収した別の人格を別の人間に与えて、命までは取らないってことさ。
だがその人間のその人格はもういない。だからそいつは充分に死んだ、と言える。
考えてもみろ。昨日まで友達だった奴が、明日にはおまえのことなんて全く知らない人生を歩んでる別人に変わってるんだぜ? そいつの体で、臓器で、それでも別人なんだ。
思うだろ? 友達は死んだんだって。
そうさ。今やあいつは無数の人格をその小さな体に宿して、得た生命力と魔力で動き出した。見た瞬間――いや、知った瞬間から皆を魅了し、人格を殺す殺戮兵器が、歩き回るんだぜ?
結局あいつを作った国は滅んだよ。ついに一国丸々の人格を殺し尽したってことだ。
その後もあいつは流れ流れて、今もどこかで国を滅ぼしてるよ。今や数万人単位の人格が、あいつの中にあるってわけだ。
さらにその数万の人格が混ざり合って新しい人格を生んで、今やあいつの中には無数の人格が存在する。
だから名前を持たないただの人形のあいつを、世界はこう呼ぶことにしたのさ。
滅失の
多重人格を携えて、今も尚無数の人格を吸収し、別の人格を与える魔導兵器。今となっては、魔導生物兵器、と言えなくもないかもしれねぇ。
そうさ、一人残らずだ。
一人残らず、あいつを見た奴は元々の人格を殺されている。
今、思っただろ? だったら見なければいいじゃないかって。
おまえはそう思ったに違いない。だがおまえ、考えてもみろ。今の自分が、なんであいつを見ないと言える? どこにそんな保証がある。
おまえは今の自分が、あいつを見たいと思わないと言い切れるか?
言っただろ。
おまえはあいつを知った時点で、あいつの魅了にかかってるんだよ。おまえはもうはまってるんだ、あいつの魅了に。
見たいだろ? 見たくて仕方ないだろ。
あいつのことを知れば知るほど、おまえはあいつを見たいという欲求が込み上げてくる。
今すぐ会いたいだろ。今すぐ見たいだろ? 今すぐ、あいつに会いたいだろ。
あぁそうさ、知ってるぜ? おまえがもう抜け出せないことくらい。
は? 責任を押し付けるなよ。おまえがあいつを知りたいから俺を見つけて、俺をここに呼んでここで話を聞いてるんだろ?
いつだ? いつ、おまえはあいつを知った?
それからどれだけの時間が経った。知ってからすぐに動いただろ? 知った瞬間、運命の出会いだとか思わなかったか?
本当におまえは、あいつを記事にするためだけに俺を呼んだのか? 今の自分に問いかけて、はいそうですって答えられるか?
なぁ、おまえ。
なんのためにあいつを追っている?
そうだ、おまえもすでに、かの魔法国と同じ末路を辿ろうとしている。おまえも死ぬんだ。おまえの体にはもうじき、おまえじゃない別の人格が入るだろうよ。
ん? 俺か? おまえ、俺の話を聞いてて思わなかったのか。
――あぁ、こいつも同じ末路を辿ったんだと。
まぁ、あの子は今度の戦争に参加するって噂だ。例の
だから競争だな。あの子が戦争に行っちまうか、それともおまえが先にあの子に会うか。
戦場にあの子が行っちまえば、おまえはあの子と会えねぇだろ。だがそれで、おまえの命は、人格は助かる。
おまえが先にあの子に遭えば、おまえは間違いなく死ぬ。そしておまえの代わりに誰とも知らない人格か、もしくはあの子が作り上げた人格がおまえの体で生きることになる。
さぁどうする?
会わずに生きるか。遭って死ぬか。
もしもあの子にあったなら、よろしく伝えておいてくれよ?
頼んだぜ、兄弟。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます