九人の魔術師

アソーティタの白雪姫

 このお方――失礼、この魔術師は姫である。

 春は白花が咲き、夏は真白の陽光が輝き、秋は白銀の狼が駆け抜けて、冬は真白の雪が積もる。

 どの季節を見ても白があり、白で埋め尽くされた小さな国。それが彼女が王女であるアソーティタであった。

 だが彼女はアソーティタの王女といっても、決して恵まれた環境で育ったわけではなかった。

 両親であった国王と王妃が他国の兵によって暗殺され、王位を王妃の妹が継いだのだが、姉の娘である彼女のことをよく思っていなかった。

 この姉妹、幼少期より美しい姉と醜い妹とされており、妹は絶えず醜いと言われることでその心まで醜くなってしまい、いつしか美しい姉に対して殺意すらも覚えていた。

 姉が死んだことで王位継承権が回って来て、アソーティタでも稀有な女王が生まれたというのに、そこにいたのは憎き姉にそっくりのこれまた美しい娘。

 今まで鬱積していた、姉に対する嫉妬。

 そして自分を醜いと罵る世界に対しての憤慨。

 それら積もり積もっていたものが姉と似た、しかし姉よりも弱い者を見つけて爆発した。

 いじめと呼べば優しく聞こえる、姫にとっては拷問のような日々。

 姫の部屋は暗い暗い地下へと押しやられ、毎日罵詈雑言を浴びせられ、雑巾のようなドレスを着せられ、食事は女王の食いかけと表現しても差し障りのないくらいに、みすぼらしいものばかりが運ばれた。

 何故自分がこんなに酷い仕打ちを受けるのか。

 何故自分がこんなにも苦しい思いをしなければならないのか。

 姫が知ることなどできなかった。

 お願いします、お願いします。

 わたしをいじめないでください。

 いい子になりますから。

 至らない点は直します。私が醜いというのなら正します。

 だからどうか、わたしを許してください。

 わたしをどうか、いじめないでください。

 姫の悲痛な叫びは、女王の嫉妬心を掻き立てた。

 女王自身、その嫉妬深くなんでも自身のコンプレックスと結びつける点が、幼少期より醜いと言われていることに気付いていなかった。

 ヒステリッククイーンは嫉妬で狂う。

 狂いそうになると、もう狂っている心を惑わして、思いとどまろうとして姫をイジメ続けた。

 姉のように、他人を断じようとしないその美しい姫の心に嫉妬して、女王は姫をいじめ続けた。

 姫が名を冠し、国の象徴となっても、唯一それを穢すことができる存在としてあり続けた。

 そんな生活が、およそ十一年続いた。

 一五歳の誕生日に、白雪姫しらゆきひめの名を国の象徴たるお方から頂いた彼女は、そのとき一八歳であった。

 七歳の頃よりは地下牢の中身が充実し、もはや彼女の私室と呼べた。

 十一年の歳月が経ち、彼女の境遇を心苦しく思ってくれた人達が、彼女に密かに手を貸してくれていたのだった。

 現在では嗜好品もほんの少しだけ手に入るし、食事もマシなものが食べれている。

 だがその悪辣な環境は変えようがなく、白雪姫には病魔が襲っていた。

 不衛生な環境に十一年もいた影響で肺が弱り、そこから体力を奪われて、彼女の余命は医師の見立てではあと十年も生きられないとのことだった。

 そんな白雪姫の事情は、すでにこのとき国内にも密かに伝播し、悲運の姫を助け出そうとする動きが女王の目の届かないところで行われようとしていた。

 その火付け役となるのは、この男であった。

 その男はいつも、地下牢を照らす数少ない明かりである蝋燭の下に置かれた、大きな鏡から現れる。

 しかしそこから這い出てくるわけではなく、姿を見せるだけである。

「ご機嫌麗しゅう、姫様。本日のお加減はいかがでしょうか?」

鏡幻士きょうげんしさん……はい、ご機嫌麗しゅう。今日は幾分か調子が良いです」

「それはようございました」

 アソーティタの第一宮廷魔術師。

 名を鏡幻士といい、これまで二度、アソーティタを戦争の大火から救った英雄であり、世界が認める魔術師である。

 彼は第一に姫の一大事に気付いた男であり、姫の護身用にと密かに魔術を教えていた。

 そのお陰で白雪姫は当時、固有の魔術すらも使えるほどに成長していた。

 そしてその勉強は、このときもまだ続いていた。

 しかし白雪姫が病魔に侵されたことによって、その頻度も薄くなっていた。

 だが彼女が元気でも、そう魔術の勉強へと動くこともない。

 何故なら白雪姫には、語り聞かせなければいけない外の世界が、たくさんあった。

 十一年地下牢で過ごしていた彼女は、外の世界をほとんど知らずに育ってしまったため、鏡幻士は外の世界を語らねばならないと、白雪姫に聞かせていた。

 その話題の中には無論、地上を統べる天の国――天界のこともあったが、彼女が最も聞きたがったのは、遠い異国の話だった。

「本日は中央大陸の戦争のお話を――」

「あの……エタリアのお話を聞かせては、いただけませんか?」

 白雪姫は数多くの国の話を聞かされたが、中でもエタリアという国の話を聞きたがった。

 世界でも有数の騎士王国、エタリア。

 世界最強の騎士が集い、作り上げたまさに騎士の国。

 彼女が特に興味を持ったのは、その王国騎士団の中で最強とされる女性騎士、歴代純騎士じゅんきしの話だった。

 数多くの国と戦い、自国を護る自衛の騎士。

 各国の猛者と覇を競う戦渦の中に、自分と同じ女性がいることが、当時の彼女には信じられなかったのである。

 アソーティタにも女王はいるが、それこそ戦える女性などほとんどおらず、女は戦いの中では護られる者という立ち位置でいることが多かったし、鏡幻士のくれた本の中でも、女性は男性に比べて弱い生き物だと書かれていたのを、白雪姫はちゃんと読んでいた。

 当時の六代目純騎士は、そんな彼女の常識を覆す人物だった。

 二十歳という若さで八度の戦争に参加し、エタリアの歴史上最大の危機と呼ばれることとなった世界大戦にも参加。

 三つの国の連合軍を相手取り、たった一人で一部隊五〇人編成であった騎士軍の四割を壊滅させ生きて帰ったというまさに豪傑。

 男よりも男らしいとさえ言われる、美と力の結晶であった。

 そんな六代目の存在に衝撃を受けた白雪姫は、以降エタリアの、特に純騎士の話を聞きたがった。

 今や伝説上の存在である初代を含め、六代すべてが白雪姫の憧れだった。

「姫様はエタリアのお話が本当にお好きでございますなぁ。そういえば、あの国は六代目が引退なさって、七代目に引き継がれたとか」

「七代目! どんな方なのですか?!」

 七代目純騎士。

 この年より、歴代最長の期間純騎士の座を護り続けることとなる鋼鉄の騎士。

 その美しさから、異国からは魔女と呼ばれる異端さは、忽ち白雪姫を虜にした。

 彼女は七代目を見てもいないというのに、だ。

 話を聞くだけで心酔してしまうほど、彼女のエタリアの純騎士に対する憧れは大きかった。

 エタリアの話をしているとき、姫は心の底から活き活きしている。

 その姿を見るのが、鏡幻士の心の支えともなっていた。

「姫様、もう少しの辛抱です。我々がいずれ、御身をお救いに参上いたします故。もう少しだけ、もう少しだけご辛抱ください……」

「でも鏡幻士さん。私怖いです……叔母様と争いにでもなったら、きっと多くの血が流れてしまう。なんとか、なんとか穏便に済ませられないでしょうか。叔母様が怖くて従っている人も、きっといるはずです」

「女王が許すはずもありますまい。貴女をお救いするために、これは必要な戦いなのです。貴女様をお救いすることが、もはやこの国の総意と言っていい。この戦いは、必須なのですよ」

「でも……」

「どうか、心を痛めることのありませぬよう……お優しい貴女様には、酷く難しく聞こえるかもしれませぬが、しかし一時いっとき耳を塞ぎ、目を瞑っている間に終わります。いえ、終わらせます故。どうか、ご辛抱を」

 鏡幻士がいなくなり、再び牢には静けさが戻る。

 自分のために誰かが傷付くこと。自分のために誰かが死んでしまうこと。

 白雪姫は母親譲りの慈悲深さと父親譲りの優しさで、それを必要な犠牲だと断じることができなかった。

 自身にそこまでの価値があるようには思えなかった。

 この耳を塞いでいる間に、人々の悲鳴が響くのだと思うと。

 この目を瞑っている間に人々の血が流れるのだと思うと。

 とても、とても耐え切れなかった。

 でもだからといって、自害して彼らの戦う理由を奪ってしまおうなどとも思えなかった。

 そうしてしまったらそれこそ、これから彼らが起こす戦いは無駄になってしまう。

 流れる血が、死に逝く人々の魂が、すべて無駄に終わってしまう。

 そして何より、そうであろうとなかろうと、自ら命を絶つ覚悟などできなかった。

 病魔に侵された身で、長く生きたいと思うことはあれど、自ら命を絶ちたいなどと思えなかった。

 生きたい。もっと、もっと長く。

 いつしかこの目で、鏡幻士の語る世界を見てみたい。

 自分の足で世界を回って、いつしか憧れのエタリアの地へ。

 女性騎士の人々にあって、自分の見聞を広めたい。

 それがもはや自分の夢。

 憧れ続けた存在と出会う。

 余命の短い彼女の、たった一つの夢。

 だけど、一体どうすれば。

 苦悩から脳を巡っていた血が足りなくなったか、貧血に似た症状が出てベッドに倒れ込む。

 仄暗い天井の漆黒が、血の足りない脳に溶けて、体に圧し掛かって来ているかのような感覚。

 とにかく体が重かった。

 とにかく意識が遠かった。

 白雪姫はそっと目を閉じ、そのまま意識を混濁した黒夢の中へと沈めていく。

 睡眠と呼べて、しかしまるで死ぬような感覚。

 深い意識の中へと、白雪姫は沈んでいく。

「君は参加資格を得た」

 誰とも知らない声がした。

「君はこの戦争に参加しなければならない」

 誰?

 声になっているかもわからずに、何かに問いかける。

 問いは、その遠い誰かには届いていなかった。

「君にもしも、どうしても叶えたい願いがあるというのなら、命をかけて臨むといい」

 誰? 戦争って何?

 そもそも私は、ここから出る力すらないのに。

「戦いの美しさを知らない、しかし戦う者に惹かれる純潔の姫。その願望が、誰にも否定できない純潔ならば、来るがいい。自らの願望を、世界に轟かせるといい」

「あなたは……一体何を言っているのですか?」

 ようやく、意識の中で声が声になった。

 そして問いは、遂に誰とも知らない誰かに届いた。

「始まるのさ。五〇年に一度の戦争が。天界の玉座を巡る戦いが。世界を巡る戦いが。願望を巡る戦いが。そして君は、その願いを叶える権利を得た。世界を変える権利を得た」

「だけど私に戦いなんて……私は、純騎士様のように勇ましくもなければ、戦う力もありません。この魔術も施されていない牢から出ることすらも適わない、弱い存在です」

「大丈夫。決意があるのならその檻から出してあげよう。決意があるのなら、君は間違いなく力をつける。決心したのならあとは戦うだけ。他の参加者に、君の願望をぶつけるだけだ」


「さぁ、戦いは一週間後だ、白雪姫。君の願望が、どうか叶いますように」

「待って! 待ってください、あなたは一体――!?」

 意識は表層へと持ち上げられた。

 全身汗だくで、若干の吐き気すらも感じる白雪姫だったが、頭を押さえた掌に輝くそれを凝視していると、それらのけだるさなど忘れてしまえた。

 とても美しい、真白の刻印だった。

 夢じゃなかったのかな、と白雪姫は周囲を見渡したが、無論、先ほどまで自分に語りかけていた声の主は、片鱗すらも存在しなかった。

 だが手の刻印が、出来事を真実だと告げていた。

 刻印に見入っていると、鏡から鏡幻士が呼んでいたことにようやく気付いた。

「姫様! ご無事でしたか! 何やら巨大な魔力反応を感じて、馳せ参じた次第です、が……」

 鏡幻士は見てしまった。白雪姫の掌の刻印を。

 そして理解してしまった。彼女の命運を。

 しかし嘆くことはなかった。悲しむことはなかった。

 むしろ喜びさえもした――わけではなかったが、しかし悲観しなかったのは事実だった。

 希望の一筋が見えた気がした。

 彼女が長く生きる夢を、叶えられる光明が。

 わずかながらにだが、確実に見えた。

「姫様。その刻印が示すのは、天界により選ばれし者が集い、玉座を賭けて覇を競う戦争。その参加資格を得たということでございます」

「で、でも私戦いなんて……」

「天界の命令は絶対。それがこの世界のルール。ならば、姫様は参加されるべきでしょう。もしも勝利すれば、貴女様の夢が叶うかもしれない。貴女様の病魔を、鎮める術があるかもしれない」

 夢。

 その言葉が見知った者から出たことで、白雪姫は夢で聞いた声に現実味を帯びた感覚を得た。

 自分の夢。

 世界を見て、回って、いつか憧れのエタリアへ。

 そのために、もっともっと長く生きたい。

 十年足らずで死ぬなんて、そんなのは嫌だ。

「……どう、すればいいですか……わたし、どうすればいいんでしょう」

「戦争まで、確か一週間。参加資格を持つ者は強制的に転移させられますので、ギリギリまで修行は可能でしょう」


「故にどうかご覚悟を。姫様には、この戦いで負ければ死ぬと、そのような覚悟を持っていただく。でなければ、体得しても意味がない。貴女様の魔術を、大魔術師と呼べるレベルに引き上げます」

 こうして一週間、鏡幻士の厳しい特訓を経て、白雪姫は戦場に降臨した。

 彼女の腰には、憧れの象徴エタリアの騎士を模して、青白い西洋剣が差されていた。

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