表裏一体

池田蕉陽

第1話 俺の彼女



 約束の時間から5分が過ぎたところで、彼女が走ってやってきた。


「ごめんなさい! 待ちましたか?」


 はぁはぁ、と肩で息をしている。


 彼女の菜月なつきは歳上である俺に敬語を使う。しかしそれは、俺好みの女性なので全然嬉しかった。


「いや、俺も今来たとこだ」


 とは言ったものの、本当は早く会いたい一心で、1時間前から来てしまっていた。俺は一度この台詞を言ってみたかったので満足した。


「ほんとうですか? ならよかったです」


 菜月が髪をかきあげる。俺はそんな仕草でさえ愛おしく思えた。


「じゃあ行くか」


「はい!」



 菜月を彼女にしたのは半年前だ。俺は33歳で菜月が23歳、10歳も離れた年の差カップルだ。


 しかも若いだけでなく、菜月は端正な美貌とナイスバディを持ち合わせた完璧な彼女だった。


 それに対して、俺はブヨブヨな腹とイボだらけの顔という見るも無残なブスで、俺たちは世間で呼ばれる言わば美女と野獣カップルでもあった。



 人生今まで全く女子にモテたことがない俺に、こんなことを言う資格はないのかも知れないが、俺は顔が良ければ誰とでも付き合ってもいいと言うのが本音だった。


 そんな俺に彼女ができるはずもなかったが、三十路を迎えるとようやく彼女ができ、菜月は2人目である。


 元彼女には一年前に振られた。交際期間は1ヶ月間でごく短いものだったが、その間は幸福以外のなにものでもなかった。



 そして今日は、菜月と1ヵ月ぶりのデートだ。しばらく俺の仕事が立て込んでいたので、なかなか予定を開けられなかったのだ。



「あ〜お腹すきましたね、レストランはまだですか?」


 余程空いているらしく、何度もお腹をさすっていた。


「もうちょっとで着く、我慢しろ」


 今夜のデートプランはこうだ。予約した高級フランスレストランで食事を済ませ、その後は展望台で夜景を眺める。最後にはそこである告白をしてハッピーエンドになる予定だ。


 菜月とどんな料理が出てくるのかや最近どうしてたか、などという話題で盛り上がった。菜月が先日、大学時代の演劇部の仲間たちと食べにに行った話の途中で、レストランに着いた。


「わっ! すごいですね!」


 店内のロビーを見ただけで菜月が感嘆した。


 内装は豪華なアンティーク調で、ファンタスティックだった。さらにカウンターに立つ男も高そうなスーツを着こなしており、この雰囲気にはピッタリだ。さすが高級フランスレストランだな、と心の中で褒め称える。


「でも大丈夫なんですか? 絶対にお高いですよ」


 ふんっ、と自慢げに鼻を鳴らす。


「任せとけって、今日は俺の奢りだ」


 これでもIT企業を勤めている俺は、金には困っていなかった。


「なら今回はお言葉に甘えます。本当にありがとうございます」


 菜月は俺に向かって丁寧に頭を下げるも、俺は「いいって」とポケットに手を突っ込みながらクールに対応した。


「お客様、当店はご予約制となっておりますが」


 カウンターの男が丁重な言葉遣いできいてくる。


桑野くわのです。2名で予約したんですが」


「桑野様、えーと……」


 男が予約リストが載ってるであろう紙を確認して「あ、桑野様ですね。では、あちらにどうぞ」と前方の開かれた両扉を示した。


 その先には食事場が設けられていて、またそこも赤い絨毯じゅうたんや純白の丸テーブルといった高級感を漂わせるものがそろっていた。


 扉の横にはもう1人のスーツ姿の男がいて、俺達が通る時に完璧なお辞儀を見せた。


 まさかあれだけの役なのか? と内心驚いてしまう。


 フロアに移動すると、案内係の男が現れて俺達を席に案内してくれた。


 まず先に、案内役が菜月が座る椅子を引いた。菜月が促されるように座るのを見て、やはり知らないようだな、ここで俺のポイントを稼ごう、と思った。


 案内役が反対側の俺の元に来て同じように椅子を引くと、俺は昨日学んだ知識通り椅子とテーブルの間に左側から入る。店員さんが俺の膝裏に椅子先をちょこっと当てると、座ってもいい合図なので俺はそうした。


「お詳しいんですね」


「ええ、何度も来ているので」


 勿論初めてだ。菜月の前なのでいい格好をする。案内役が俺の株を上げようと気をつかってくれたのか、それとも素直に感心してそう褒めてくれたのかは分からない。どちらにしても、俺の知識振りを菜月に見せつけれたのは良かった。


「お飲み物は何にされますか?」


「んー、じゃあとりあえずシャンパンで」


 昨日みたサイトにドリンクを選ぶ際に迷った時は、シャンパンと書かれていた。なので迷うふりをしてそう答えた。


 案内役が「かしこまりました」と去ると案の定、菜月がそれに関してきいてきた。


「英雄さん、マナーとか詳しいんですね。こういう所によく来るんですか?」


「月に一度のペースでくる」


 さっきも言った通り嘘だ。こんな所に月一のペースで来られるわけもないし、そもそも行こうとも思わない。ガストとサイゼで十分だった。


 菜月の「え!?  ほ、ほんとうですか!?」と目を見開かせているのを見て、少し大胆過ぎたかなと反省する。


「なんだよ、意外か?  俺はこうみえてグルメ家なんだぜ?」


 これも大嘘だ。普段は外に出るのも作るのも面倒なので、ドンキで買い溜めしたカップラーメンで腹を満たしている。


「そうなんですか?   私全然知りませんでした。じゃあもしかして英雄さん、食にはうるさかったりするんですか?」


 食にうるさい男は嫌いなのか、やや顔を渋らせていた。


「いいや、そういうわけではない。ただ食べるのが好きなだけだ。出されたものは文句言わずになんでも食べるさ」


 これはほんとだ。俺に昔から好き嫌いはなかった。貧乏舌というやつだ。


「へぇ〜、確かに英雄さん、なんでもパクパク食べてそうですね」


 菜月がテーブル越しに俺の腹を覗くように顔を浮かせた。


「どこ見てんだよ」


「すいません」と可愛らしく笑ってみせた。


 そのタイミングで店員さんが来て、テーブルに置かれた2つのグラスにシャンパンを注いだ。


 グラスを摘むようにして掴むと「乾杯」と、俺はシャンパンを口に含んだ。


 グラスを置いてふと周りを見渡す。他にも客は何人かいてその姿を一瞥いちべつしていくと、しまったな、と思った。


 皆してスーツやドレスを着ていて、このレストランに合った身なりをしていたのだ。


 それに比べ俺はファッション雑誌に載っていた服装を丸々コピーしたものだった。菜月も同じような身なりだった。


 菜月は気にしていないようだけど、完全に俺達は浮いていて、心做こころなしか痛い視線も感じる。


 全くこういった場所には来たことがなかったので、マナーは知らなかった。なので昨日は、さっきの椅子の座り方などのマナーやナイフとフォークの使い方、料理名を調べたが、そのサイトには服装のことはなにも書かれてなかった。もっと他のサイトも念入りに調べておけばよかったと後悔する。


 気を取り直そうと、ここいらで花の形にされたナプキンを崩し、それを膝下に折り目を手前にして広げる。菜月もそれを見て真似する。


 それから店員さんが食事を持ってきた。フルコースを選んでいるので、あれが来たようだ。


「こちら、アミューズです」


 一口サイズの料理が、テーブルにあるナイフとフォークの間に置かれた。


 店員さんが去っていくと、菜月は「アミューズ?」と首を傾げた。


「そのまんまの意味でお楽しみってことだ。まあ、店側のおもてなしみたいなもんだな」


 俺は昨日サイトに書かれていたことをほぼそのまま口にした。


「へぇー! さすがですね!」


「当然だ」


 鼻が高くなる。気分が最高にいい。奮発してフランスレストランを予約して間違いなかった。


 俺は一番外側に置かれたフォークを左手に、右手でナイフを持ちアミューズを一口で頂いた。


 あ、うま。


 思ったよりも美味しくて、俺は少し驚かされた。昼間食べたカップラーメンとは大きく違って、かなり上品な味だった。


 菜月も俺の見様見真似で口に運ぶと「美味しいです!」とかなり満足していた。アミューズが終わると、すぐに次の料理が運ばれてきた。


「こちら、オードブルです」


 店員さんが料理を置き、礼をして去る。


「前菜だ。2品目に出ると決まっている」


 俺は訊かれる前に披露をした。


「そういうの決まってるんですね」


「まあな、ちなみに次はスープが来るはずだ」


「へぇ〜、楽しみです」


 俺の言う通り、次はスープがやってきた。スープを音を立てずに飲むというのは、中々難しく苦戦させられたが、何とか気合いで乗り越えた。


 その後も次々と料理が運ばれた。その度に俺は、食器を地面に落とした時どうするのかや、御手洗に行く際のフォークとナイフの位置などを教えた。無論、これらも昨日知ったことだ。



 締めのコーヒーでフルコースを堪能し終えると、腹も満足し、俺達はお会計を済ませレストランを後にした。




「本当に美味しかったです! 英雄さんありがとうございます!」


 夜の街を歩きながら、隣の菜月が頭を下げた。


 確かに高級レストランなだけあって味は最高だった。その中でも1番極上だったのが、7番目にきたヴィアンドゥという料理だった。今度もまた2人で行こうと思った。


「気にすんな。また連れてってやるよ」


「いや、さすがに悪いですよ! 今度はどこかで私がご馳走します!」


「彼女に奢らせるわけにはいかねーよ。あっ、じゃあ菜月の手料理を頂こうかな」


「え、私のですか?」


 菜月が自分を指さす。


「ああ、まだ食べたことないしな」


「分かりました。美味しいかどうかはわかりませんが、お口に合うよう頑張ります!」


 菜月が両手でガッツポーズを決めるようにした。



「それで、次はどこに行くんですか?」


 俺につられるよう足を動かしていたが、どこに向かっているのか分かっていないようだった。教えてないから、そりゃあそうか、となる。


「近くに海と夜の街を見渡せる展望台がある。そこに行く」


「わあ! はやくみたいです! 」


 目を輝かせて興奮する可愛い菜月の姿を見ると、俺は胸の中に黒い靄がかかった。





 波の音がざーざー聞こえてくる。神秘的な場所にいるのかと思わされる。つい二年前くらいは、二度と縁のない場所だと思っていたが、今こうして彼女と2人だけでいる。


 展望台には俺と菜月だけなのだ。その状況はまるで、はやくプロポーズをしろと言われているようだった。


「素敵です」


 菜月が柵に両手を置いて、夜景を眺める。海を越えた先に夜の街があって、光が点々とある。


「菜月が彼女になってもう半年か。幸せな時間とは早いものだな」


 俺も同じように景色を眺めながら、独り言を呟くようにして言った。


「ええ、ほんとですね。幸せの一時は一瞬で終わってしまいます。私は本当に英雄さんが彼氏で幸せです。英雄さんはとても優しい方で、悩みがあると相談にも乗ってくれます。不慣れな私をリードしてくれたり、知識も豊富で、ほんと私には勿体ないくらいです」


 菜月の視線は少し下にあった。


「勿体ないなんて言うなよ。悲しいじゃないか。俺は菜月がいいんだ。言葉遣いが綺麗で、優しくて、おしとやかで、それでいて俺のことを1番よく分かってくれている。君は本当に完璧な彼女だよ」


「そ、そんなこと……」


 菜月が少し照れる素振りを見せる。それは俺の心に火をつけた。



 あの時は失敗した。でも今回は半年も待ったんだ。絶対に相手も俺の気持ちと一緒のはずだ。いける、絶対にいける。言うんだ、言うんだ俺。


 深呼吸を大きくすると、「なあ」と切り出した。


 しかしそのタイミングで、ピピピピ、と菜月の腕時計からアラームがなった。



 魔法がとけた。



「あ、時間」


 菜月が腕時計を見ながらいった。


「で、なに?」


 菜月に冷たい顔を向けられる。


「あ、えーと……本当の君が好きです。僕と付き合ってください」


「ごめん無理。タイプじゃないし」


「え……あ……そ、そうですか」


 俺があからさまに俯き落ち込んでいると「はいっ」と、菜月が犬にお手を求めるかのように、手を差し伸べてくる。俺はその意味が分かると、鈍い動作でポケットから財布を取り出し、1万円札を菜月に渡した。


「まいど。てかこの設定超疲れるんですけど。てかてか、なんでデート中、桑野さんもあんな感じなの? もしかして私にこんなことさせて、自分もそれにあった設定にしたいみたいな?」


「あ、……えーと……」


 それが俺の求める本当の自分、それで菜月があの設定でいてくれる時だけ、俺がそうなれるなんて言えるはずもなかった。


「まあいいけど。んじゃ私帰るね。てかまじ降りるの面倒なんですけど」



 レンタル彼女は最後にそう言葉を残し、俺の前から去って行った。

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