第26話 さようなら、壮介さん ~恋は、来ていた~(本編最終話)

「・・・昏睡状態、ですか」

「はい」


壮介さんは、ベッドで眠っていた。

壮介さんが生きているという証でもあるピーピーという規則正しい音と、壮介さんの周囲に置かれている機械がなければ、彼が車に轢かれて今病院にいるという現実が、私にはなかなか把握できない。


いや。この現実が、とても・・・信じられない。


壮介さんは、私と翔と「別れた」後、国立駅の方向へ歩いてて、その道中で事故に遭ってしまったらしい。

しかも事故原因は壮介さんの信号無視だという。これは、壮介さんの近くにいた、何人かの歩行者の証言で、ハッキリしているそうだ。


「一命はとりとめていますが、頭を強く打っている」らしく、それで「今は昏睡状態」、つまり目が覚めないと思われると、医師から言われた私は、ただ頷くことしかできなかった。


意識が戻らない壮介さんは今、集中治療室にいるので、私がつき添うことはできないと、看護師さんから言われた。面会時間(は決まっている)も、とっくに過ぎている。

壮介さんの身元をちゃんと確認しただけで、病院での私の役目は、ひとまず終わった。

「患者さんに何らかの変化があり次第、また連絡します」と言われた私は、一旦家に帰るしかなかった。


壮介さんはそれから5時間後に目を覚ました。

壮介さんが生きていることに、私は心からホッとした。









「何しに来た」

「え、っと。様子を見に」

「もう見ただろ」

「・・・前田さんは」

「あいつは仕事だ。週末や祭日の方が忙しいからわざわざ店を休んでまでここには来れないと俺も分かってる」

「そぅですか・・」


でも、前田さんは3連休が終わった平日になっても、壮介さんのところへ来なかった。

翔は・・たぶん、最後に壮介さんから受けた仕打ちと残酷な言葉に、まだ幼い心が傷ついているのだろう。

「パパには会いたくないから(お見舞いには)行かない」という息子自身の意志を、結局壮介さんが東京の病院を退院するまでの1週間、貫き通した。

壮介さんも翔の気持ちを薄々でも分かっていると思う。それなのに「こんなみっともない父親の姿を息子には見せたくない」ことを理由に、「翔はここに連れてくるな」と私に言うのだ。

しかも、「翔はここに来れない」ことを――「翔はここに来たくないと言ってるから連れてこなかった」とバカ正直にホントのことは、もちろん壮介さんには言わない――私が先に言う前に。

息子から拒絶される自分、ではなく、自分が息子を拒絶していると思いたいのだろう。

なんて偏屈なプライドなのよ!?――それでも、そういう考え方はいかにも壮介さんらしい――と、呆れずにはいられない。


私が壮介さんの病室へ行くと、彼はいつも独りだった。

長野に住んでいる壮介さんに、「友人」と言える人が東京にはいないし、会社の人たちにはわざわざお見舞いに駆けつけるまでもないと、壮介さんが“言い含めた”らしい。

そして私が行くと、壮介さんは決まって「離婚届は出したのか」と私に聞く。

しつこいくらいに聞くので、私も「忘れないうちに」、壮介さんが目を覚ました翌日のうちに離婚の手続きを済ませておいた。

だから壮介さんは、「赤の他人のおまえがここに来ても迷惑なだけだ。おまえの顔を見ると頭痛がひどくなるからさっさと俺の視界から消えてくれないか」と言って、すぐさま私を追い出してしまう。

いくら別れたとはいえ、怪我を負って入院している元夫のことが気にならないと言ったらウソになる。だからこそ、毎日顔を出してはいるんだけど・・・しかも東京にいるんだし・・・でも、私が付き添わなくても、看護師さんがちゃんとお世話をしてくれる。

それに、私に会いたくないというのは壮介さんの本心だと思う。きっと私にも彼の言う「みっともない姿」を見せたくないのだろう。

もちろん、私はそんな風に思ってないけど・・・結局のところ、私たちの間にできた溝というか、隔たりというか、差というか・・とにかく、価値観を含めた色んな「違い」は、別れてもそのまま、近づくことも、当然埋まることもないんだ―――。


結局「離婚」「翔をここに連れてくるな」「ここからサッサと出ていけ」のやりとりだけで、私は壮介さんの病室から帰る。所要時間はいつも、1分経った?というくらいの、超短い「お見舞い」だったけれど・・・。

壮介さんが東京の病院に入院して、明日で1週間経つという日だけは、会話の内容が少しだけ違った。


「えっ?明日退院するんですか!?」

「ああ。ただし、長野の病院に転院することが条件だ。東京ここにいても不便なだけだからな」

「そう・・じゃあ私、長野の病院まで一緒に・・」

「おまえは必要ない」

「でも・・」

「長野駅にあいつが迎えに来てくれることになってる。おまえは来るな」

「あ・・・だったら、東京駅までは一緒に行きます。せめてそれくらいのことはしてもいいでしょう?」


「もうこれで本当に最後の別れになるだろうから」とまで口には出さなかったけど、たぶん壮介さんも同じように思っていたのだろう。


壮介さんは、私とは反対の方向である窓に目を向けたまま、「好きにしろ」と呟いた。




翌朝。私は病院から東京駅のホームまで、壮介さんに付き添った。

パッと見た目は至って健康体そのものの壮介さんだけど、実は車に轢かれたときにろっ骨を折っている上、頭を強打している。無理は禁物だ。

壮介さん自身にとっては久しぶりの外出になるせいか、歩き方がどことなくぎこちない。

それでも壮介さんは、私が手助けすることをかたくなに拒み、自分の足で最後までちゃんと歩いたものの、ホームに着いた頃には、かなり息切れをしていた。


「あの・・翔も連れてこようと思ったんだけど・・・」

「別に構わん。あいつには会いたくない」

「そうですか・・。じゃあ、気をつけて。何かあったら車掌さんにでも」

「分かってる。今更世話女房気取りか?遅いんだよ」と壮介さんは言って、フンと鼻で笑った。


最後ぐらい・・と思う一方で、最後の最後まで「自分らしさ」を貫く態度を取ることこそ、いかにもこの人らしいじゃないと言い聞かせることで、私は胸の内にくすぶる苛立ちを抑え込んだ。


事故前の別れ方があまりにも醜く、酷かったという記憶が残っている分、今日は憎しみや怒りをぶつけあうことなく、できる限り穏やかにお別れしたい。


壮介さんが乗る新幹線が到着した途端、壮介さんはすぐさま乗り込んだ。

「じゃあな」の一言もないの?と思った矢先、壮介さんは立ち止まって、私がいる方向へふりむいた。


「おい」

「はい?」

「・・・・・いや、いい」

「え?いいって・・・」

「どうせ大したことないよ。何を言おうとしたのか忘れた程度なんだから」

「はぁ・・・」


・・・その頃からすでにもう、壮介さんは記憶障害が起き始めていたのだろうと思う。

壮介さんがそのとき何を私に言いたかったのか、結局私には分からないまま、壮介さんとはそこで別れた。


まさかこれが・・・生きている壮介さんの姿を見る最後の機会になろうとは―――。







壮介さんは、長野の病院に10日間程入院した後、無事退院した。

けれど、時折発作的に起こる激しい頭痛と、その後、必ずと言っていいほど記憶障害が起こるため(それは入院していても治るものではなかった)、それらを防ぐための薬を服用していた。

でもその副作用で、壮介さんは――彼の愛人だった前田さん曰く――「不能」になってしまったそうだ。


壮介さんにとってセックスとは、男らしく生きるために欠かせない要素であり、若さを保つ精力源でもある。

言い換えれば、壮介さんはセックスなくして生きることができない人だった。

それが、薬の副作用で自身が機能しない、でも薬を服用しなければ、激しい頭痛と記憶障害に悩まされるから結局薬を飲んでしまう。すると、自身は機能しない・・・の繰り返し。

結局、「不能」になってしまった壮介さんは、自分が「男」じゃなくなったことに絶望し、長野の古民家――かつて私と翔も暮らしていた、壮介さんの祖父母の家だった――で首をつって自殺した。


壮介さんと正式に離婚して、3ヶ月が経っていた。


壮介さんは、私と正式に離婚した後も、彼の赤ちゃんを妊娠している前田由香さんとつき合っていたものの、すぐさま入籍・・・までには至ってなくて、「恋人」の関係に留まっていたけれど、壮介さんが長野の病院を退院後からは、壮介さんが所有する古民家で同棲していたそうだ。

でも壮介さんは、「不能」になったことで常に苛立つようになり、「別にセックスできなくても私がいるからいいじゃない」という前田さんとの間でケンカが絶えず、結局前田さんは古民家を出てしまった。

翌日の夕方、仲直りをしようと思って古民家に戻った前田さんが目にしたのが・・・変わり果てた壮介さんの姿だった。


そのショックがあまりにも大きすぎたのだろう。前田さんは流産してしまった。







車内から見える景色を見ているようで、実は視野に入ってない私に、翔が「どうしたの、ママ」と聞いてきた。

私は、向かいに座っている翔に視線を移して、息子を安心させるように微笑むと「なんでもない」と言った。


・・・結局、あのとき壮介さんは何を言いたかったのかな。

壮介さん自身は、あのとき何が言いたかったのか、思い出すことができたのか・・それすらも、今となってはもう分からない。

だから私が想像するしかないんだけど・・・あのとき壮介さんは、私に「すまなかった」って、言いたかったんじゃないかなと思う。

あくまでも想像だけど、なんか・・私に、そして翔に謝りたそうな顔をしていたような、そんな気がするから。

別れて3ヶ月経った今でも、あのときの壮介さんの表情は覚えてる。

無防備だった分、気持ちがそのまま顔に現れていたことは、今でもはっきり覚えてる。

もしかしたらそれは、私の都合の良い願望なのかもしれない。

でも・・・それでもいいじゃない。

壮介さんとはもう二度と・・・会うことはないんだから。

私の都合の良いように思っていても・・・いいよね。


さようなら、壮介さん―――。










東京駅のホームに降り立った私たちのそばに、影ができた。

私よりも大柄でガッシリした体躯の岸川さんが、翔と私を一緒に抱きしめる。

まるで私たちを護る、大きな樹みたい―――。


「おかえり」

「・・・ただいま」


岸川さんと私は、顔を見合わせてニッコリ微笑んだ。


「どうだった?」

「うん・・どうにか乗り切りました」

「そっか。大変だったな」

「精神的にね。なんか、あまりにも突然の出来事だったから、まだ実感わかなくて・・でもお墓参りをして、ようやく少しずつ受け入れてるっていうか・・・。岸川さんは?お仕事どうですか?急にお休みしてしまってすみませんでした」

「それは全然いいって。でもカオスの一歩手前だとは言っておくぞ」

「あ、やっぱり?」と私が言ったのと、「かおすってなに?」と、翔が聞いたのは同時だった。


息子は好奇心旺盛な顔で、岸川さんを見ている。


・・・こんな形で父親を突然亡くして、しかも、翔にとって最後は酷い別れ方だったから、大きなショックを受けて、心は深く傷ついているに違いない。

それでも今、翔は元気に生きている。これも、母や姉家族、何より岸川さんの深い愛情のおかげだ。


「カオスってのはな、頭の中がグチャグチャになってる状態のことだ」

「おじちゃん、あたまのなかグチャグチャなの?」

「まあな」


何気に仲良くやっている息子と岸川さんを見て、私はニッコリ微笑んだ。


「俺、ママの助けが必要だよ」

「もう少し待っててください」

「しょうがねぇなぁ。じゃ、行こうか。姫様、荷物を」

「だから私は姫じゃないの!」

「俺にとっては大切な“姫”だよ。シンデレラ」

「もうっ」


・・・好き。


「ん?何か言った?」

「ううんっ。行きましょう」

「おう」


いつの間にか私のところにやってきた恋を、大切にしたい。

恋する以上に愛したい。

愛する人に愛されたい。

岸川さんに、愛されたい。これからもずっと。

だから大切にしよう。愛する人たちを。愛する心を。


帰ろう。家に。

私たちの家に、帰ろう。


私と岸川さんは、翔を真ん中にして、歩き出した。



恋よ、来い。~傷心デレラの忘れもの~ 本編完

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