第22話 「さいご」の独壇場(卯佐美壮介視点)

翔のやつ、公共の道端で思いきり泣きやがって!

もし誰かに見られたら、手を繋いでいた自分が泣かせたと思われる。

そう思った俺は、わざと手を緩めた。

いい加減に泣き止め、という意味を込めて。

そして、涙で濡れてしまった顔をキレイに拭くんだという意味も含めて。


すると翔は、あいつのところへ一目散に駆けて行った。

まるで俺から逃げるように。


・・・ちくしょうちくしょうちくしょう!

自分の血を引いた息子の裏切り行為に、はらわたが煮えくり返るほどムカつく!

・・・いや、待てよ?

あのときあいつが迫真の演技よろしく、あのタイミングで泣き崩れたせいで、きっと翔は戻らずにはいられなかったんだ。

全てはあの――俺から奪うことしか考えてない――したたか女のせいだ。


あいつは、男の俺には腕力で敵うわけがないと分かっている。

実際、小柄で華奢なあいつは見た目通りか弱く、非力だ。

だから「女の涙」で訴えることが、俺から奪うための最終手段だったというわけだ。

結局、全部あいつの思い通りに事が運んでしまったじゃないか。

あーイライラする!

これでも俺なりに愛してやったんだぞ!

それをあいつは・・・。

自分のふがいなさは棚に置いて、俺の浮気を責めるかと思えば、次には「離婚してください」の一点張り。


大体、あいつが妻としての義務を果たさないから、俺は他の女で発散するしか方法がないじゃないか。

だが「それは嫌」。

そして俺とやるのも「嫌」。

・・・まったく。

それ以外のことなら、ほぼ完璧に良い妻、良い母親だったのに・・・。

やはり「体の相性が良い」ことは、夫婦生活を続けるにあたって外せない必須事項、だな。


大通りに出たのでタクシーを拾おうとしたが、なかなかつかまらないことも、苛立ちに拍車をかけた。

こんなことなら義母宅まで乗ってきたタクシーを待たせておけばよかった。

そうすれば翔を乗せてサッサと帰ることもできたのにと思った途端、チッと舌打ちまでしてしまった。

かなりイラついてる証拠だ。


・・・まあいい。

もしあそこでタクシーを待たせていたら、あの一部始終をタクシーの運転手に見られていたことになる。

それにあのときは、いつまで待たせるか分からなかった。

だからタクシーを帰らせたんだったと、今更のように思い出した。


どうやら少し歩いた方が、返って苛立ちを静めることになるだろうと判断した俺は、気を取り直し、再び駅に向かって歩き出した。


・・・俺は別にあいつと離婚してもよかったんだ。

もうあいつに対して愛情はない。結婚生活に未練など全くない。

離婚に応じなかった理由はただ一つ。

あいつが先に離婚を言い出したからだ。


あいつの要求を、すんなり呑みたくなかった。

あいつをただ「勝たせ」たくなかった。


そうだ。俺は何でもかんでもあいつの思い通りにさせたくなかったんだ!ちくしょう!


だからあいつが悩んで苦しんでいると思うと、俺は思わず顔がニヤけそうになるほど、心の底から喜びが湧いてきた。

「ざまあみろ!もっと悩め!もっと苦しめ!」と思った。

それでも俺と一緒にいるしかおまえの生きる道はないんだと、あいつに思い込ませることが、俺の楽しみ――生き甲斐――に繋がっていた。


あいつといつ別れても良かったが、あいつには由香との間に生まれる子ども――俺は息子だと確信している――の世話をさせようと思っていただけに、あいつらが東京に留まったことは、予定外の結末になってしまった。


『出産後、できるだけ早く仕事に復帰したいの』

『そうか。ならあいつに子守をさせればいい』

『あいつってまさか・・あなたの奥さん?』

『ああ。他に誰がいる。その子は翔の――俺の息子の――弟か妹なんだ。俺から全てを奪い取ろうとした罪滅ぼしに、それくらいさせても罰は当たらんだろ。それに、あいつは良い母親だ。育児はあいつに任せて、おまえは出産後、すぐ大好きな仕事に復帰する。双方が満足する完璧なプランじゃないか』

『あんたって意外と・・楽観主義なのね。私は、あの奥さんがそんなことを引き受けるくらい、“超お人よし”だとは思えないわ』


・・・あの時の会話で、あいつが由香に会ったと俺は知った。

そしてあのとき、人をバカにしたような顔と態度で言い返した由香とは、少なくとも子どもが無事に生まれるまで絶対に結婚しないと決めた。

由香は、口では「あなたと結婚することなんて、ちっとも望んでないのよ」と言いつつ、その実、一日も早く――もちろん、子どもが生まれる前に――俺と結婚したがっている。

戸籍上「父ナシ子」を生みたくないから。

そして俺と結婚して、両親から受け継いだ家に住み、好きな時に好きな仕事を適当にこなす。

生活費の大半は俺の収入で賄う、そんな暮らしを送りたいと思っていることくらい、俺が知らないとでも思ってるのか?

まったく。

どの女も俺自身ではなく、俺の生活能力と、金と、住む家という保障された物しか欲しがってない。

俺に養ってもらうことしか考えてな・・・・・・何だ?


車!


「あっ・・・!」








・・・やけに、騒がしいな。

それに、俺の周囲に人が集まって・・・・・・。

か、体が・・・痛い・・・?


「だ、だい・・・」


・・・おかしい。声が、出ない・・・?

いや、それよりも、体が、動かない!

ちくしょう!こんな・・姿をさらしたくない!

ちくしょう!俺は見世物じゃあないんだ!

見物人はとっとと失せろ!

と叫びたいのに、なぜか・・苦しい。息が・・・・・・・・・あ。


しまった・・・!


保険・・・・・・。


まあ、いい・・・。


すくなくとも、あいつに、慰謝料と、養育費は、払わないという、俺の計画は、全て、滞りなく、完璧、に・・・・・・。


遠くから、サイレンの音が聞こえる。


「・・・こ、と・・・」


さいごにあいつのことを想うとは。まったく・・・さいご?

さいご、って・・・最期、なのか?


この、俺の・・・・・・?


ちくしょ、う・・・・。


俺の人生は、実に・・・呆気なかった、な。


ちく、しょう・・・・・・!!!

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