第17話 初めての“違い”、たった9歳の年の差

岸川さんに聞いてから、私は絶対アップルシナモン味のパウンドケーキを食べようと思っていたのに、カフェ・レストランにあるスイーツはどれも美味しそうで、つい目移りしながらどれにしようかと迷っている自分がいた。

だけど、結局私はアップルシナモン味のパウンドケーキを選んだ。

岸川さんが一押しの推薦をしたから、という理由だけじゃない。

そこに「焼きたて」の札が立っていたのが、最終的な決め手だった。

事実、ケーキをフォークでサクッと切ると湯気が立つ。

そしてリンゴとシナモンの香りが、久しぶりに私の食欲を刺激してくれた。


「んー・・・おいしーい!」と言いながら感激している私を、向かいに座っている岸川さんは、ニコニコしながら見ている。

私はつい、つっかかるように「なんですか」と言った。


「いやぁ、幸せそうな顔して食べてるなーと思ってさ。スイーツ効果は絶大だな」

「ぁ・・ハハッ」

「良かった」

「え?なにが?」

「食欲はあるみたいでホッとしたって意味だよ。湖都ちゃん、マジで10年前より痩せたから」

「ぁ・・・・・そぅ、ですね。10年前は・・若かったし」


本当は「今抱えてるような悩みなんてなかった」と言いたかったけれど、そんなことを岸川さんに言っても迷惑をかけるだけだと思った私は、咄嗟に「若かった」と口に出していた。

けれど岸川さんはあきれ顔で私を見ながら、「湖都ちゃんがそれ言うか!?」と言った。


「え。でも・・」

「だったら、湖都ちゃんから見たら、俺はもうおっさんだな」

「えぇ!?そんなことないですよ!ホントに。ただ・・私よりは年上だというのは分かる・・けど!岸川さんも十分若く見えるから!」

「・・・湖都ちゃん、今いくつ」

「私ですか?28、です・・・」と私が答えた途端、顔をガックリうなだれていた岸川さんは「え!」と言いながら、私を見た。


岸川さんの切れ長の目は、少し見開いている。

なんで・・何がそんなにビックリすることなんだろ・・。


解せない私は、ただ目を瞬きしながら、岸川さんを見ていた。


「ってことは湖都ちゃん、10年前は18だったのか」

「え?・・・・・あ!そ、そう、ですけど、なんていうか、その・・・」

「それでか。分かった」

「・・・はい?」

「あのときが“初めて”だったんだろ」

「え?」


・・・初めて、って何が・・・?あっ!

まさか・・・「初めて男の人と“体験した”」って・・・!


「こ、ここでそんなこと言わないで!」


・・・あの岸川さんが・・・。

優しくて、私を気遣ってくれる、あの岸川さんが、まさかこんな・・公共の場で――私たちの周囲に人はいないけど――そんな・・いやらしいことを話題にするなんて、思ってもみなかった。

やっぱりこの人も・・壮介さんと似た類の男性なんだ・・・。


頭に血が上るほど恥ずかしくて、顔全体が真っ赤に染まったのを十分感じた私は、両手で顔を覆いながら俯いた。

岸川さんにヘンな顔を見られたくなかったから。


「あぁ、まぁそうだな。悪かった。ごめん、湖都ちゃん。でも、もう10年前のことだしさ。普段飲み慣れてないだけだろうと俺は思ってたから・・・」

「・・・はい?」


・・・普段、飲み慣れてない・・・?

なんか・・私が思っていることと、岸川さんの言動に、微妙な食い違いがあるような・・・。


岸川さんの言葉につられるように、覆っていた手を顔からおろして顔を上げた私は、再び岸川さんと目が合った。


そこには、私を気遣う、優しい岸川さんの顔があった。

それを見ただけで、張りつめていた私の緊張が解けていく。

そして・・私の鼓動がドキドキ高鳴り出す――。


「あ、だからさ、あの合コンのとき、初めて酒、飲み過ぎたんだろ?それで気分悪くなった・・」

「え!ちょ、ちょっと待って!・・ください。私、あのときお酒類は飲んでません!だって私、自分が未成年だって自覚してたから。私・・あのときはずっとウーロン茶ばかり飲んでたはず・・・」

「いいや。飲んでた。湖都ちゃんは自分でオーダーはしてなかったが、誰かがオーダーしたのが間違って湖都ちゃんのところに来たのを知らずに飲んで、そのグラス空けただろ?その後、同じのをもう一杯飲んだはずだよ。藤宮のおごりで」

「・・・・・・ぁ」


『・・・おいしかったぁ、これ・・』

『じゃあ同じのもう一杯頼んであげるよ。俺のおごり!』

『あーすいませーん。ごちそうになりまーす・・・』


・・・そうだ。岸川さんの知り合いだったか後輩だったか。

とにかく、あのときの合コンにいた男の人が、ドリンクを1杯、おごってくれたことを、岸川さんに言われて今、思い出した。

もしかして私、あの時点ですでに酔いが回り始めてたのかも。

やたらに気分が良くて――言い換えれば「陽気」になってて――気分が悪くなる前は、笑ってばっかりだったような・・・。


「・・・あのときさ」

「はいっ!?」

「藤宮が湖都ちゃんを狙ってたのが分かったから」

「え!?どぅやって・・分かったの?」

「なんとなく。年長者の勘ってやつかな。言っとくけど、俺もその手使って女を落としたことあるからじゃあないぞ」

「そんな・・!そんなこと、岸川さんはしたことないでしょ!それに・・そんな手を使わなくても、岸川さんくらい・・・誠実な人だったら、女の人はその・・・騙されたりしないと思ぅ、思い・・ます」

「俺のこと信じてくれて、ありがとな。ホント、あのときの湖都ちゃんは危なっかしくて、こいつのことは俺が守らなきゃって、妙に保護本能をくすぐられた・・って待てよ?てことは、あのときから俺は湖都ちゃんの“保護者”だったのか!?」


ガクッとうなだれた岸川さんを元気づけるように、私はオタオタしながら「や、やだ!保護者じゃないですって!大体、そんな年齢としじゃないでしょう?」と言った。


「・・・俺、いくつに見える?」

「え。ぇっと・・30代、の・・35くらいだと・・」


岸川さんをじっと見ながら呟く私に、岸川さんは「37だよ」と言うと、ニコッと微笑んだ。


「あ・・・そうですか」

「あれ?あんまり驚いてないねー」

「何に驚くんですか?」

「年の差?俺ら、結構あるだろ」

「え?たったの9歳ですよ?私、壮介さ・・あ、主人――って別れる予定の――主人、ですけど、あの人は私より12年上です」

「マジ!?一回り違うのかぁ・・・ふ~ん。ま、もうすぐ元旦那と比べりゃ、俺との年の差は“たったの”9歳と言いきれるよな。まぁぶっちゃけ、俺も湖都とはあんまり年の差感じてないってのが本音だけどさ。紀恵いもうとよりは年下だろうとは思ってたが」

「やっぱり気にしてるんじゃないんですか?気にすること、ないのに。それより・・」


急にクスクス笑い出した私に、岸川さんは片眉を上げ、ニヤニヤしながら「なんだよ」と言った。


「“もうすぐ元旦那”って言い方が・・・おもしろぃ・・」

「他にどう言えばいいんだよ。これが現状的確且つ適切な表現方法だろ?」

「ぅん。でも、長すぎ!」

「だったら、とっとと別れるべきだ」と岸川さんに言われて、私は笑いが止まった。


岸川さんは、とても真剣な顔で私を見ている。


「俺は既婚者じゃないし、当然離婚経験もない。夫婦の事情は夫婦の数だけ存在すると思ってる。だが、奥さんが痩せてしまうほど悩んでいたり、奥さんを心理的に追い詰めるような旦那とは、湖都が前に言ってたように、やっぱ修復は不可能だと俺も思うから。離婚しかないんじゃないかと」

「あ・・・そぅ、ですね。確かに、今が私の人生の中で一番痩せてると思います。最近・・特に、この2・3ヶ月くらいは食欲なくて、ロクに食べてなかった・・気がする」

「そっか。それってやっぱ、離婚することと関係してるんだろ?」と岸川さんに聞かれた私は、苦笑を浮かべて頷くことで肯定した。


「聞いてもいい?離婚したい理由」


・・・どうしよう。

話してもいいの?


黙っている私に気を使って「話したくなかったら話さなくてもいいよ」と慌てて言う岸川さんに、思いきって話すことにした。


だって、相手は岸川さんだから。

岸川さんには話してもいい。

私の、醜い部分も・・・知ってもらっていいじゃない。


「・・・主人の、浮気です」

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