第15話 言わない、聞かない!

外に出た途端、私は思わず「うわっ!」と声を上げそうになった。

少し肌寒かった昨日とは打って変わって、今日は、上着なしでも外出できるくらいの暖かさだ。

たった一日の間に、なんだろ。この気温差は!


私は、自由な右手を額にかざし当てながら空を仰ぎ見た。

そこには雲一つない、淡い水色一色の空が広がっている。

心までスカッと晴れ渡るような気持ち良いキレイさなのに、私の口からはため息がこぼれ出ていた。


・・・たった一日・・・。

岸川さんと10年ぶりに再会して、まだ一日・・未満しか経ってないのに、私の人生が大きく様変わりしたような気がするのは・・なんでかな。

それに・・・良いように様変わりしていってるのか、それとも逆なのか。

私たち――私と翔――は一体、どっちの方向に進んでいるのか。

進むべき方向へ、ちゃんと進めているのか。

分からなくて・・・不安になってる。


そのとき、私の左手を、息子の翔がクイッと引っ張って自分に注意を向けさせた。


「ん?どうしたの?」

「ママ、きいてない」

「え?・・あ、ごめん!ママ、ちょっと上の空だった」

「うわ?」

「あぁっと・・ボーっとしちゃってたってこと。だからもう一度言ってくれる?今度はママ、ちゃんと聞いてるから」

「えっとね、あついからこれ、いらない。ぬぃでもいい?」

「うん、いいよ。上着なくても大丈夫だったね」と私は言いながら、翔が脱いだ薄手のパーカーを、自分のトートバッグに押し込んだ。


半袖Tシャツだから、外にいる時は薄手の上着を着せておいた方がいいかも、と思ったけれど、この陽気なら半袖でもTシャツだけで大丈夫だろう。

束の間の暑さから解放されたことと、私の母がプレゼントしたTシャツについている、お気に入りの新幹線のプリントが丸見えになったことで、翔はますますご機嫌になったようだ。

大好きな電車に乗っている間も、はしゃぎすぎることのない程度に喜んでいた。







岸川建築設計事務所に着くと、事務の土井さんは、満面の笑みを浮かべながら「いらっしゃい!」と言って、私たちを温かく歓迎しながらドアを開けてくれた。

ちょうど昨日の今頃に来たばかりのせいかな、ここに来ても違和感がないというか・・勝手知ったるって感じがするのは。

土井さんとも昨日が初対面だったのに、まるで長年知ってる年上の友人のような親しみを、今も引き続き感じてるし。


「所長から聞いてるわよ。さぁさぁ中に入って。こんにちは~、翔くん。お外は暑かったでしょう?何か飲む?」

「ぅん!ママ、いい?」

「じゃあ、お水を一杯だけもらいましょうか。すぐお昼食べに行くから」

「わーい!」

「あの。土井さんはお仕事があるでしょう?だから私がやります」

「あらそーお?じゃあお任せしてもいいかしら」

「はい!翔は昨日いたお部屋で待っててね。ママはお水を持ってすぐ戻ってくる」

「うんっ」

「あぁそうそう。所長は今こっちに向かっているところよ。そうね・・あと15分くらいでここに着くと思うわ」と言った土井さんは、さっきからずっと鳴っているベル音に応えるべく、電話を受けに歩いて行った。


忙しそうな土井さんの背中に向かって、「あ、はい!ありがとうございます」と答えた私は、昨日、私たちが待っていた部屋に翔を連れて行った後、隣のミニキッチンへ行って、お水を注いだグラスを一つ、翔に持って行った。




それから10分も経たないうちに、岸川さんが事務所に戻ってきたのが、気配と声で分かった。

着いた早々、土井さんと話をしている低い男の人の声が聞こえる・・と思ったら、私たちがいる部屋にひょっこり顔を出して「よっ!」と言った岸川さんは、「もうちょっとだけ待ってて。すぐ終わるから」と言うと、私が頷くのを見たのか見てないのかも分からないうちに、顔を引っこめた。

それから再び土井さんと話している声が聞こえてきた。忙しい人だ。


土井さんが今、岸川さんにしていることを、これからは私がすることになるのか・・・。


なんとなく、だけど漠然と思ったことが、急に現実味を帯びてきた。

ということは私・・事務の仕事を引き受ける気でいるんだ・・・。


「お待たせー。行こ・・」

「ぅわっ!」

「どーした?」

「えっ!?いや、べつに・・・」


・・・あまりにもタイミングが良かったっていうか・・・ちょうど考えていたその本人が目の前に現れたからビックリしたって・・岸川さんには言わないでおこう。










「よ~し。着いたぞ~」

「ここ・・?ですか」


岸川さんは昨日、事務所近くにあるファミレスでお昼を食べようと提案していたのに。

私たちを連れて行ったところは、事務所から車で20分くらいのところにある、北欧スタイルの家具や雑貨を販売している人気のお店だった。


「ここのハンバーガーが美味いらしいんだ。それとこの店、子ども用のプレイルームがあるって聞いたから・・」

「あ、知ってますそれ」

「来たことある?」


息子のチャイルドシートを外しながら聞いてきた岸川さんに、私は一度コクンと頷きながら「はい」と答えた。


「長野のお店の方ですけど、一度だけ。友だちと、友だちの子どもと一緒に」

「ということは湖都ちゃん、長野に住んでたのか」

「あ・・・・はぃ」


「住んでた」と過去形で言われて、私は一瞬「しまった」と思った。

翔にはまだ、離婚のことや、もう長野には戻らない予定であることを言ってないから。

私は思わず翔を見た。


でも3歳の息子は、大きな建物と、その中に何があるのかが気になるみたいで、どうやら私たちの会話は聞いていなかったのか、微妙な言葉使いの“違い”にも、全く気づいていないようだ。

まぁ、そういう違いに気づく年齢でもないだろう。

とにかく・・・良かった。


私は心の中で安堵の息をつきつつ、岸川さんにはこのこと、後で言っておいた方がいいかもしれないと、メモを取った。


「そっか。遊ぶ場所があれば翔くんが退屈しないと思ってここにしたんだ」と言った岸川さんは、チャイルドシートのベルトを器用に外し終えると、翔に腕を伸ばし、息子を抱っこして車から降ろしてくれた。

何もかもが実に自然な動作で、翔とも息が合っている。

車から降りた翔は、これも自然に私と岸川さんの間を陣取りながら、私と手を繋いだ。

まわりから見ると、私たちって・・・家族に見える、かな。


「どうした?湖都ちゃん」

「あっ、えっと・・何気に心得てますよね、岸川さん」

「なにが」

「子どものことです。場所選びとか・・チャイルドシートだって持ってるし」

「まぁこの年にもなると、友人知人は子持ちが多いからな。それに、紀恵んとこは4人子どもいるし」

「えっ!よ、4人も!?」

「ああ。しかも全員男ときた」

「うわぁ・・・」

「だよな」


翔を間にはさんだ状態で私たちは顔を見合わせると、クスッと笑った。

そんな私たちを、息子は興味深いといった表情で、交互に見ている。


「妹夫婦はカワイイ女の子が欲しくて頑張ったらしいんだ。でも、4人目も男と分かった時点で諦めがついたと言ってたよ」

「そうですか・・あの、妹さんは沖縄に住んでるって言ってましたよね」

「ああそうだよ。仕事先で出会った沖縄の男性と結婚して、今も沖縄に住んでる」

「妹さんはお仕事、されてるんですか?」

「うん。俺と同じく夫婦そろって建築関係の仕事をしてるよ。妹は主に住宅の内装をコーディネートしたり、家の間取りを決める係で、ケイ――って妹の旦那――は、家を建てる大工的な仕事を担当してる。それで妹に、俺の仕事の手伝いをしてもらってたんだ。ほんの2ヶ月程、専ら事務処理ばかりやってもらってたんだが」


確かそのとき、妹さんにも「ズボラだ」と指摘された・・のよね?

思い出したように、私は岸川さんの横顔をチラッと盗み見た。

だけど、単に涼やかでキリッとした顔立ちであることに変わりはなくて、この人がズボラだという「証拠」は・・・やっぱりつかめない。


「もっとも、今は育児を優先させてるから、フルタイムでは働いてない」

「あ・・そうですか」

「ママぁ。おなかすいたぁ」

「あ、うんっ。もうすぐ食べれるからね」

「翔くん、ハンバーグ好きか」

「うん!すき!ママのね、はんばぁぐ、とってもおいしぃんだよ!」

「そっかー。俺もハンバーグ好きなんだよなぁ」と呟きながら、岸川さんはなぜか私をチラッと横目で見た。


短く鋭い視線を左から感じて、私はドキッとしながら岸川さんを見た。


「な、なんですか」

「ハンバーグ食べたいなーと思っただけだよ」


・・・気軽な口調で言った割に、意味深な感じが強い気がするから・・・岸川さんの顔が、何か企んでるようにニマッとしてるように見えるし―――それがまたカッコいい・・かもとか思ってるし!―――私はまた、ドキドキッとしてしまった。

だから、これ以上ハンバーグに関する会話を押し進めることは、止めておいた。


「誰が作ったハンバーグを食べたいんですか?」なんて・・・絶対聞かない!

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