第13話 不自然な、秘密
色々な偶然と縁が重なったおかげで、せっかく岸川さんと再会した・・ううん、できたんだ。
このまま疎遠になってはいけないと思った。
・・・ううん、それも違う。
私・・岸川さんと疎遠になりたくないって・・思ってる。
だからと言って、岸川さんのところの仕事を、週2日からでも引き受けるかどうか、私はまだ迷っていた。
このまま進んでしまうと、もう後戻りはできない。
でもそれは「離婚したくない」という気持ちじゃない。
主人とはもう一緒に暮らしたくないし・・。
翔のことも気になる。
今のところ息子は、東京のばぁばんちには遊びに来ていて、いつもよりちょっと長く滞在するだけ、くらいにしか思ってないはずだ。
主人と私が離婚することや、これからは父親である壮介さんとは離れ離れになってしまうことを、翔にはまだ言ってないから。
仕事のことは、今週中には必ず返事をすると岸川さんには言ったけど、「ズボラ化防止の監視役」がいない岸川さんが、一体どうやって仕事をするのか、それ以前に彼一人で仕事を進めることができるのか・・と想像してしまった結果、一刻も早く返事をしなきゃという焦りが生じていた。
岸川さんだって、本当はすぐにでも返事がほしかったはずなのに、私を気遣って数日間の猶予を与えてくれたと思う。
そういうところにも、岸川さんの優しさを感じてしまってる私・・・。
そこに甘えちゃいけない!
・・・とにかく、岸川さんに電話しよう。
声が聞きたいから・・じゃなくて!
私に渡したいものがあるから、都合の良い日にもう一度事務所に来てほしいと言われていたことを不意に思い出したのだ。
そういう用件は、早くカタをつけるに限る。そうすれば、「気になること」が一つ減るわけだから――。
トイレやお風呂場でも一人っきりになれるけど・・そういう場所で岸川さんに連絡するのはさすがに・・・姿を見られるわけでもなく、実際裸になるわけでもないけど、やっぱり場所柄、恥ずかしさが先に立つ。
自分の部屋の前の廊下に、一人ポツンと立った私は、スマホをオンにした。
途端に、薄暗かった私の周囲がパッと明るくなった。
すぐ終る・・いやいやそうじゃなくて、すぐ終わらせる。会話は、かかっても1分、以内で終わらせる。
仕事のことより、まずは・・・。
心臓をバクバクさせて緊張しながら、思いきって電話したのに、肝心の岸川さんが出ないのは、私も想定外だった。
出かけてるのかな。でもスマホだから、出かけていても出れるよね。
ということは・・・今は所用で出られないか。
それとも、相手が私と分かって出たくないのか。
行き着いた考えにドキッとしてしまった私が、スマホをオフにしようとしたそのとき。
「もしもしー」という岸川さんの低い声が、スマホから聞こえてきた。
「ぁ・・・」
「もしもし?」
「あっ、はい!えっと私・・・湖都、です」
「卯佐美です」とか、相手が岸川さんなら旧姓の「水木です」の方が良かったのか・・・。
いや。
相手が岸川さんだから、苗字より、名前を言った方がいいと、咄嗟に判断していた。
私の言い方にウケたのか、「うん、分かってるよ」と言った岸川さんの声は、面白がってるような弾みと笑いが混在していた。
「あの・・ごめんなさい、遅くに電話して」
「え?これくらいの時間なら電話くれても全然大丈夫だよ。それよりどうしたの。なんかあった?」
「いえ。その・・・明日、事務所にお邪魔してもいいですか?私に渡したいものがあるって言ったでしょう?」
「明日か・・・明日の午前中は現場に行くから午後でもいいかな」
「はい。大丈夫です」
「あ、そうだ。せっかくだから昼一緒に食べよう。俺のおごりで」
「えっ?で、でも翔・・息子もいる・・・」
「もちろん翔くんも一緒に。なぁ湖都ちゃん」
私のすぐ隣にはいないのに、急に声をひそめた岸川さんに合わせるように、私も声をひそめて「はい?」と答えていた。
それに、心なしか、元々小柄な体を縮めるように自分の体に両腕を寄せてるし。
これってなんか・・秘密を共有しているような状況、っていうか・・・。
壮介さんも、こんな感じで私からの
と思ったら、ドキドキしてしまったことに罪悪感を抱いてしまった。
「・・・ぃ、湖都ちゃーん」
「あっ、はいはい!」
「どうしたんだよ」
「ごめんなさい、ちょっと・・ボーっとしちゃって」
「それはいいけど。えっとさ、翔くんくらいの年だったら、もうハンバーガーいけるかな。それとも湖都ちゃんの方で禁止してる?」
「え?えっと・・ハンバーガー、ですか・・そういうお店には翔を連れて行ったことないけど・・」
・・・な、なんだ・・。秘密は秘密でも、壮介さんとは全然種類が違うじゃない!
もう私ったらどこまでバカなんだろ・・・。
私は即座に余計な罪悪感を捨てた。
「じゃあファミレスの方が無難かな・・ごめん、ちょっと待って」と岸川さんが言ったのと、「ミズキくん、またね」という女の人の声が、私のスマホを通して聞こえたのは、ほぼ同時だった。
「ミズキくん」って・・岸川さんのこと、だよね。
そしてその人――女の人――は、今、岸川さんと一緒にいる。
その事実に、私は鋭い杭で胸を一突きされたような、激しいショックを受けた。
スマホを持つ手が、いや、全身が、強い心理的衝撃にガクンと揺れ動く。
・・・あのとき岸川さんは私に「一度も結婚してないし、したことない」と言っただけで、「今つき合ってる恋人はいない」とは一言も言ってないじゃないの!
それに岸川さんは私よりも年上の男性だ。しかもハンサムの部類に入る、カッコいい
そんな人に恋人がいないわけ、ないじゃないの!
もしかしたらその人とは結婚してないだけで、同棲してるのかも。
結婚前提で。
でもそのことで、岸川さんにとやかく言う権利は、私に・・・ない。
絶対に、ない。
だって私たちは・・・。
「・・・また、トモコさん・・・」
トモコさんって・・どう考えても女の人の名前・・・。
これで岸川さんには現在、つき合っている彼女がいるということが、ハッキリした―――。
私は見たくない物を見ないように、両目をギュッとつぶった。
そんなことをしたって、「聞こえてきたこと」は耳から消えないというのに。
・・・なんで「騙された」と思ってしまったんだろう。
岸川さんは・・・この人は、誠意のある優しい人だと思ってたのに。
お母さんだって、岸川さんのことを・・・私にって、冗談でも勧めてきたくらい気に入ってる、良い人だと思っていたのに・・・。
私の体から力が抜けた。
ダランと力なく腕を下げた手の中に、それでも落とすまいと握っているスマホから、あかりが漏れ出ている。
真っ暗な周囲の中で、それは不自然に光を放っていた。
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