第10話 10年前に、タイムスリップ?
時間が止まったような気がした。少なくとも、私の周りの時間は―――。
「終の棲家ですよ。所長」
「俺の?」
「なぁに言ってるんですか。私と主人の、です」
「あれ?もう定住場所決まったんだっけ」
「まだです。あと10年は待たなきゃいけないかなぁ。でも決まったら絶対、所長に設計頼みますからね。そのときはよろしく頼みますよ」と笑顔で言う土井さんに、岸川さんはウンウン頷きながら、「もちろんですよ」と答えた。
「土井さんにはホント、たくさん助けてもらったから。絶対社割利かせます」
「まぁっ。所長、ここを辞めても私を社員扱いしてくれるんですか?」
「当ー然でしょー。土井さんは当設計事務所の名誉社員なんだから」
・・・なんか、私の存在、無視されてる気がする。
土井さんに、じゃなくて、岸川さんに。
だからかな、クスクス笑っている二人の間に、私が入り込む余地が・・・ない。
でも私自身、岸川さんに再会した衝撃からか、緊張がぶり返して、コチコチに固まってしまって、自分から話の輪に入り込むどころじゃ・・・ない。
やっぱり、もう私たちは帰った方がいいのかも・・・。
「えっと、そちらが面接の方?」
「そうですよ。卯佐美さんです」
「どーも。岸川です。待たせてごめんね」
「あ・・・・・」
『どーも』
あのときと同じ、明るい声。そして、朗らかな笑顔―――。
存在を無視されたと思ったとき、悲しいのを通り越して、ムッとしていた。
壮介さんが浮気を繰り返すことで、妻として存在する私を侮辱していることと、重ねていたのかもしれない。
でも岸川さんの明るい声を聞いて、朗らかな笑顔を私に向けられたとき、この人は、私の存在を無視していたわけじゃなかったんだと気がついて、なぜかホッとした。
相手が岸川さんだから?かな。
でも、なんていうか・・・岸川さんはまるで、初めて私に会ったような対応をしてる気がするんだけど・・・。
この声に、この顔。そして髪形。
体型も含めて、10年経って多少は変わってるところもある。特に髪型は、あの頃と比べると、各段に短くなってる。まさに私がイメージする「男は短髪」、そのものだ。
だけど目の前にいるこの人は、10年前に一夜を共にした、“あの”岸川さんに、絶対間違いないはずなのに。
私自身、10年の間に外見が別人のように変わったとは思わない。
声はもちろん変わってないし、髪は・・高校卒業後、ショートにしてから結局またロングのストレートに戻ったけど、普段後ろに一つお団子状態に結ぶことが多いから――今日だってそうしてるし――そこまで違っては見えないと思うんだけど。
「全然別顔」になるような、分厚くどぎついメイクなんて、生まれて一度もしたことがないし、体型は・・・壮介さんの度重なる浮気に自尊心を大いに傷つけられて、悩んで悩んで、もう離婚しようと思いつめていた頃には、すでに食欲が激減していたせいか、10年前に比べて、7・8キロは痩せたと思う。
翔を生んでもすぐ体重は元に戻ったどころか、どんどん痩せていって、結局今が一番痩せてる気がする。
10年前なんて、そんな悩みはなかったから・・・。
それでも・・10年前に一晩だけ会っただけでも。
結婚して名字が変わっていても。
小さな子どもを育てることを最優先したカジュアルな服ばかり着ていても、岸川さんが「こいつ誰?知らない女だ」と思うほど、私の外見上は劇変していないはず。
ということは・・・まさか岸川さん、私のことを覚えてないの・・・?
私は、ショックを受けた以上に、失望していることに気がついた。
そのことに、何より私自身が驚いてしまったけれど、そんな表情を出さないようにする術は、壮介さんが繰り返す浮気を知るたびに、いつの間にか身についてしまっていたので、ここでも自然と隠すことができた。
それでも私は、岸川さんから目を逸らして、つと俯いてしまったけど。
・・・でも。それならそれで、私にとっては好都合じゃない?
岸川さんが私のことを覚えてないなら、私も岸川さんとは「初対面であるフリ」をしたほうが、面接を受けやすい気が・・・する。たぶん。
私が顔を上げたのとほぼ同時に、岸川さんが「じゃあこっちで面接しようか」と私に言った。
「あ、はい」と私は返事をしながら、息子の翔の方に、自然と目が行っていた。
驚いたことに、岸川さんは面接をする部屋ではなく、私がつっ立っている真逆の方向へと歩いてきた。
さらに岸川さんは、私にさりげなく「その間、息子くんは土井さんと一緒にいてもらうから」と言いながら、私の隣におとなしく座っている翔の前で立ち止まると、屈んで息子の視線に合わせたことに、私はもっと驚いてしまった。
「えーっと翔くん、だったよな」
岸川さんに、ニコニコしながら自分の名前を聞かれた翔は、恐る恐るといった感じでコクンと頷いた。
それから翔は、助けを求めるように、母親である私の方をチラリと見たけれど・・・意外にも息子は、岸川さんのことを、あまり怖がってはいないようだ。
現に「カッケぇ名前だなぁ」と低い声で褒められて、ニマッとした岸川さんにつられるように、翔も、岸川さんに視線を戻してニマッと笑ったのだ。
人見知りが激しい翔は、初対面の人には、緊張でビビってしまって、なかなか言葉が出てこなくなるときがある。
そして初対面の人の中でも、特に、大人の男性に対して、その傾向が強く出る。
「人見知りしやすい年頃ですから」と、幼稚園の先生方はおっしゃっていたけど・・これも私に似てしまったのかもしれない。
それなのに、翔は岸川さんに対して、はじめからそれほど警戒心を抱いていないことに、私はビックリしてしまった。
私がすぐ隣にいるから、翔は安心してるのかな。でも、それだけじゃないと思う。
さっきの土井さんのことといい、この人たちには何かがある。
私たちの緊張をほぐすような、優しく温和な表情。大らかな心。安心感・・・。
「俺は、ミズキっていうんだ」
「ミズキ?ママのばぁばとおんなじなまえだ!」
「そうなんだよー」
これは・・・!
10年前に、私と岸川さんが最初に話した「二人共通の名前」のことを、10年経った今、私の幼い息子と岸川さんが話してて、それを私はそばで聞いてるなんて・・・。
一瞬私は、10年前にタイムスリップしたような錯覚に陥った。
「でも、このおばちゃんは、“しょちょ”っていってたよ?」
「それは仕事のときの名前っつーか・・まぁ、呼び方だな」
「ふ~ん」
「それでだな、今から翔くんのママと俺は、仕事の話をするんだ。この壁の向こう側に、俺たちは行く。すぐ、そうだな・・あの時計、見てごらん」と岸川さんに言われた翔は、素直に従った。
「今、大きな針は数字の1にあるよな?」
「うん」
「その針が5のところに来るまでに、話は終わると思う。マックス20分くらいだ。それまで翔くんはここに、このおばちゃんと一緒にいて、塗り絵とかしながらママを待つことができるか?」
「・・・わかんなぃ」
「そっか」
「だってぼく、おなかすいたもん」
「あぁそっか!もうそんな時間か」
「あっ。あのぅ・・私、お弁当持ってきてるんですけど・・」
「そりゃあ丁度良かった。じゃあ翔くんは、ママと俺が向こうに行ってる間、ここで弁当食べてな」
「いいの?」
「ああ。もちろんいいよ。翔くんが弁当食べ終わる頃には、ママとの話も終わってるだろ。土井さんも翔くんと一緒にお昼食べてください。持ってきてますか?」
「はい。持ってきてますよ。じゃあ翔くん、おばちゃんと一緒に、お弁当食べよう!」
「うんっ!」
「じゃあ俺たちは行こうか」
「あっ・・・はぃ」
「じゃあね、ママ~」
私は岸川さんに促されるまま、その部屋を出た。
翔のことに関しては・・・私が余計な心配をする必要もなかった。
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