11 劇

 夜七時、繁華街の片隅。寒い秋風に吹かれながら、できるだけ流行に乗った服を選んだ私は歩道橋の下に立っていました。赤ワイン色のニットワンピースにベルトを合わせて。決して彼女に好かれるようなファッションではありませんが、男ウケがよさそうなものでした。

 私はこれから彼女を裏切るのです。

 彼――Kは機嫌悪そうに私の側についていました。私の指示通り、きちんとモノトーンでまとめています。大人っぽい顔立ちと相まって、これで中学生にはまず見えないでしょう。傍からは、繁華街でデートをしているカップルとして見られること間違いなしです。

 私と元弟の間は無言でした。彼は私を憎んでいますし、私も彼に笑って話す資格がありません。最低の行為につき合ってもらっている身ですから。彼女が塾に行く時刻は、一年間恋人同士だったのもあって、把握できています。おそらく、もうすぐ来るのでしょう。

「おい、お前」

 ふいに元弟は口を開きました。

「本当にいいのかよ」

 今更、こんな質問を私にしてきます。

 もちろん、よくありません。道徳的にも感情的にも、何らいいことはありません。しかし、これこそが摂理に沿った行動です。人間は簡単に掌を返して、簡単に人を裏切ります。私は今から、摂理に従って彼女を裏切るのです。

 本音を言えば、私は彼女に言ってほしいのでしょう。二股を掛けた君でも私は愛せるよ、と。

 いいえ、しかしハッピーエンドとはこの恋に終止符を打つことです。私の理性はそう告げています。たとえ一時的に心が砕け散るとしても、人に深く関与してはいけません。それは私を成り立たせるポリシー、私の信条なんです。これ以上彼女と過ごしたら、私は彼女を失った瞬間耐えられなくなります。それこそ、あの頃のように生活自体が崩壊して、今日まで痛みが続くかもしれません。

 私をとことん冷たい人間に仕上げたいのか、秋風は私の頬に向かって力強く吹き、熱を奪うのをやめません。元弟はくしゃみ一つしました。周囲をカップルが通り過ぎていきます。きらきらした街です。ううん、チカチカした街です。

 私のバッグに何かが当たりましたので、顔を上げると、見知らぬ恋人の一対がこちらにぶつけてきたようです。女性は慌てて私に謝りました。

「もう、気をつけろよー」

 男性の方はへらへら笑いながら、女性の手を引っ張って繁華街の奥へ進んでいきます。どちらも典型的なデート服を着ていました。特に女性は、ちゃんとおめかしをしてコーデも入念に決めた印象です。

 今思えば、私もそんなものだったかもしれません。そのカップルは幸せそうでした。幸せなカップルは、一体どんな終わりを迎えるのでしょうか。

 再び視線を歩道橋の上に持っていきました。道路の向こう側に、歩道橋を上る彼女らしいシルエットが見えたからです。黒いオーバーコートを着ている人はそう多くありません。クールな彼女にとても似合っていて、私は好きでした。

 シルエットが、こちらの階段に歩いてきます。背筋を伸ばしてはいるけれど、夜の闇に潜むような目立たない歩き方です。ドクン、ドクンと心臓が鳴り出します。もし、こんな目的でなければ私は嬉しさで飛び出したのでしょう。偶然会えて嬉しいな、と。

「始めます。我慢していて下さい」

 Kにも私にも聞かせています。一番心配なのはKです。彼の正義感で、結局私が騙されるかもしれません。そうなったら、無理やりにでも演じて見せます。ここで踏み違えるのはもう許されないのです。

 彼女はこちら側の階段に到着しました。

 元弟の頬に軽く唇を当てます。

 何秒か経ちました。振り向いて、彼女の方を見ました。この瞬間、もはや罪悪感どころではなくなったのです。


 彼女はただ私とKをじっと見ていました。その表情には何もありません。中身がありません。空っぽです。驚き、悲しみや怒りなどを全て排除したからこそ、何とでも取れる虚ろな面持ちです。


 私は彼女に背を向けました。

 劇はまだ終わっていない。全てを放り出すな。彼女に駆け寄るな。

 Kの腕に手を通して、素知らぬ顔で歩き出します。彼は嫌悪感と気持ち悪さを顔の全面に張りつけて、早くこのくだらない行為を終わらせるために早足で歩道橋から去っていきました。

 夢中で歩きました。トンネルを通り遠くにあるはずの公園にたどり着いたあと、ようやく我に返って、組んだ腕がとっくに解けているのを発見します。

「追ってきてねえしもう帰るわ。二度とお前に会いたくもねえ」

 彼は乱暴に言い残して、身を翻しました。その背中がどんどん小さくなります。縮んでいく影はとうとう、信号の更に向こう側に消え去りました。

 あっけなく終わりました。

 涙さえも出ませんでした。


 私は最も残酷な方法で彼女の心を引き裂きました。

 彼女は優しかったです。こんな私に優しく接してくれました。こんな私にだけたっぷりと優しさをくれました。愛がどんなに甘い味をしているのか教えてくれました。彼女の手の温かさが懐かしくて、恋しくて、愛おしくて。

 もう戻れやしません。

 公園の地面に手をついて、ただ体が崩れました。涙は出てきません。私は悲劇の主人公ではなく、裏切り者だからです。貪欲で、残忍で、惨めです。

 彼女は誰よりも可哀想です。彼女には何の罪もありません。ただ純粋に私を愛してくれました。もはや、私は償うこともできないのでしょう。

 ――私は君を幸せにしたいと思う、けど。

 海の向こう側には、なお海辺の別荘があるのでしょうか。

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