第三話



五分と経たず庭の鹿威しを眺めるのに飽きた四季は生前の食生活を思い出していた。

親は共働き、鍵っ子で兄弟もなし。

四季は常に孤食を強いられていた。

しかし、四季の母は欠かさず料理を作っていた。作り置きをして冷めた料理でも、四季は

確かに暖かな愛情を感じたのだった。

そして、化粧も中途半端に、家を飛び出す母を見るたび「これで満足しなければ」、「"これ以上"を求めるのはワガママだ」と寂しさを圧し殺していた。

我ながら物分かりの良い子供だったんだなと、四季は思う。

社会人になった後は、コンビニ弁当やチューブのゼリー、栄養ドリンクなどが主食となった。

忙しいときには、当たり前のように食事を抜いたことも多々あり、日に日に栄養状態は偏るばかりだ。

不健康な食事は、体だけではなく精神も蝕む。人間らしい生活をしているかは、

食事のときこそ表れるのだから。


そういえば、現世に残してきた両親はどうだろうか。

母の期待に応えようと勉強し、大学に入ったのに、最後の最期にとんだ親不孝をしてしまった。

両親は泣いているだろうか、はたまた怒っているだろうか。

鼻がツンとして、四季は無性に家庭料理が食べたくなった。母が作る肉じゃがは絶品だったと思い出して、さらに泣きたくなった。

その時、


「お待ちど~」

スッと襖が開いて、雲林院がワゴンを引いて戻ってきた。

とっさに目元に浮かぶ雫を拭い、四季は平静を装った。

「ご所望のA5ランクステーキだよ~!」

「あ、ありがとう」

自分で注文しておいて何だが、今ご所望なのは母の味なので、ニコニコとしている雲林院を見て四季は申し訳ない気持ちになった。

しかし、いざ目の前に運ばれたステーキを見て、四季は驚愕に目を剥いた。

鉄板の上で、いい焼き色をした厚い肉が

ジュージューと肉汁を弾けさせ鎮座している。

別皿には、プチトマトが鮮やかなポテトサラダとパンもついていた。

味は分からないが、見た目は間違いなく高級ディナーだ。

口内に溜まった唾液に、自分の単純さがありありと伝わって、四季は苦笑した。

「ちょうどお昼時だし、僕もご相伴に預かるよ!」

飴色の机に料理を並べ終え、二人は向かい合って正座して、合掌した。

「いただきま~す!」

「い、いただきます」

言い終わるが早いか、ウキウキと肉を切り分ける雲林院とは違い、四季は久しぶりにありつけた人間らしい食事を最初は目で味わうことにした。

そういえば、前に若い女性社員の間で写真をネットに上げることが流行っていたな、と四季は思い出した。

ただの写真ではない。そこに上げられているものとは、胸焼けするほど生クリームが乗ったパンケーキや、七色のけばけばしいアイスクリームなどだ。

それらを持て囃し、フラッシュをたく姿は

着色料とカロリーとで塗り固められた巨塔に手を伸ばして群がる愚衆のようだと、内心軽蔑していたものだ。

思うに、何でもかんでも写真に収めようとするから、一つ一つの価値が下がっていくのだ。

むしろ、価値のある物ほど液晶を介さない肉眼で見て、記憶に刻むべきだと四季は思う。

その持論に則り、清潔なテーブルクロス、白磁の食器、パンの焦げ目に至るまで、四季はできるだけ多くを脳裏に焼き付けた。

そうして、ようやくナプキンを着けて、そっと肉塊にナイフを入れた。


刃が肉に吸い込まれた、と四季が思った程に肉は柔らかかった 。

切り開いた中心部のバラ色からは透明な肉汁が滴っている。

ブラウンソースを絡め、四季は口に運んだ。


「!!」


まず、ブラウンソースの芳醇な甘味が舌を迎えた。ソースに赤ワインでも使っているのか

熟成したカシスの香りが鼻を通り抜けた。

ソースが口でほどけると、四季は肉を噛んだ。

肉は癖がないが香ばしい。

ホロリと繊維にそって崩れ、やがて溶けるように消えていった。

なんという美味さか!!

四季は余韻に目を閉じ感動した。

「スゴいでしょ?地獄のシェフは」

味覚は鬼も人も同じなのか、雲林院もしみじみと高級ステーキを味わっていた。

四季は首肯を繰り返し同意を示した。

その後二人は言葉を交わすことなく、

目の前の逸品に集中した。




最後の一口を少し長めに咀嚼して、料理は

すべて二人の腹に収まった。

付け合わせかと思っていたサラダやパンも

肉がなければ、それがメインでもおかしくないほど美味しかった。

だが、何故自分がここにいるのかを忘れるほど四季は馬鹿ではない。

食後の紅茶の渋味で、気持ちをリセットし、

四季は雲林院に向き直った。

「それで、話を戻すとアンタが俺の怨みを晴らしてくれるんだよね?」

そっとやちょっとじゃ晴れない怨みだが、と

心で付け足し、雲林院を見据えた。

和やかな空気がピリッとした緊張を帯びて

雲林院も表情を引き締めた。

「出来る限りはね」

「そうか」

モラハラ、パワハラ、超過労働、低賃金など

人を人と思わない所業の数々と、諸悪の権現である社長に殺意が渦巻いた。

「ならアイツに、死ぬより苦しい罰を与えてくれ」

そう、静かに低く告げた。

雲林院は目を伏せて、ややあって口を開いた。

「それは出来ない」

「……なんで」

「彼が生きている内は、その命を刈り取ることは出来ない。

どれほどの悪党でも、生命を全うする権利があるんだ」

権利、と聞いて四季の目が鋭い光をたたえた。

「ふん、地獄の鬼ですら奪えない権利を、

俺は生きている人間に奪われた訳か」

権利を踏みにじった人間が、権利によって護られる。こんな事があってたまるか、と

四季は歯ぎしりをした。

「四季くんの言う通りだよ。

だから30年後、この男が死んだ後はもう容赦しない。

こいつは人を殺したんだ

僕たちが、地獄の鬼が、何倍にも返して後悔させる」

「……」

結局、自分の手で怨みを晴らすことは叶わないのか。一発でもいいから、あの社長の肥えた腹に拳をめり込ませたかった。

そう、叶わない願いを四季が口にすると、

状況を理解していないのか。


雲林院が突如、深い笑みを浮かべた。


ゾクリ、と四季の背中が震えた。

イタズラを画策するような笑顔の無邪気さは、脳内に思い描くものと一致するだろうか。

チロリと覗いた鋭利な牙に、思わず四季は寒気を覚えて後ずさった。



「一つだけ、いい方法があるんだよねぇ~」

さっきの真摯に責任を果たそうとする少年は何処へやら。

冷や汗を垂らし、頬をひきつらせる四季に、

机から半身を迫らせて、雲林院は鬼ならぬ悪魔の提案を口にした。
















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