鬼殺し

現夢いつき

海辺にて

「貴君は鬼殺しって妖怪を知ってるかね?」


青い空、青い海に白い砂浜。--これで夏を連想できない奴がいるのかと言うほど、爽やかな光景が広がる九月中旬(むろん、夏などもう終わっている)。先輩はそんなことを言った。

正直、おいおい、また怪談かよ。と思わないこともないのだが、それを言ったら、この先輩が口を開くときは、妖怪か女かこの二択に決まっているのだ。

野郎二人で残暑が残る海に来ているのだから、この場合は前者で当然である。


「鬼殺し--と言われても、正直、酒と将棋の戦術しか分かりませんね」

「おや、将棋の方を知っているとは。なかなかどうして貴君も博識だね。いや、それとも中学生の時にでもググった口いかい?」


.......いやまあ、中学二年生あたりで名前のかっこよさに惹かれて検索したけれど、なんで分かるんだこの人。

ちなみに、名前から日本刀を連想していた僕が、検索結果を見て失望したのは言うまでもないだろう。将棋の方は少しだけ惹かれないでもなかったが。


「ははは。図星だねえ。まあ、私も同じ口だから安心したまえ」

「先輩もですか.......」

「あの格好良さに惹かれぬ人はなかなかいないだろう」

僕もその意見には激しく同意する。

「しかし、そうではないのだよ。話を戻すが、私は怪異としての鬼殺しを言っているんだ」

「どんな、怪異なんですか?」


僕はドキドキしながら答えを待つ。

あの凶悪を体現したような鬼を殺す怪異である。字面だけでも、期待は高まる。

きっと殺意を具現化したような身体かたちをしているのだろう。鬼を殺すのだから、もしかしたら人間は見ただけで死ぬかもしれない。

僕の胸が風船のように膨らんだ。


「まず、鬼殺しは身体かたちを持たない。.......おいおい、そんな露骨にガッカリしないでくれよ。貴君はあれか? ミロのヴィーナスを見て腕がない不良品だとのたまうような人種なのかい?」

「いや、あれはそう言うのを美とするものですし、それとこれとは違う気が」

「何も違わんよ。ヴィーナスも鬼殺しもその根底にあるのは、人間の想像力や連想に訴えかけるものなのだから。とはいえ、鬼殺しは仕方なくそうなったという面が強いのだがなあ」

「どう言う意味ですか?」


僕がそう聞くと先輩は言った。


「そもそも、どうして鬼殺しはネットで出てこないんだと思う? 大抵のことはネットに載っている情報社会において、何故?」

「何故って。.......すっごくマイナーだからじゃないですか?」

「その通り。如何いかんせん知名度が低すぎるのだ。では、何故そうなったと思う? あんなにも強烈な名前を持っていながら」


ああ、そう言うことか。


「そこで、身体かたちがないことに繋がって来るわけですね。視覚的に訴えられないから、次第に風化し、消滅したという。およそこんな感じですか」


「ふむ。まあ、よいところだ。正確には鬼殺しに、酒やら将棋の戦法やらの意味が備わったことにより、消えかけたのだがね」


先輩は僕の奥にある道路を見ながら言った。先輩の気持ちは痛いほど分かるが、市街地からかなり離れているため、時間はまだかかる。


僕は彼に訊いた。姿がないと聞いて少し萎えてしまったことは否定できないが、しかし、鬼殺し。それを引いてなおその字面は僕を惹きつける。きっと凶悪で格好いい妖怪に違いない。


先輩は答える。


「ある漁村が昔あった。ひどい嵐があり、村人は一日中家にこもって神に祈っていたという。本当に酷いもので、次の日行く村中の船がひっくりがえっていた。これはマズイと思ったある村人は、船が流されたのではないかと思い、本来ならば行こうとも思わない、崖の下の岩場まで歩いて行った。そこで、彼は死んだ鬼を見たと言う。村では昨日の嵐は神と鬼が互いにしのぎを削り合ったがゆえ、発生したものだと考え、その村の水神をさらにあつく祀ったらしい。しかし、時代とともに信仰心が落ちた水神は神格を失い、妖怪の一種とされたらしい。本来なら、水神は河童となるのが多いのだが、鬼を殺したという話が残っていたせいだろう。『鬼殺し』という新たな妖怪となったわけだ」


「つまり、水神が鬼殺しになったというわけですか?」

「まあ、極限まで要約するとそうなるな」


鬼を殺したというのは、非常にかっこいいのだが、原作通りなのか先輩が省いたのか、戦闘描写がないため、どこかかっこよく映らない。

名前の通りなのだが、どこか名前負けしているような印象を受ける。


「ほう。名前に違和感を覚えるのか。なかなかどうしていい感覚をしているな、貴君は」

「そうですか? でも、あまりにも直接すぎて。いや、確かに化け猫とかもそうだとは思うんですが、身体かたちを持たないせいか、ひどく印象が薄いんです」


先輩は頷いてその話を聞くと、口を開いた。


「まあ、身体かたちを持たないから、概念がそのまま名前になったんだけどね」

「じゃあ、どうして姿がないんですか?」


「まあ、夢のない話になるんだけどね」と彼は断ってから言った。


「まず、鬼とはなんだろうか?」

「幽霊とかでしたっけ?」

「いや、中国の本来の意味を聞いたんじゃないんだがな」


ちなみにこの後「おにとは中国のという、死んだものの霊を指す言葉に、隠れるという漢字の音読みである『オヌ』がひっついて今のおにになった」と先輩の話は続く。


僕が返答にモタモタし始めたからだろう。結局、先輩が答えを明かした。


「そもそも鬼は、西洋のことを農民達が知らない時代に、漂流した西洋人を鬼だと誤認したことで今の身体かたちになるのだよ。.......勘のいい貴君ならもう後は分かるね?」

「つまり、酷い嵐により船が難破した等の理由により、流されてきた西洋人の死体を鬼の死体だと勘違いした結果、この妖怪は生まれたということですか?」

「その通りだ」


先輩は満足そうに頷くが、僕は少し不満である。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはよく聞くけれど、あまり面白いものではない。


言わぬが花--というものなのだろう。


「まあまあ、怪異なんてどうせ殆どが誤認で生まれたものなんだ。誤認--つまり、人間の想像や連想なんだよ、ああ言うものは」


それを言うが早いか、僕の後方から、『ピーポーピーポー』という音が聞こえてきた。


「お、来たようだね」


その言葉を合図に、僕と先輩は立ち上がった。先輩はうまく立ち上がれないので、肩を貸してあげる。


「しかし、あれだね。天気が良かったものだから、来て見たのだが、なかなかどうして水中は酷い有様だった。あれは、地獄だね。クラゲ地獄」

「だから、やめておきましょうと言ったんですよ、僕は。『こんないい日に可愛い女の子が海にいない訳がない!』という先輩の予想が外れた時点で、大人しく帰ってればよかったんですよ。それが、やけくそになって海なんかに入るから.......。第一、海のシーズンは少し前に終わってますよ」


一応断っておくが、常識的な判断を下せる僕は海になど入っていない。


「ははは。いい経験だったではないか。しかし、私の想像力が妖怪を考えた古い人たちの一割でもあったなら、こうはならなかったに違いないんだけどね。少なくとも、九月からクラゲの危険性を理解したはずなんだ」


救急車のところに、そんな意味のないことを言う先輩を連れて行った。彼は、救急車に乗る前に、思い出したように呟いた。


「いや、どれだけ学ぼうが、馬鹿や阿呆は死ななければ治らないか」



ひどく自虐的であったが、同時に真理だとも思った。

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