第13話
「だからさー、いきなり息子は死にましたとか言われてもこっちはハア? って感じじゃん。で、そこから先は、お通夜は? お葬式は? って聞いても黙りこくられて。一体どうすりゃいいわけよ?」
「どうすりゃ、って……」
開始一時間と経たず、五十嵐さんは完全に出来上がってしまったようだった。
「あー、拓海のバカー、なに死んでんだよー。いいもんねーだ、さっさと新しい男見つけてやる。僕これでも結構モテるんだからね」
「モテるって言ったって、どうせ寄ってくるのは社割目当てのファッショニスタな男でしょ」
淡々と日本酒のグラスを傾けながら、柳さんが言う。
五十嵐さんはガーンとショックを受けた顔で抗議した。
「ナギちゃんひどい」
「だって拓海さんの前に付き合ってた彼氏も、お洒落でチャラそうな男だったじゃない」
「不倫子には言われたくない」
今度は柳さんが、あからさまにムッとして眉を吊り上げる。だが、柳さんは一言も反論せず、黙ってグラスの残りの日本酒を一気に飲み干した。むしろ殺気を感じる。
五十嵐さんは隣のざくろちゃんに泣きついた。
「ざくろ慰めてー、ナギちゃんが虐める」
「はいはい。悲しいねえ。偉いよー五十嵐さんは」
「わーん有難う」
「五十嵐さんは優しいから、新しい彼氏もきっとすぐに見つかるようー」
「そう言ってくれるのはざくろだけだよお」
ざくろちゃんがぽんぽんと五十嵐さんの頭を撫でる。五十嵐さんがゲイなのはさておき、この構図は「きっとざくろちゃんはメイドカフェでモテてるんだろうなあ」という想像を掻き立てるに充分だった。冬物の服で一見分からないが、よく見ると、ざくろちゃんは適度に丸みをおびた体形で、胸も結構あるようだ。ぽっちゃりというほどではないにしろ、程よく柔らかそうなスタイルである。スレンダーな柳さんとは対照的だ。
俺はふと思い立って、五十嵐さんに訊いた。
「五十嵐さんって、どこで兄貴と知り合ったんですか?」
「ネット」
「ネットで?」
五十嵐さんが頷く。
「でも五十嵐さん、会社、アパレルなんですよね」
「だからどうした」
「そっち系の人との出会いも、ありそうなイメージですけど」
「甘ぁい!」
だん! と拳でテーブル……いや、こたつの天板を叩いて、五十嵐さんが断言した。
「そりゃいるよ⁉ ゲイやオネエの一人や二人や三人。表参道や青山のアパレルには珍しくないよ⁉ けどさ、ノンケよりゲイのほうが遥かに少ないじゃん! その中から更に良い出会いなんて、確率考えなよ! 宝くじだよ!」
「そういうもんなんですか……」
「たまたまゲイと知り合ったからって、そいつとウマが合うとは限らないじゃん。男好きにもいろいろいんだよ! いいか! おっぱい好きってだけでノンケの男同志がみんな分かり合えてたら、戦争は起こんねえだろ!」
「おお……」
論理は良く分からないが、無駄に説得力がある。俺は感心していたが、五十嵐さんがはたと気付いて、舌打ちした。
「ちっ、そうだった、この子貧乳好きだった。例えが悪かったか」
「ちょ、何言ってんですか⁉」
「ともさん、おっぱい星人じゃなくて尻スキーですかー?」
「ざくろちゃんまで‼」
既にビール三缶を空けて日本酒に突入しているざくろちゃんが、けらけらと笑った。先程「お酒あんまり強くない」と言っていた張本人である。この手のことについて、自己申告はあてにならないと、つくづく思う。
「ざくろ、飲みすぎ」
こたつの反対側で、昴君が窘めた。
「だーいじょおーぶ、明日は遅番だからー。ナギさんも五十嵐さんもともさんも、明日はお休みでしょー」
「そういう問題かよ」
「ともさん、どうぞー」
昴君の突っ込みを無視して、ざくろちゃんは俺にビールの缶を差し出した。俺のグラスに勝手に補充する。
「あんま飲みすぎると、俺、帰れなくなるよ……」
「いいじゃん。拓海の部屋にベッドも布団もあるんだから泊まっていけば」
「ええぇ」
五十嵐さんの提案に、ざくろちゃんもうんうんと頷く。
「そうだよう。ともさん、お布団あるよ」
たとえ布団がそこにあろうとも、できうる限り遠慮したい。なぜ俺が、兄貴が彼氏とナニしていたか分からないベッドで夜明かしせねばならないのか。想像するだけで悲しくなる。
ざくろちゃんが、今度はこたつの向かい側の柳さんへ向かって、身を乗り出した。
「ナギさんはー、明日は、デートじゃ、ない?」
「なっ――、違う、けど」
「違う? なら良かったー。デートの後ナギさんいつもさみしそうだから」
「――っ」
ざくろちゃんの不意打ちの言葉に、柳さんは目を丸くした。アルコールとこたつと鍋の蒸気でほんのり赤い頬が、もう一段階赤くなる。
「そりゃそうだよ。向こうは嫁のいる家に帰るんだもん、寂しくもなるだろうよ」
「いっ、五十嵐さんまで! 違う、彼は嫁とは別居してて」
「だから止めなよそういう不毛な恋愛。もういい歳なんだからさ。三十だっけ?」
「二十七です! アラサーだからって勝手に四捨五入しないで!」
「派遣OLに手を出すようなゲスい上司に、アラサーにもなって引っかかるなよ」
「そうだー! ねえねえナギさん、ともさんはどう?」
「えええっ⁉」
ざくろちゃんが突然ぶっ込んでくる。不意打ちすぎて、思わず俺は大声を上げてしまった。俺の動揺を全く意に介さず、真っ正面から、ざくろちゃんが笑顔で訊いてきた。
「ともさん彼女いますか?」
「かかか彼女?」
「いないでしょ。てか、いたらこんなとこで飲んでないだろうに」
何故か五十嵐さんが俺の代わりに答える。そこへざくろちゃんが屈託なく畳みかける。
「そうなんですか?」
「……その通りです。いません」
俺は下を向いて白状した。ちらりと横を伺うと、柳さんは相変わらずむっすりと黙りこくったまま、熱々の鶏肉をかじっていた。もうどうしたら良いのか分からない。
その時、俺の背後でけたたましいベルの音が鳴り響いた。
「え? 何?」
ジリリリリ、という昔の黒電話風の音。振り返って確かめると、音の源は一台のスマートフォンだった。部屋の隅のコンセントから電源コードが伸びて、充電中だったらしい。
ベルの音で反射的に立ち上がったのは、昴君だった。
昴君は、無駄のない素早い手つきで電話を取った。
「もしもし」
『あー、すばるぅ?』
「どうしたの?」
電話の向こうから、若い女性の声が聞こえる。
甲高く大きな声。内容が筒抜けだ。
『あのさー、今度の月曜、学校の教師が家庭訪問させてくれって。ほんと超めんどくさいんだけど。だからあんた、月曜はうちにいてよ?』
「……分かった」
『分かった? あーあ。あの教師マジうざい』
「分かったから、そっちも月曜は帰っててよ」
『はあ? お前、なに親に命令してんの。死ねよ』
電話の向こうの声は、そこでぷつりと切れた。
気付けば、和室の中は静まり返っていた。鍋のくつくついう音だけが、かすかに続いている。
「……なに、今の」
思いがけず、俺は沈黙を破って訊いていた。
昴君は無表情のまま、端的に答えた。
「母親」
「母親って、あれ――おかしいだろ」
「別に、いつも通り」
「いつも通りって、そんな――おかしいだろ、あんなの」
自分で気づくより先に、俺の声には怒りが滲んでいた。
「親ってなんだよ。親かよ、あれ。母親なの? なら自分で産んだんだよな? その子供に死ねとか、おかしいだろ」
「……」
昴君は黙ってスマートフォンを充電コードから抜き、ポケットに入れて立ち上がった。
「――オレ、コンビニ行ってくる」
「え?」
「アイス買いに」
「こら、一人で行く気?」
五十嵐さんが引き止めるが、昴君はこたつに戻るそぶりは見せない。
「すぐそこまでだから」
「こんな時間に一人でほっつき歩いて補導されたらどうすんの。もー、しょうがないな」
よっこいしょ、とオッサンぽい掛け声で、五十嵐さんが立ち上がった。
「ちょっと待ってな。僕のコート上だから。取ってくる」
「私も行く! 雪見大福食べたい!」
ざくろちゃんも、条件反射のように立ち上がった。後に残された柳さんが、止めるでもなく、呟く。
「もうデザート? 締めに卵おじや、やるつもりだったんだけど」
「帰ってきてから食べる!」
ざくろちゃんがマフラーを巻きながら答えた。
五十嵐さんと昴君とざくろちゃんが玄関を出てゆくのを、俺と柳さんはこたつに入ったまま、音だけで見送った。
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