第12話

週半ばに、五十嵐さんからメッセージが届いた。

土日にまた片付けに来るんでしょ?と訊かれたので、まあそうですけど、と返したら、

「じゃあ夜は鍋にするからね! なんかお酒買ってきて☆」

と否応なしの指令が飛んで来た。俺に拒否権は無いらしい。

俺は諦めて、次の土曜日、再びシェアハウスへ向かった。

昼まで寝ていたせいで、時刻はもう三時近かった。

電車を降りてから、駅ビルの地下のスーパーへ寄る。酒売り場を眺め、悩んだ挙句に千五百円程度の日本酒を買った。一緒に飲んだことが一度も無いメンバーの飲み会へ何を持っていけばいいのか、まるで見当が付かない。五十嵐さんは芋焼酎でも飲みそうな雰囲気だが、初っ端からそんなもの買って行った日には間違いなく柳さんの塩対応が待っているだろう。ひとまず女性受けを狙っていそうなラベルの瓶を選ぶ。

外は今日も風が冷たい。重い瓶を下げて、俺はシェアハウスの玄関をくぐった。今日は、鍵は開いていた。

「こんちはー」

居間に入ると、ざくろさんがこたつでテレビを見ていた。再放送のドラマが流れている。

「こ、こんにゃちはです!」

「これ、今日鍋やるって言うから、日本酒なんですけど、どのへんに置いといたら」

「ありがとうございます! あっ、その辺に適当にで大丈夫です!」

「そう?」

俺はこたつの上に日本酒の袋を置いた。

「ほああ、なんかおしゃれなお酒だあ」

「好みが分からないんで、適当に買っちゃったんだけど、嫌いじゃないですかね、ざくろさん――柳さんも」

「いけます! いけますので! あっあの、さん付けとかしなくていいです!」

「はい?」

唐突に言われ、面食らう。ざくろさんは首をふるふるして言った。

「さん付けされるような者ではありませんです! 呼び捨てで構いませんので! ざくろは!」

「え……でも呼び捨てってのは、ちょっと」

不意に俺の脳裏に、柳さんの声が蘇った。柳さんは彼女をざくろちゃん、と呼んでいた。

「じゃあ、……ざくろちゃん?」

「はい! それで構わないです!」

「はあ……」

「あっそれであの私はお酒あんまり強くないですけど! ナギさんも好きです日本酒! あああ、そう、そういえばですね、昨日私、るーちゃん、えっと昴君と、一緒に引っ越し屋さんに行ってきたんですよ!」

めちゃくちゃ一生懸命、話題を探されている気がする。

そして多分、気のせいではない。

「引っ越し屋さんって、段ボール?」

「はい! そうです! 拓海さんのお部屋の前に置いてますので使って下さい!」

「有難う、それ、幾らした?」

「いえいえいえお金はいいです!」

「払うよ」

「いいんですいいんです、あのくらい!」

「でも」

「ほら、あの、私とかご祝儀、じゃなかった何だっけ、あの、お香典も出してないから!」

「じゃあ……有難う」

ざくろさん、いや、ざくろちゃんの勢いに押されて、俺は厚意を受け入れることにした。

「いえいえどういたしまして!」

満足げなざくろちゃんに背中を押されるような気分になって、俺は二階へ上がった。

彼女の言葉通り、兄貴の部屋のドアの前に、段ボールの束が立て掛けてあった。使用済みだが、元が丈夫だから充分使いまわしに耐えうるのが分かる。ざくろちゃんたちの気遣いか、傍らにガムテープまで置いてある。有難い。

俺はさっそく、段ボールを部屋に運び込んで組み立て、分別した兄貴の蔵書を詰めていった。

黙々と作業に没頭した。気が付くと日が暮れている。

兄貴のデスクの上で発見したマジックで、段ボールの横に「本」「DVD」と書き込んでいると、背後で誰かが扉をノックした。

「はーい」

「いよっお疲れー」

ドアを開けたのは五十嵐さんだった。

「そろそろ鍋の準備だよ。おいでよ」

そう言って、階段を降りていく。五十嵐さんに続いて、昴君も三階からの階段を降りて来た。ちらりとこちらを一瞥して、階下に駆け下りる。

俺はきりのいいところまで古本を箱に詰めると、部屋を出た。

台所では、柳さんと五十嵐さんが、鍋の材料をざくざく切っているところだった。

「……ども」

「今晩は」

ぺこりと俺に会釈して、柳さんはまな板の上の鶏肉に包丁を入れる。思いのほか勢いよく、鶏肉がぶつ切りにされていく。隣で長ネギを切っている五十嵐さんが言う。

「今日は水炊きだよ」

「良いっすね」

「そのコンロ、向こうに持ってって。こたつでやるから」

五十嵐さんの指令で、俺はテーブルの上にあったカセットコンロを居間へ運んだ。こたつの上の真ん中に置いて、ガスボンベをセットする。俺の後ろから、昴君も取り皿を運んで来た。

程なくして、鍋が運ばれてきた。鍋の中の出汁からは、すでに湯気が立ち上っている。ざくろちゃんが、積み重ねたコップを持ってきた。

「あのおおお、日本酒に合わないですけど、グラス、これでいいですかね?」

「全然問題ないよ」

受け取るとやけに軽かった。ガラスではなく、カラフルなプラスチックだった。

白菜やネギの具材とコンロに取り皿とコップで、瞬く間に、こたつの天板の上はいっぱいになった。俺が持参した日本酒以外に、缶ビールとウーロン茶のペットボトルもある。こたつで鍋を囲むなどというベタなシチュエーションを経験するのが、実際はいったいいつ以来なのか、俺には思い出せなかった。

鍋の中の鶏肉が煮えるのを待たず、俺たちはこたつを囲んで、乾杯した。

――いや、乾杯、ではない。

五十嵐さんが口にしたのは、「献杯」という言葉だった。

乾杯の代わりに、亡くなった人に捧げる一杯を表す言葉だという。初めて耳にする言葉だった。

「拓海に」

プラスチックのグラス同士がぶつかる音は、涼し気でも軽やかでもなんでもなく、ちょっと間抜けな気すらした。

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