第6話

「うわ、何だこれ」

五十嵐さんと柳さんに案内されて、兄貴が住んでいた二階の部屋に足を踏み入れた俺は、室内を見渡して思わず声を上げた。

八畳ほどの洋室の壁は、大半が書棚で埋まり、ベッドの脇のデスクの上にも、多数の本や映画のDVDが積み上げられていたのだ。五十嵐さんが目を細くして言う。

「拓海、本好きだったから」

「にしても、限度ってもんがあるでしょう。多忙だったんじゃなかったのかようちの兄貴は」

「拓海は仕事もゴリゴリしてたけど、読書家だったし映画も観てたよ。一日四時間ぐらいしか寝てなかった」

「馬鹿じゃないの?」

そりゃ死ぬだろう。三十代半ばというべらぼうな若さで脳出血にもなりかねない。呆れかえっている俺の顔を見て、柳さんが口を開いた。

「弟さん」

「友幸です」

「ともゆきさん、ご趣味は」

「え? 趣味?」

「お休みの日は、何を」

俺は狼狽した。いきなりお見合いの席みたいな質問しないでください。

「えっと……いや特に趣味ってほどのものは……。テレビ見たり、暇だったらそのへんランニングしたり、ラーメン食いに行ったり……。たまに友達とか会社の人に誘われて飲み会とか?」

「………………リア充だあ……」

背後から微かな声が聞こえた。振り返ると、数メートル離れた廊下の柱の陰に、猫耳乙女がいた。その更に後ろに、少年もいる。

背後の二人は無視して、柳さんが言った。

「本当に拓海さんに似てないですね」

似てないと断言され、俺はちょっと傷付いた。

なにしろ、本棚の本のラインナップは、文字通り多岐に渡っていたのである。古典文学に政治経済ビジネス書、ベストセラーのミステリーに映画化された歴史小説、サブカルっぽい背表紙も見える。これらをみんな読んでいたとすれば、濫読もいいところだ。例え遺産として貰おうとも、この部屋の蔵書を、俺には一生かかっても読み切れる自信がない。

だが今の俺の使命は、読書に非ず。遺品整理である。

「こりゃー古本屋の出張買取でも呼んで、一気に持ってってもらうしかないかなあ……」

「やめたほうがいいと思う」

背後で今度は少年の声がした。

「……なんで?」

振り返って俺が訊くと、少年はすたすた部屋の中に入ってきて、一番手前にあった本の山から一冊を手に取り、パラパラとページをめくった。と、ページの間に紙が挟まっている。それを取り出して、少年は俺に渡した。

「あった。ほら」

「何だこりゃ……納品書?」

少年がページの間から見つけたのは、大手ネット通販サイトのロゴ入りの紙だった。通販で買い物した時に、物と一緒に来るやつだ。ペラペラの紙に、兄貴の名前と住所、買った物の明細が印刷されている。栞代わりにしていたのかもしれない。

しかし。

「……これ、その本と全然関係なくね?」

少年は頷いた。

少年が手に取った分厚い本の表紙には、大きな黒字で『ネクスト・ソサエティ』と書かれている。ビジネス書っぽい煽り文句の帯付きだ。対して納品書の買った物の欄には、『永久保存! 一流ホテル料理長の和食レシピ』とある。俺にもさすがに分かる。この二冊には、恐らく「兄貴が買った本である」以上の共通点はない。

「拓海さん、よくそのへんの適当な紙を栞にしまくってた」

「マジかよ。ていうかなんで君が知ってるの?」

「あ、ほんとだ。これにも挟まってる」

俺の脇で五十嵐さんの声も上がった。まさかと思い目をやれば、五十嵐さんも別の本の間から違う紙を発見していた。葉書サイズ。

「こっちはダイレクトメールだね」

……眩暈がしてきた。

このまま纏めて古本屋に売り払ったら、住所も名前も丸出しじゃないか。俺にもし子供ができたら(予定も見込みも希望もないが)、個人情報が印字された紙を栞にするのだけはやめろ、と教えたい。

「つまり? この本の山を? 一通りチェックしろと?」

俺は兄貴を呪いたくなった。生きているほうが死んでいるほうを呪うなんて役割が逆だが、これは呪わざるを得ない。がっくりと肩を落とす。

俺が項垂れた三秒後、

「お手伝いしましょうか」

と、柳さんが冷静さを失わないまま言った。俺は一瞬で生き返る気がした。

「……ほんとですか?」

「ただ、この状況から察するに、個人情報のみならず拓海さんのプライベートが私の側へすべからくダダ漏れになりますけど。それがお嫌でなければの話です」

「全く問題ないです」

俺は即答した。全く問題ない。むしろ兄貴のプライベートに関しては、俺よりこの人達のほうが詳しいはずだ。

「まあ手伝うよね。拓海の部屋だから」

五十嵐さんもそう言ってくれたが、俺は、柳さんの手伝いの申し出に内心小躍りしているのを悟られまいとするので精一杯だった。

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