第5話
自慢じゃないが、俺はこれまで二十九年間、平凡な人生を生きてきた。
サラリーマンの父親とパートの母親のもとで育ち、小中高と公立の学校を出て、偏差値真ん中よりちょっと上の大学の文系学部へ進学し、就活では数多の書類選考と面接で落とされまくりながらどうにか内定をゲットした。就職先は二年と経たずに潰れたが、このご時世、若い第二新卒は珍しくも何ともなくて、特に異端視される事もなく、若いというだけで次の仕事にありついた。契約社員で食い繋ぐ時代を経て、今に至る。アパート暮らし。貯金ちょっと。彼女はなし。
俺はこれまで、平凡な人生を生きてきた。と思う。
そして、俺にあまり無いマイノリティ要素は、実は兄貴が全部かっさらっていたようだった。
兄貴はゲイで、五十嵐さんは兄貴の彼氏だった。
うちの両親は、同性愛に理解があるどころか、男の同性愛=オカマ、ぐらいの知識と刷り込みしか無かった。そんな親を避けるべく実家を出て(それが理由だったのか……初耳)、兄貴は高校卒業と同時に上京。国立大学卒業後は大手メーカーの中枢にて活躍、その後は複数回の転職を経て、同性愛者である事実は隠したまま外資系コンサルティング会社で大活躍(五十嵐さん談)していた。三十歳頃から五十嵐さんと付き合い始め、もともと五十嵐さんがこの家で部屋を借りていたところ、二、三年前に他の部屋に空きが出たので、兄貴がそこに引っ越してきた。
以来、同棲する代わり(?)に、一つ屋根の下で暮らしてきたという。
五十嵐さんにそう説明されて、俺の頭の中に真っ先に沸いたのは、柳さんと一つ屋根の下でゲイカップルがいちゃいちゃしていたのだろうか、という下賤な疑問だった。本当にしょうもない。
「拓海のご両親は拓海がゲイだって知ってたから、てっきり弟君も知ってるとばかり思ってた」
五十嵐さんはそう言って、肩をすくめた。
「俺は初耳っす。てかむしろ、うちの両親、なんで知ってたんだろ……」
「カムアウトしたって言ってたよ」
「はい?」
「自分から親御さんに、同性愛者だってカミングアウトしたって」
「まじですか?」
俺は目を丸くした。今日は目が丸くなりっぱなしだ。
「うん。僕と付き合いだした頃には、もうカミングアウト済みだったよ。彼女いるのか結婚する気あるのかってガチで問い詰められて、お見合い話まで持ってこられたんだって」
「ひえええ」
心底意外だった。親父もお袋も、俺には見合い話なんて持ってきたことない。
だが、冷静に考えてみれば辻褄は合う。俺は昔から、アイドルにときめいたり若手女優目当てでドラマを録画したりしていて、要するにホモではない素質が両親にもダダ漏れだったのだろう。対して兄貴は、スポーツもそこそこ出来て容姿も中の上なくせに、言動に於いてはモテる努力を放棄し、勉強ばっかりしていた。俺の記憶の中の兄貴の印象は、十代の半ばには既に硬派を通り越していた。そんな兄貴を見て、母親が、あの子は奥手だから~などと余計な気を回す可能性も、無きにしも非ずだ。
「拓海は真面目だったからね。のらりくらり嘘吐き続けることも出来なかったんじゃないの」
「……それは、納得です」
「この間、ご両親が一瞬ここに来た時、僕、挨拶したんだよね」
「そうなんですか⁉」
五十嵐さんは目を伏せて、頷いた。
「うん――拓海、顔はお母さん似だったんだね」
「……中身は、親父に似てたと思います」
「そうなんだ」
「くそ真面目っていうと違うかな、でも近いと思うんですけど。頭固いみたいな」
「そうだね。堅物で真面目で働きすぎだったよ」
「だから早死にしちゃったんですよね」
柳さんが、ぽつりと呟いた。
その通りだと、俺も思った。兄貴は、無駄に頭が固かった。
父親にそっくりだ。
だからこそ、両親と兄貴は、寄り添うことなく、そのまま終わったのだ。
そう突きつけられると、言葉にならない複雑な思いが、胸の奥にずっしりとのしかかった。
親父もお袋も、俺には兄貴の性癖のことを、一切言わなかった。恐らく、あえて伝えなかったのだ。
――教えてもらえなかったから。
柳さんはそう言った。
俺の両親は、兄貴がこのシェアハウスで暮らしていた事実を知ってなお、通夜と葬儀の日時も、斎場の場所も、彼らに教えなかった。
彼らに、来てほしくなかったのだ。
息子が同性愛者だと知っている友人知人に、参列してほしくなかったのだ。
いま思い返してみれば、通夜と葬式の間、ずっと父親と母親が言葉少なに俯いていたのも、あっという間に遺骨を持って帰宅してしまったのも、最大の理由は「息子が同性愛だったから」、なのだろう。記憶をたぐってみると、そういえば葬式の参列者は、多少の親戚と、あとは仕事関係の人ばかりだった。友人らしい人は見当たらなかった。両親は、兄貴の訃報を、友人関係に積極的に伝えなかったのかもしれない。同居人たちにすら、言わなかったのだから。
鈍感な俺は、今の今まで、全く気にも留めていなかった。
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