第15話 あたしたちは生きちゃってる

 駅前に見つけたファーストフード店で、ボクと加賀見さんがハンバーガーを食べていると、ボクの携帯電話が鳴った。黒ジャンパーの男からだった。


『おう、ちょいと事情が変わってな。今いくら用意できる? ――よし、それだけあれば十分だ。今日その値段で売ってやる』


 そう言って男は場所と時間を告げると、ブツリと電話を切った。


「十七万円で売ってくれるって。夜の十二時にさっきの廃墟の広場でだって」


 加賀見さんに教えてあげると、彼女は唇についたケチャップを指でふき取りながら喜んだ。

 さっそくATMで必要なお金を下ろしたボクたちは、夜まで時間があまってしまったので、安いインターネットカフェでセックスでもして過ごすことにした。


「手首」


 薄いパーティションで仕切られたせまい個室のソファーの上で、加賀見さんを上にしてセックスをしていたボクは、握っている彼女の手首の包帯がほどけていることに気づいた。


「ほどけてる」


「ほんとだ」


 息を荒くつきながら、加賀見さんは鬱陶しげにゆるんだ包帯をはがした。その包帯はまっ白で、少しも血の色に汚れてはいなかった。


「かさぶたになってる」


 加賀見さんは自分の手首にある傷痕を見て、そんな感想を漏らした。彼女の手首には黒く血の固まった傷の痕が何本かあるだけで、昨日今日に切ったような新しい傷は見当たらなかった。


「切ってないの?」


 うなずいた加賀見さんがボクにしなだれかかってきた。髪の匂い。ボクは彼女の髪をなでる。


「かゆい」


「かさぶたが?」


「かゆい」


 耳もとで彼女が言う。パーティションの壁のむこうで人の動く音がした。ソファーがきしむ。暖房のゴーという音に混じって、加賀見さんの吐息がボクの耳に触れていた。


「ボクもかゆい」


 しばらくしてボクが果ててしまうと、彼女もぐったりとしてボクの身体にもたれたまま目を閉じていた。彼女の髪をなでる。すると加賀見さんはちょっと身じろぎをして気だるそうに目を開いた。そしてボクの胸に頬を当てて、自分の手首をじっと見つめながら言った。


「……高橋くんは幸せって知ってる?」


 ボクは首を振った。


「じゃあ不幸は?」


 ボクは首を振った。


「あたしも。でもね、あたしたちは生きちゃってる」


 加賀見さんは目をつぶり、ボクの胸に耳を当てる。


「心臓の音」


 ボクは彼女の髪に鼻を当てた。彼女の髪の匂いでボクの鼻はいっぱいになる。


「こうしているとね、生きているように思えるから、手首を切らなくてもね、生きていられるの」


 そうだね、とボクが言うと、加賀見さんは思い出し笑いでもするように小さく笑った。


「どうしたの?」


「でも、あたしたちも、どうせいつか死ぬんだね」


 ボクがうなずくと、加賀見さんは顔を上げてボクの唇にキスをした。やわらかい熱が離れると、吐息がボクの鼻先をくすぐる。


「あたしのパパとママね、心中したの」


 ボクはうなずく。加賀見さんがボクの手を握る。


「こうして寄り添ってベッドの上で二人、手首を切って死んでたの」


 ボクはうなずく。加賀見さんの頬がボクの頬に触れる。


「真っ赤なシーツの上に白い顔で、こうして頬を寄せ合って二人とも優しい顔で眠っていたの」


 ボクはうなずく。加賀見さんが首もとに唇を当てる。


「キレイだったんだ」


 ボクはうなずく。加賀見さんが言った。


「キレイに死のうね」


 ボクはうなずいた。

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