第7話 海の底は冷たくて、わたしのカラダは沈んでいる

 秋吉さんの死体は自殺として処理された。

 そう判断されたのは遺書があったのと、近くに注射器が落ちていて秋吉さんの腕に注射の痕があったからだったけれど、なによりも大きかったのは、ボクらがあの怪しい黒ジャンパーの男について、警察にも死体処理課の人にも話さなかったことだったと思う。

 なぜ話さなかったのかと聞かれると、なんとなくとしか答えようのない空気がボクと加賀見さんの間にあって、それはきっとあの秋吉さんの死に顔がとてもキレイで穏やかに見えたことと深く関係しているんじゃないかと思う。


「秋吉さんキレイだったね」


 イスに後ろ向きに座った加賀見さんが、ボクの机に頬杖をつきながら憧れるような目でそう言った。


「そうだね」


 放課後の教室に残って、ボクたちは昨日の話をしていた。二人だけしか残っていない教室には、薄暮れの弱い日差しが伸ばすボクらの影が長く横たわっている。


「あんな顔をして死にたいな」


 そう笑う加賀見さんと一緒に笑いながら、ボクは秋吉さんの机に目をやった。廊下側の列の一番後ろの机だ。昔見たドラマなんかだと、こういうときには菊の花を生けた花瓶なんかが置いてあったけれど、今はそんなことは誰もやらない。なぜなら、秋吉さんの机にはもう新しい生徒が配属されているからだ。生徒が減ると、学校はどこからか新しい生徒を連れてくる。ぽつぽつと空席で穴が空いていく教室だと、授業中にも死にたくなる人が出ちゃうとかなんとかな理由で、空いた机を埋めるのだそうだ。

 だからその机は今日新しくやってきた香川くんの机で、もう秋吉さんの机ではないのだった。もうこの学校には秋吉さんの名前はどこにも残っていない。ロッカーにも下駄箱にも香川くんの名前があるだけで、秋吉さんの名前は完全に消えてしまっていた。なにも残っていない。残らない。


「加賀見さんは」


 ボクが口を開くと、加賀見さんがボクの目を見る。


「元カレの名前、思い出せる?」


 首を横に振る加賀見さん。


「ボクも」


 もう、あの電車に飛び込んだ元カノの名前を思い出せない。華麗に電車に飛び込んだ、彼女のあの瞬間はいつでも思い出せるのに、どうしても彼女の名前だけは思い出すことができなかった。なぜだろう。ボクは秋吉さんの机を見つめる。


「秋吉さんの名前も忘れていくんだろうね」


 その机は秋吉さんの机だったものであって、もう秋吉さんの机ではないのだった。加賀見さんも机を見る。


「忘れた方がキレイだと思うよ」


 加賀見さんが目を細める。ボクは秋吉さんのまっ白い遺書にぽつねんと書かれていた、短い詩を思い出した。


  海の底は冷たくて

  わたしのカラダは沈んでいる


 秋吉さんは海の上に行けたのだろうか? だったら加賀見さんの言う通りだと思う。きっとボクらが名前を忘れてしまった元カノや元カレも海の上に行ったのだ。だからもう思い出せない。思い出す必要もないし、思い出してもいけない。ここは海の底で、むこうは海の上なのだから。


「ボクが自殺しちゃったら、加賀見さんはボクのこと忘れてくれる?」


 ボクが秋吉さんの机だったものを見ながらつぶやくようにそう言うと、加賀見さんも同じようにつぶやくようにしてこう言った。


「忘れる前についてくよ」


 窓から差し込む夕陽が加賀見さんを赤く染めた。彼女の横顔が影に沈む。

 加賀見さんの赤く焼けた髪が、いつもよりも一段といい匂いを香らせた気がした。

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