第6話 どんよりとした灰色の空の下でさびついたように広がる街を見下ろしながら、ボクと加賀見さんは陸橋を渡る

 どうしてボクはこんなに彼女の髪の匂いが好きなんだろうと考えていたら、そういえばボクは小さい頃はお母さん子だったと、加賀見さんと病院に行ったときに祖母に言われたことを思い出した。

 祖母が言うにはボクは人見知りをする子で、いつも母さんに抱きついて離れたがらない子供だったという。母さんは髪の長い人だったから、そのときの匂いが頭のどこかに残っていて、それが加賀見さんの髪の匂いに似ているのだろう、とまで考えて、なかなか陳腐な理由だなぁと自分で自分にあきれてしまった。そうかボクはマザコンだったのか、という実にとるに足らない結論を加賀見さんにぶつけてみると、「別にあたしは高橋くんのお母さんになってもいいよ」と、思いがけない了解をもらってしまった。


「だって高橋くん、かわいいし」


 そう笑う加賀見さんと一緒に、ボクは学校から駅へと続く道を歩いていた。


「そうかな」


「そうだよ」


 最近、加賀見さんは笑うことが増えた。それはきっといいことだから、ボクも一緒に笑うことにしている。それはきっといいことだから。加賀見さんがご機嫌な顔で言う。


「高橋くんのお母さんになら、あたし、なれると思う」


 ここで恋人つなぎのひとつでもすれば、きっとボクらは恋人になれるのだろう。


「ボクも加賀見さんの子供ならやっていける気がする」


 けれど加賀見さんのあいもかわらず包帯が茶色に汚れているリストカットな手は、ボクの手には触れなくて、ボクの手も彼女の手には触れなくて、ぷらぷらと今日も二人並んで仲よくゆれているだけだった。

 下校時間の駅へとむかう道は学生にあふれている。多くは男女で連れだって、ボクたちと同じように歩いている。みんな割り当てられた彼氏や彼女とのデートの時間だ。


「今日はどうしよう?」


「こっち歩いてみようよ」


 それは線路をまたいで駅のむこう側につながる陸橋へと続く道だった。駅のむこう側は学校のある側よりも古い街で、普段行くことはまったくない場所だったから、ボクらは陸橋を渡ってみることにした。


「高いね」


 駅の周りには高い建物がないから、陸橋から見る景色はちょっと見晴らしがいい。橋の下には加賀見さんのリストカットな包帯に似た赤茶色をした線路が、遠く薄雲の空の下まで走っている。どんよりとした灰色の空の下でさびついたように広がる街を見下ろしながら、ボクと加賀見さんは陸橋を渡っていく。


「寒い」


 吹きさらしの陸橋を抜ける風は冷たくて、ボクは少し身をすくませる。


「そうだね」


 すると、そう言って加賀見さんが手を差し出した。ボクは手をつかむ。加賀見さんの熱が手に伝わる。自然に加賀見さんの身体がボクに寄る。そして加賀見さんの髪の匂いが鼻にかよった。


「はやく行こう」


 ボクらは陸橋を渡っていく。


「手、あったかいね」


 ボクが言う。


「高橋くんの手が冷たいから」


 加賀見さん。


「恋人みたいだね」


 ボク。


「そう?」


 加賀見さん。


「悪くないよ」


「あたしも」


 ボクと彼女は陸橋を渡り終える。


「さびしいね」


 陸橋を下りた先に広がる、シャッターの閉じた商店街をながめながら加賀見さんがつぶやいた。歩く人もまばらな街は、橋の上から見るよりもさびついた色に冷たく見える。


「時間が止まっているみたいだ」


「きっと止まっているんだよ。あたしたちも、この街も」


 ボクの感想に言葉を返す加賀見さんの手が離れた。ぽっかりとした空白。そのときにそんな言葉が頭に浮かんでしまうのは、ボクもさびついているからなのかな?

 加賀見さんが歩いていく。ボクも後ろに続く。


「きゃっ」


 路地裏の前を通ろうとしたとき、路地から急に人が飛び出してきて、ボクたちは立ち止まった。

 飛び出してきたのは、黒いジャンパーを着た三十歳ぐらいの見た目の男の人だった。この人はボクたちを見ると、眉をちょっとしかめて舌打ちをして、足早に駅の方向へと歩いていってしまった。


「こんな路地裏になにかあるのかな?」


 加賀見さんが路地裏をのぞく。店舗と店舗の隙間にある、人が二人すれ違うのがやっとぐらいの狭い路地で、地面には掃除されない空き缶や放置されたダンボールなんかが薄暗がりの中にごちゃごちゃと転がっている。ひどく不潔な感じだったけれど、加賀見さんは全然気にしないで踏み込んでいくので、ボクも後ろをついていった。


「あ」


「なに?」


 路地の奥にはちょっとした空間があった。その入口で加賀見さんが立ち止まる。ボクが彼女の肩ごしに奥をのぞくと、そこに地面に倒れている人の影が見えた。スカートをはいているから女の子だと思いながら、どこかで見たスカートだなと考えて、すぐにそれがボクの前に立っている加賀見さんの制服のスカートと同じものだと気づく。うちの学校の生徒だとボクが口にする前に、加賀見さんがぽつりと言った。


「秋吉さんだ」


 そこに仰向けになって倒れていたのは、ボクたちと同じクラスの秋吉祥子さんだった。

 ボクたちが近づいても、秋吉さんは微動だにしない。胸の上で両手を組み、唇を薄く開いて目はキレイに閉じている。まつ毛がとても長い。その目はすごくキレイに見えた。ボクが吸い込まれるようにその顔を見ていると、不意に加賀見さんの手が秋吉さんの顔の上に現れ、ボクの視線をさえぎった。


「息してないよ」


 加賀見さんの声に呼び戻されるようにハッとしたボクは、そこで秋吉さんの顔の横に置かれている白い封筒に気がついた。ボクは直感した。


「遺書だ」


 秋吉さんは、眠るように安らかな顔をして死んでいた。

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