Phase 02 ― who dreamed that (誰の夢、それとも)

フライズ達の住む小さなノワシールの町は、町外れの三方を森に囲まれていて、森の彼方には山が聳えている。残りの一方には平野が広がり、その先は海に繋がっている。

フライズもジェンも、夏休みなるとしばしば、学校の他の生徒の親が運転する車に乗せてもらって、七、八人で連れ立って海水浴に出かけた。海を思い浮かべる時に脳裏に浮かぶのは、夏の真っ直ぐすぎる日差しや、ビーズをぶちまけたように光る海面や、じりじりと照らされて熱い砂浜や、その上で食べたサンドイッチとぬるいソーダだった。

海の記憶はいつも、目が眩むほど明るい。

そして森は暗く、深かった。

ノワシールの子供達は皆、幼い頃に一度は必ず、森の騎士の話を聞いたことがあった。

森は踏み込んできた人を、誰彼構わず迷わせる。森では地図も磁石も役に立たない。一本道を歩いてきたつもりでも、いつの間にか帰り道を見失う。日がな一日彷徨い続け、陽が暮れて迷い人が絶望的な気分になった時、『Off with her/his head! (奴の首を落とせ!)』という声がして、どこからともなく白い馬に跨った白い甲冑の騎士が現れ、迷い人の首を落としてしまうのだという。

怖い話だが、冬の日に薪の赤々と燃えるストーブの前で、大真面目な顔でレイが語る悲劇を聞くのは、幼い頃のフライズやジェンにとって、ぬくもりに満ちた楽しい時間だったのも事実である。

小さな頃からませていたジェンは、この話を聞いて

「おかしいじゃない。みんな首を切られてるんなら、誰が白い騎士が犯人だって教えてくれたの?」

と口を尖らせていた。

やがて子供達は、大きくなるにつれて心の中で推測し、納得してゆくのだった。森は暗く、人には深すぎる。危険な森に子供達が近付かないよう、こんな物語が出来たのだろう。そう考えるようになった頃には、子供達は選ぶための想像力を身につけているのだ。




水曜日からの雨が昼に止んで、空に虹が掛かった。最高の金曜日の午後だった。

フライズはクラスメイト達と一緒に、学校のラケットを借りてテニスコートに飛び出した。ジェンが見当たらないのが少し気に掛かったが、雨雲が一気に晴れたチャンスを見逃す手はない。人工芝のコートはとても水はけが良いから、放課後の日差しを浴びて既に乾き始めていた。

ノワシールに住んでいる子供は、この学校に通っているだけで全部だった。三十人に満たない。この日は一番上級のフライズ達が、午後一杯テニスコートを占領した。男の子達はルール無視でボールを打ち合って、生真面目な性格の女の子の顰蹙を買った。引っ込み思案のガブリエルまでが、小さな声と控えめなふくれっ面で

「あんなめちゃくちゃで、どうして飽きないんだろう」

と嘆いていた。対してフライズは、ルール無視の試合を暫く観戦してお腹を抱えて笑い転げた挙句、飛び入りで参戦して、優勝者の称号を勝ち取ったのだった。

夕方までコートを走り回った後、子供達は、ネットを畳む係とラケットを返しに行く係とに手分けし、その割にはふざけながら二倍の時間をかけて、片付けをした。フライズはザックやパドマと一緒に、借り物のラケットを学校の倉庫に返しに行った。

ラケットを抱えてホールの裏手まで来た時、ふと横を見上げたフライズは、遠くの窓に小柄な人影があるのに気が付いた。

「あ……」

「どしたの?」

「ジェンだ」

「え? どこ?」

四階建ての建物は図書館だが、ジェンは図書館で本を読んでいるわけでもなく、ただ窓辺に立って遠くを見ていた。

その影が、フライズにはどこか不安に感じられた。

「――ごめん、これ頼んでいい」

「ええ?」

フライズは、両手のラケットをザックに押し付け、事態が飲み込めない友人達を構わず、校舎に向かって駆け出した。

「ちょ、何事だよ!」

「お願い! ごめんね、先帰ってて!」

「フライズ!」

ちらりと後ろを振り返って手を振り、石段を駆け上がって中庭へ入った。ジェンがいたのは学校と繋がっている煉瓦造りの図書館の、一番上の四階の端だったはずだ。遠回りしてエレベーターを使うのはまだるっこしく思えて、フライズは階段を駆け足で上がった。

「ジェン!」

図書館で大声で叫ぶのはマナー違反だが、幸い、周りには誰も居ない。フライズが呼ぶと、窓辺の人影が振り返った。

「……フライズ?」

「ここにいたんだ」

「どうして分かったの?」

ジェンが目を丸くして訊いた。

フライズは朗らかに、えへへ、と笑って答えた。

「下から見えた」

「そうなんだ。……」

沈んだ声でそう言うと、ジェンは再び目線を窓の外にやった。考え事をしているようにも見えたが、フライズはその思案に少し強引にでも割り込むつもりで、訊いた。

「どうしたの?」

「え? 別に――」

「元気ないじゃん」

「そんなことないよ」

「そんなことある。なんか変だよ、ジェン」

目を伏せるジェンに、フライズは構わず畳み掛けた。

「こないだもどっか――絶対変だったもん」

「……」

「教えてくれないの?」

フライズは、真っ直ぐジェンを見つめて返事を待った。短い沈黙の後、ジェンが躊躇いがちに顔を上げた。

「――笑わないって約束してくれる?」

「約束する」

「真面目に聞いてくれるって約束する? 笑わない?」

「笑うわけないよ」

フライズは本気だった。ジェンが心配で、どんな話でも真面目に聞けると思った。

ジェンは窓の外に目線を移した。思わずフライズも外を見た。町の家々の屋根が続き、その向こうに畑の平野と細い川が見える。

さらに彼方に、深い森が黒々と広がっていた。

「……夢を見たの」

「夢?」

ジェンが頷いた。

「変な夢。同じ内容で、それを何度も見たの」

「どんな夢?」

ぽつりぽつりと、ジェンが言葉を探しながら話し出した。

「夢の中でね、私は男の子なの。私よりもうちょっと年上だと思う。私より背が高いっていうか、身体が大きい気がするから。それで、森の中の薄暗い道を、車で走ってるの」

「車って、ジェンが――その、男の子が、運転してるの?」

「ううん、違う。女の人。えっと……私の、お母さんだと思う」

「お母さん?」

思わずフライズは目を丸くした。

フライズの知る限り、物心付いた時からずっとジェンは父親と二人暮らしだったはずだ。ジェンから母親の話は聞いたことがないし、ジェン自身良く知らないと言っていた。

「お母さんって――」

少し混乱し始めたフライズに、ジェンが言った。

「えっと、お母さんって言っても、私の、じゃないよ。顔は、知らない女の人だから」

「あれ? ……あ、そうか」

フライズも頷いた。

「夢の中ではジェンは男の子なんだね」

「うん。その女の人は、私っていうか男の子のお母さんなの。何でか分からないけど、絶対そうだと思う。花柄のワンピースを着てた。それで二人で車に乗って、車は森の中の道を走ってるの。そこから目の前の景色が何度かぷつんぷつん途切れて――気が付いたら」

いつの間にか、ジェンは自分のカーディガンの裾を握り締めている。

「事故に遭ってるの」

フライズが息を呑んだ。

「事故……?」

「うん。車が道路から外れて、大きな木にぶつかったみたい。車は滅茶苦茶に歪んでて。私は車の外に放り出されたんだと思うんだけど、道端に倒れてるの」

「――」

まるで今にも泣き出しそうな、潰れそうな表情で、しかし淡々と、ジェンは話し続ける。

「立とうと思っても全然身体が動かない。車は前半分がすっごい潰れてて。お母さんがどうなってるのかも分かんない。でも、車の運転席のあたりに、さっきお母さんが着てた花柄がちょっとだけ見えるの。身体が動かないならせめてお母さんを呼んでみようと思っても、全然声が出なくて――」

ジェンはそこで言葉を切った。

黙って窓の外の森を見つめる。夕暮れがもうすぐそこまで近付いている。

暫く二人は、静まり返った図書館の窓から、並んで森を見ていた。

不意にジェンが、口を開いた。

「――夢はそこまで。毎回そこで目が覚めるの」

「ジェン――」

フライズは何か言うべきだと思いながら、なかなか言葉を選べなかった。ようやく出てきたのは、

「話してくれて、ありがとう」

という一言だった。ジェンは首を振った。

「あんな夢、何度も見るって事は、何か意味があるのかな」

「……あるよ、絶対」

今度はすぐに、きっぱりとフライズが言い切った。

「だってジェンは、そういう映画を観た事あるわけでもないんでしょ?」

「無いよ! 疑ってるの?」

「違うよ! そんなわけないじゃない」

フライズは即座に答えた。真っ直ぐジェンの目を見ている。

「夢の中の男の子は、ジェンより年上っぽいんでしょ? 映画を観たわけでも森を車でドライブした事もないんでしょ? 車を運転してる人はジェンの知らない人なのに、お母さんだって分かるんでしょ?」

「……うん」

「なら、意味は絶対あるよ。――」

予知夢とか、と言いかけてフライズは口篭った。その夢が、凄惨な事故に巻き込まれる未来を示しているのだとしたら、親友が死に瀕するのはフライズ自身にとっても辛い。話の角度を変えようとして、フライズは訊いた。

「ねえ、ジェンの実際のお母さんはどんな人だったか、覚えてないんだよね」

フライズの記憶では、ジェンの家のマントルピースの上に飾られた昔の写真には、教授(プロフェッサー)とジェンの二人しか写っていなかった。

「覚えてない」

「教授に聞いてみたことある?」

「あるけど――」

ジェンは俯いた。

「随分昔に事故で亡くなったんだよって。それだけ」

「そうなんだ。……その事故って、車の事故じゃなかったのかな」

「知らない。それ以上は訊けなかったから。――父さんが、辛い思い出だからあんまり話したくないなって、悲しそうな顔してたから。訊けなかった」

「そっか」

少なくとも、一つ分かった事がある、とフライズは思った。ジェンの母親が何らかの事故で亡くなっている。ならば、その過去が夢の内容と一致しないとも限らないのではないか。

「――ねえ、ジェン。森へ行ってみようよ」

「え――」

ジェンが目を丸くした。フライズは真剣な顔で言った。

「もしかしたら、何か手掛かりが見付かるかもしれないじゃん」

「で、でも……」

突然の提案に、ジェンは戸惑いを隠さなかった。

「でも、夢に出て来る森があの森だって決まったわけじゃないし」

「その通りだよ。けど、違うか違わないかは行ってみなきゃ分からないよ。ジェンだって、森の景色に何かヒントがあるんじゃないかと思って、ここから森を見てたんでしょ?」

図書館の最上階の窓、そこからフライズは、改めて外に目をやった。

町から伸びる道は、畑の間を抜け、川に掛かる橋を越えて、黒々とした森の中へと続いている。

「それは――そうだけど」

「もしかして、白い騎士の話とか気にしちゃってる?」

フライズが悪戯っぽく訊くと、

「そんなんじゃないよ!」

と、ジェンがむきになって返した。

「あれはただのおとぎ話じゃん! 子供を森に近付かせないための、大人の作り話でしょ。私だってそのくらい分かってるよ!」

「でしょ?」

「ただ――白い騎士はいなくても、森の中が危ないのは、ほんとだと思うし」

「うん。それは対策を練らなくちゃね」

ジェンはフライズをまじまじと見つめた。

「フライズ、本気?」

「あったりまえじゃん」

フライズはにっこり笑った。

「独りでただ悩んでるより、二人でちょっとでも行動したほうがマシなんじゃないかな」

つられてようやく、ジェンの顔も少し綻んだ。

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