青ブタ〜運命の繋がり〜

夜迦沙京

運命の繋がり

 

『京、私のこと、忘れないでね……』


 頭の片隅に、いつまでもこべりつくようにあるその言葉を、高一だった夜迦沙京やかさけいが思い出すことは無かった。

 それは2年が経って高三になった今も変わらない。女性らしい温かみのある声音から紡がれた言葉は、脳内で反芻するように残っていて、それ以外は何もない。情景が無ければ、それを言った人物の顔も見えない。


 京には事故で記憶を失った経験も無ければ、アルツハイマー病のような物事を忘れていく病気になった覚えもない。

 彼はかなり頑丈で健康的な肉体の持ち主である。流石に、二年近くも忘れずにあるその言葉がずっと頭の片隅にあるとなると、それはそれで気になって仕方ないのだ。


 幼馴染で彼女でもある玲奈と旅行中の今も、それは例外ではなかった。


「ねえ、京。どうかしたの?」


 一定間隔で進む電車の中。右隣りに座るボブカットで内側にカールしている茶髪の少し大人っぽい容姿をした女性が、上目遣いで見上げてくる。彼女こそが、京の幼馴染で彼女でもある、笹城玲奈だ。


 京は右側に視線を向け、玲奈と視線を合わせて、

「まあ、少し考え事だよ」

 と、微かに笑みを零しながら言った。


 すると玲奈は首を傾げる。


「考え事?」


 甲斐甲斐しく首を傾げる玲奈の姿は、大人っぽい容姿とはかけ離れた別の可愛らしさがあった。彼女の容姿に反する可愛らしい行動の数々は、それだけでも見る者を魅了する美しさがある。

 京自身、昔からその一面に心を奪われた……と言っても過言ではないのだが、一切の嫌がる素振りを見せることなく、友人たちの相談を乗ったりする心の優しさを備え持つ内面も気に入り、付き合いたいと思ったのも事実だった。


「もしよかったら、私が相談に乗るよ?」

「まあ、できればそうしてもらいたいんだけど……」

「ん?」


 果たして彼女がいる身でありながら、女性の声が頭から離れない、と。相談しても良いものだろうか? それも彼女である玲奈に。


「…………」


 暫く無言で玲奈を見つめ、それから頭を横に振った。実際にではなく、心の中でではあるけど。


「いや、大丈夫。そこまで大したことじゃないから」

「そうなの? でも、ここ最近……いや、ここ数年はそうじゃない? 常に何かを考えている顔になってるもん」


 自分ではあまり意識していなかった。けれど、いつも一緒にいる玲奈がそう感じていたのなら、きっとそうなのだろう。

 やはり昔から一緒に居るだけあって、隠し事をするのは難しい。そのように判断した京は、素直に話すことにした。


「怒らないで聞いてほしいんだけどさ」

「うん、怒らない」

「2年ほど前からずっと、頭の中に女性の声が残ってて……」


 途端に、玲奈はスッと表情を消し去り、底冷えのするような瞳を向けてきた。


「……」

「怒らないって言ったよね⁉︎」

「うん、怒ってない。怒ってないよ」


 口角を吊り上げて笑ってはいるが、向けられる瞳はやはり笑っているとは言いがたい。最悪、背中に悪寒が走るほどの殺気を孕んでいた。

 正直、これ以上話さないほうがいいのではないだろうか?

 とも思ったけれど……


「どうしたの? 私は続きが聞きたいなー、聞かないと旅行中ずっと寝込みそー、楽しい旅行になると思ってたのにー」


 玲奈は棒読みで催促してくる。

 どうやら自分に与えられた選択は、話すということ以外に無いらしい。その一択に限ると、何処かの神様も言っている。


 一体、誰だ? そんな余計なことを言う神様は?


 京は仕方なく……いや、ありがたく言わせて頂くことにした。


「私のこと、忘れないでって言う言葉が1番頭の中に残っていて……それ以外にもいくつか、言葉が……」


 怖くて顔を見ることができない。けれど、覚悟を決め、玲奈と視線を合わせると--

 以外にも彼女に怒った様子はなく、きょとんとした表情で京を見つめていた。


「えっと……玲奈? どうかしたの?」

「え? 何?」

「いや、何か心ここに在らずというか、そんな感じの表情をしていたから」


 言われて、首を傾げる玲奈。


「心ここに在らずなのは、京のほうでしょ? 他の雌のことばっかり考えて……」


 口調が荒くなったのも気のせいでは無さそうだ。


「いやまあ、確かにそうかもしれないけど……」

「けど?」

「ずっと頭の中にあったら気にならない?」


 玲奈はうーんと、天井に視線を向けながら、顎に手を当て、考える姿勢をとる。


「確かにそれなら、わからなくも無いけどさあ。でも、それが誰なのか全く思い出せないんでしょ?」


 京はコクリと頷く。


「そうだね、全く思い出せない。でも、同じような声で色々と言われると、やっぱりそれがただ事じゃないように思えてくる」


 一度だけならそんなことも無かったのかもしれない。日を追うごとに気づいたら増えている言葉の数々を、気の所為だとはやはり思えないのだ。そしてその言葉の数々を、京は1つも忘れていない。


 京自身、勉強はできる方だが、かと言って記憶力はそこまでいいとは思っていない。小学校の低学年の頃の記憶は曖昧だし、声が聞こえるようになった高一の頃に友人たちと交わした言葉の1つ1つを覚えているか? と問われれば、それも否だ。


 再び京を見た玲奈は、普段あまり見ることのできない、とても真面目な表情へと変わっていた。


「? どうかしたの?」

「……言われてみれば私も、結構昔にそんな事があったかもしれない」

「え⁉︎」


 思わず驚いてしまい、京は大きな声を上げてしまう。


 しーっ! と。

 玲奈からお叱りを受けた後、二人でキョロキョロと視線を車内に這わせるが、人は殆どいなかった。せいぜい、イビキをかいて寝ている出張帰りのサラリーマン風の男性ぐらいだった。


「それでね。関係があるかはわからないけど、京が今実際に体験しているような、不思議な現象が身近に起こることを総じて、こう言われてるの」


 そして玲奈は真っ直ぐと京を見据え、その言葉を口にした。


「--思春期症候群」

 と。


 だが、その言葉自体に、全くピンとこない京は首を傾げて、

「それは病気か何かなの?」

 と、訊ねた。


「まあ、知らないのも無理はないよね。私たちの住む地域ではまだ、思春期症候群が起こったという噂そのものが無い訳だし」

「でも、それならどうして玲奈は、思春期症候群だっけ? を知ってるの?」


 もちろん自分の知る限りではあるが、自分たちの住む地域ではニュースにすらなっていない。ならばどうして玲奈が『思春期症候群』を知っているのか、それを京が気になるのも必然だったと言える。


「もしかしたら覚えていないかもしれないけど、今住んでる京の隣の家に引っ越す前までは私、神奈川県に住んでいたの」


 言われて、何となく出会った頃に、お互いの両親がそんなことを話していた気がしないでもない。それでも覚えていないことに変わりはないが。


「その時に知り合った子で、今もたまに交流がある友達……あっ、もちろん女の子のね。その子とこの間、電話で話した時に、通っている高校で思春期症候群が相次いだって話を聞いたの」

「それって例えば、どんな事が起こったの?」

「それはね」


 そうして語られた『思春期症候群』の事例は、どれも実際に起こったのか信じ難いものばかりだった。噂として耳にするだけならまだしも、身近で実際に起こったとあっては、その玲奈の友人もひどく驚いたことだろう。


「私も最初に聞いた時は信じられなかったんだけど、私が思うに、京の頭の中に残る女性の声は、やっぱり思春期症候群が関係しているんだと思う」


 玲奈の確信めいた言葉を聞いた京は、呆然と玲奈を見つめている。玲奈は少しだけ頰を赤く染めると、視線を窓のほうに向けて、言葉を続けた。


「……まあ、私の頭の中にも、同じように声が聞こえていなかったら、気の所為で済ませていたんだろうけど」

「え? それって……」

「事実はわからないんだけどね」


 そう言って、再び京を見る玲奈の顔は、頰が紅潮していて、とても色っぽく、それでいて可愛らしい一面も垣間見えていた。


 今もなお、頭の中にある女の子の声は消えずに残っている。恐らく一生消えないのかもしれない。それでも自分は、そのままでもいいと思えた。


 もしかしたらそれは、お互いの頭の中に残る不思議な声は、前世で2人が出逢った記憶なのかも知れないし、こことは別の世界で出逢った出来事なのかも知れないから。


 自分たちが出会ったことそれ自体は、きっと運命なのだと。

 互いに微笑み合いながら、口には出さないけれど、お互いがお互いに納得していた。










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