ep.10 事実と記憶
騎士が大広間にて片膝をついて顔を伏せている。彼の目先には玉座に腰かける男の姿があった。長い黒髪は後ろで結ばれ、白いローブと見事なコントラストを織り成している。
「姫はなんと」
「っは。アダム様の願いを叶えると仰せでした。こちらの行動もお見通しのようです」
「さすが私の姫だ。早くこの手でもう一度抱きしめたい」
アダムと呼ばれた男はうっとりとした様子で自身の体を抱きしめる。
「姫をさらに美しく輝かせるためとはいえ、あの男が姫の身体に入り込むのは気分が悪いな」
「ノアールという男のことでしょうか」
「言うまでもあるまい」
自分で想像して気分が悪くなったらしいアダムは先ほどまでの柔らかい雰囲気は何処へやら、身に纏う空気が一気に厳しいものへと変わった。
「まあよい。姫を完成させるための道具にすぎん。今は姫も少しあやつに心を揺さぶられているようだが、すぐにわかるはずだ」
アダムはまたうっとりとした表情となり、騎士に退出するよう指示を出した。
「あと少しで姫は永遠に私のエヴァになる」
指先で自身の唇をなぞりながら妖艶に笑う彼は狂気に満ちていた。
トラツグミの鳴く声が峡谷に木霊する。不気味な雰囲気が夜と共に漂い始めた。ノアールとリリーは結局橋の近くに宿を見つけられず、橋の下で過ごすことになった。
「俺たちはホームレス魔術師かっての」
「あら、ノアールは魔術師じゃないじゃない」
「それはそうだけども……ってそこは突っ込むとこじゃねえ!!」
二人はくすくす笑いながら、火をくべる。子どもが大人を切りつける事件に周期のようなものは特に見られず、不定期で発生していた。よって、今夜妖精が現れるとは限らないため二人は少し油断していた。
夜が深くなり、焚き火も消した。妖精に気づかれてはいけないからだ。秋も終わりに近づき、冬になり始めたこの季節に野宿は辛い。ノアールもリリーもお互いに防寒魔法を掛け合って眠りについた。そして、妖精は唐突に現れた。
「……して、ど……してあたしを置いていくの?ねえ、どうして」
幼い女の子の声がどこからか聞こえてくる。夢心地だったノアールはもう一度寝ようと寝返りを打とうとしたが、なぜか身体が動かない。また乗っ取られるのかとも思ったが前回のように身体が輝いているわけでもなければ、リリーと手を繋いでいるわけでもない。様子がおかしいと思い目を開けると、目の前には包丁を持った幼女とその後ろでケラケラと笑う羽が生えた人が目に飛び込んできた。後者は男とも女ともつかない容姿をしている。人目で妖精が幼女を操っていることはわかった。
「や……めろ」
「みーつけた」
妖精がまたケラケラと笑いながら幼女にキスをする。すると幼女は力を失い、膝から崩れ落ちた。
「貴様、何をした」
「しらなーい、ふふふ」
羽をパタパタと広げたり閉じたりしながら妖精はノアールの周りを飛び回る。
「みつけたみつけた。こどもよりおもしろいのみつけた」
ノアールが鬱陶しそうに顔を歪める。
「おまえのふこう、みつのあじ!!みつのあじみつのあじ」
妖精はノアールの周りを旋回するばかりで一向に離れようとしない。せめてリリーだけでも妖精に見つかってはいけないと思い、リリーを目で探すのはやめておいた。
「どうやったらみつ、すえる?うーん」
妖精は意味のわからない言葉を繰り返す。
「そっかあ!なかにはいればいいんだ!なか!」
妖精がぱあっと顔を輝かせたかと思うと、ノアールの顔にその顔を寄せた。そしてにいっと笑ったかと思うと嫌がるノアールも介せず、その唇に唇を合わせた。その途端にノアールは意識を失った。彼が最後に見えたのは満足そうに微笑む妖精だった。
ノアールが気づくとそこは懐かしい生家だった。ふと手足に目をやると四歳くらいの小さなものになっていた。不思議に思い、手を天井に翳してみていると、不意に誰かが目の前を横切った。目で後を追うと、それは紛れもなくノアールの母親だった。
「母さん!」
彼は必死に母親を呼ぶが、彼の声が彼女に届くことはない。母親は扉を開ける。扉の外には何人か人が立っており、その中心には黒いローブを着た翠色の瞳の男がいる。
「ブランシュ、我々には君が必要だ」
「私は……」
「僕と君とで作らねばならない。でないと、魔術師がただの人間に搾取される一方だ。君もそれは我慢ならないだろ?」
「それは!そうだけど……」
ノアールの母親は拳を握り締めながらちらりとノアールの方をみやる。
「私はノアールがいるし、町の人にも白魔術師として受け入れられ始めているわ……。それにこの子を置いて研究なんて」
渋る彼女にその男は両手を彼女の肩に置いて諭すように優しく言う。
「いいかい?これから僕らがやろうとしていることは世界でたった三人しかその時代に現れないとされる大魔術師のみが完成させられる古代魔法だ。その三人の大魔術師のうち二人は君と僕だ。そして、魔力量を見る限り三人目は君の息子だろう。君の息子が立派な大魔術師となる前に素晴らしい世界を創るための用意は整えておかねばならない。そうだろう?」
「ええ……」
「だから君が僕と共にきて、息子と離れることは決して育児放棄じゃないし彼もわかってくれるよ」
「……わかった」
母親は彼らに背を向け、少し大きめのトランクを手に持って服やら必需品を詰め始めた。
「行くなよ!母さん!」
「ノアール、ごめんね。母さん、ノアールのために頑張るから」
何を言っても母親は頑張るから、の一点張りで既に心を決めてしまっていたようだ。やがて母親は扉の前に立つ黒いローブの男たちと共に家を去っていった。残されたノアールは呆然とその場に座り込んでいた。
「かわいそうに!かわいそうに!」
妖精の声が聞こえる。
「でもこれがしんじつ!じじつ!」
「そんなはずは!!」
「おまえがきおく、かえた。きおく、かえた!」
ノアールは頭を抱える。
「違う!違う!母さんはあの男に無理矢理連れていかれて!」
「きゃははは、かわいそうに!かわいそうに!」
妖精はケラケラ笑っている。しかし急に真顔になって言う。
「ねえ、なんでこんなことになったとおもう?」
「なんでって……あの男が家に来たから」
「そうだよ!それでそれで、そのおとこはどんなひとみをしてた?」
「瞳……?瞳は……」
ノアールは段々と鈍っていく思考の中で男の瞳の色を思い出していた。
「翠……」
「そうだよ!みどりいろしためのひとはみーんなわるいひと。そうでしょ?」
「翠……悪い人……」
妖精はまた笑みを浮かべた。
「ためしてみよーよ。みどりいろのめをしたおんなのこがちかくにいるからさ。さあ、もどっておいで」
手招きをされ、ノアールは無意識のうちに妖精に付いていく。
そして気がつけば、現実世界へと戻ってきていた。だが、彼の思考には靄がかかったままだ。
「ほら、あそこをみて!」
妖精が指差した先にはリリーがいた。リリーは上半身を起こし、目をみはっている。彼女はノアールが母親に執着していることを知っていたため妖精につけいられる可能性が高いことを承知していたが、本人が大丈夫だと言うので信じてしまった。結局、妖精に操られてしまっている。リリーはゆっくりと立ち上がった。
「ノアール」
「翠色の瞳……」
虚ろな目でリリーを見るノアールは正気ではなかった。
「ノアール、妖精に操られてるの。気づいて」
声をかけてみるが反応はない。完全に魅入られてしまっているようだ。
「ほら、やっちゃいなよ。みにくいみどりのめだよ」
妖精はノアールの耳元で囁く。
「聞いちゃだめよ!妖精の言うことよ!」
「やる……翠の瞳」
ノアールの目が大きく見開かれたかと思うと次の瞬間には、リリー目掛けて火の玉が飛んでいた。
「ノアール……」
リリーは間一髪のところでバリアを張り、直撃を逃れたがノアールの攻撃はひとつひとつが重い。
「あなたが私の声で正気に戻らないというのであれば、力ずくで引き摺り戻すまでよ!」
リリーはノアールに水魔法や風魔法、あらゆる魔法を仕掛けるが魔力量も知識も互角なため、なかなか勝負がつかない。悲しいかな、ノアールの言っていた通り別の意味で耐久戦になっていた。
「いい加減ノアール戻ってきてよ!」
リリーは悲痛な叫び声をあげるが、妖精はそれを見てさらに楽しそうに飛び回る。
「り、リー……?」
「ノアール!!」
ノアールは苦しそうに胸を抑えながらリリーの名前を呼ぶ。
「だめだよー。とちゅうでやめちゃ。おもしろくないおもしろくない」
「妖精の惑わす魔法が切れ始めてるのね」
通常の人間であれば半永久的にかかる魔法も魔術師となればそこまで持続はしない。現に三時間程度しかもっていない。妖精の魔法の効力が弱まっている今、そのまま放置すれば元通りになることは明白だが妖精が「おもちゃ」を手放すはずがない。まだ意識が朦朧としている彼に再び魔法をかけることは間違いなかった。そこで、リリーは一か八かの勝負に出ることにした。リリーの魔力をノアールの中に一気に流し込むことによって妖精の魔法を相殺し完全に洗い流す。きれいさっぱりしたところで、魔力を回収するというものだ。これの問題点があるとすれば魔力を注ぎ込む際に『彼ら』が干渉してこないとは限らないということだった。ただでさえ『彼ら』は自分達の完成のためにノアールを欲している。この機会を逃すとは思えなかった。しかし、このままではノアールは妖精に苦しめ続けられる。リリーは腹を括り、ノアールを見据えた。彼の瞳には少しずつ光が戻り始めており、それを見た妖精は怒りだした。
「だめだめだめ!まほう、かける。もーいっかいかける!」
そう言って妖精が再びノアールにキスしようとしたところで、リリーは妖精にキスをさせまいとノアールとの間合いを一気に詰め、ノアールの唇に自分のそれを重ねた。そして重ねた瞬間に一気に自分の魔力を彼に向けて流し込んだ。この時にリリーの脳内に「姫、ありがとう」という声が響いた。しまったと思ったときには時既に遅し。『彼ら』も魔力と共にノアールの体内へと入り込んでしまったのだった。
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