ep.8 報酬と純白

 月明かりが差し込む窓辺。その窓を背に鏡の前に立つ少女が一人。片目を抑え、今はアメジスト色をした左目だけが世界をみている。


『上手くやっているようね』


にぃっと口の端だけをあげて笑う少女。その少女に対して答える者はその少女のみ。


「……はい」

『その調子よ』

「……はい」

『もうすぐであなたは苦しみから解放される。私も息子に会える』

「……」

『私たちも解放される。この積年の恨みから』


少女が右目を抑えていた手を話すと今度は穏やかな口調で男が言った。


『僕を含めて皆、姫に期待しているのだから』


それを最後に少女のは消えた。彼女は小さくため息をついた。着々と進む計画に少女の苦しみは増すばかりだった。


心地よい声が少女の名前を呼んでいる。まだ夢から覚めたくない。身体が起きることを拒んでいるのを彼女は感じていた。しかし、ずっと寝させておいてくれるほど声は優しくはなかった。


「リリー、いい加減起きろ!!」


布団を剥ぎ取られ、ようやく瞼を開けたリリー。朝日の眩しさに思わず目を細める。


「二度寝は厳禁。ほら、朝食食べるぞ」


ノアールが部屋を出ていくと、上半身を起こしたリリー。そんな自分が写る姿見を彼女はぼんやりと見つめたあと、意を決して布団から這い出た。


「イングリッシュマフィン!!美味しそうです」


半熟卵とベーコン、そしてレタスが挟まれたイングリッシュマフィンを紅茶と共にノアールがテーブルに用意した。


「紅茶もイングリッシュブレックファストにした。癖がない味だから合うはずだ」


リリーが「いただきます」と言ってから一口齧りつき、紅茶を飲む様子を少し緊張した面持ちで眺めるノアール。リリーは顔を綻ばせながら「美味しいです!」と言うと安心したようにノアールも食べ始める。これが彼らの朝食での日常的な光景だった。


「今日は報酬を貰いにいく。その後にその金で服でも買おう」

「どうしてです?」

「白は目立ちすぎる」


そういうものですか、と言ったあとにわかりましたとだけリリーは答えた。彼女が持っている服は逃げてきた際に身につけていた白いワンピースだけだ。今ではそれも少し埃っぽくなり、純白とは言いがたくなっている。


「ご馳走さまでした」


リリーが流し台に食器を持っていくとそれらを洗い出した。ノアールも後からやってきて流し台に食器を置いた。ついでだからとそれも彼女が洗った。


「食器ありがとな。午後に来いってジェイクは言ってたよな」

「はい」

「それまで、今後の作戦でも練るかー」


ノアールは椅子を引き、机の上に両足をガンっと言わせながら置いた。ブーツの先が机の上でぶらぶらと動いている。


「二ヶ月先にはここを出ないとダメ。その前に敵のアジトとかがわかれば最高なんだけど……って、リリー!」


突然名前を呼ばれてびくりと動いた肩が動いた彼女は食器を拭く手をとめてゆっくりと振り返った。


「はい?」

「リリーはまさにアジトにいた人間じゃないか!」

「ああ、そういえばそうですね」

「場所はわかるか?」

「場所……」


リリーは考える素振りを見せたがすぐに首をふった。


「私はアジトはアジトでも別の空間に閉じ込められていたので普段彼らが本拠地としているところにはいなかったと思います」

「そうか……そうだよなあ」


ノアールは両腕を頭の後ろに回し「さあ、どうすっかなあ」と考えている。


「彼らに復讐するおつもりですか?」


彼の足がぴくりと止まる。


「……だとしたら?」

「え……と、それは……」

「俺だってわかってるんだよ、本当は。復讐なんて何の意味もないこと。母さんがそれで帰ってくるわけじゃないってことも」

「お母様?」

「ああ」


ノアールはそこで口を閉ざしたが、ポツポツと彼の過去を語りだした。


「俺の母さんはこの辺り一体では有名な魔術師だったんだ。名前はブランシュ。治癒魔法が得意で名前も『白』を意味するから白魔術師とも呼ばれていた。俺にとっては母さんが世界のすべてだった。父親は物心ついたときには既にいなかったからな。二人で幸せに暮らしてた。だけど、ある日アイツらがやって来た」


ノアールは手に力を込めすぎて皮膚の色が白く変わっている。


「俺はまだ幼かったから詳しいことは覚えてないけど、母さんについてこいと言ってることはわかった。母さんは当然拒んだが、どうやら母さん以上に力の強い魔術師がアイツらの中にいたみたいだ。母さんは力ずくで連行された。そいつの目が翠色をしていたことは俺の記憶にはっきりと刻まれている。黒いフードから覗く、あの瞳を」


リリーは無表情のままノアールの話に耳を傾ける。


「それ以来、母さんは帰ってきてない。生きているか死んでるかもわからないが、死んだと思うようにしている。その方が気が楽だろ?ただ、俺の人生を滅茶苦茶にした代償を払ってもらわないと俺の気が済まねえんだよ」

「……お母様がいなくなった後、どうやって生活を?」

「レオンハルトに会ったの覚えてるだろ?」

「ああ、あの人」


リリーの顔があからさまに不機嫌そうに歪められる。


「ははは、そんなに嫌ってやるなよ。嫌味なやつだが根はいいやつなんだって。……俺はレオンハルトの父親、レオナルドに町をぶらついていると拾われた。何も飲まず食わずで酷く衰弱しててな、憐れに思ったあのじいさんが俺を拾ってレオンハルトと同じ息子のように育ててくれたんだ。それが俺が4歳の時だ。それから十一年間じいさんの世話になって、十五のときに何も言わずに家を出た。白魔術師が二つ隣の町で目撃されたという情報を得たんだ。じいさんは情報屋を営んでたから、たまたまじいさんの部屋に入ろうとしたときに情報交換の場に居合わせて聞こえたんだ。それで居ても立ってもいられなくなって出ていった。本当にバカだった」


当時を懐かしむように語る。


「結局白魔術師の目撃情報はガセネタで根も葉もない噂だった。何も言わずに出ていったものだから素知らぬふりをして帰ることもできなくて、結局そのまま魔法や剣術を磨いてフリーランスの魔導剣士になったってわけ」

「クロナさんやジェイクさんとは?」

「クロナは俺とレオンハルトの幼馴染みだ。実は一つ年下なんだが、あいつは俺には全く尊敬の意を示さないのにえらくレオンハルトのことは慕ってんだよ。見ただろ?」


リリーはこくこくと頷いた。


「まあ、可愛い弟みたいなもんだから、別にいんだけどさ。……ジェイクは俺の兄貴みたいなもんかなあ。俺がこの町でじいさんに世話になり始めた頃に例の酒場を始めてな。たまに手伝ったりしてたから知ってたんだ、色々と」


過去を洗いざらい話してすっきりしたのか伸びを一つして、リラックスした表情になったノアール。そのまま彼は続けた。


「俺が暴露したからってリリーに過去を明かせなんて強要するつもりはねえよ。俺が話したくなって話し出したことだしな。喋りたくなったときに喋ればいい」


リリーが「ありがとう、ございます」と言い終えるか言い終えないかぐらいのタイミングで思い出したようにノアールが被せてきた。


「ところでリリーはいくつなんだ?」


リリーが持っていた布巾をノアールに投げつけたのは言うまでもない。


 報酬を受け取るためにジェイクの元を訪れた二人。扉を開けようとしたところで中の異変に気付き、そっと開けて中の様子を覗き見た。すると、なんと魔術師協会の魔術師たちが五名ほどいるのが確認できた。


「突然の訪問失礼する」

「そう思ってんなら出てってくれねえかな?出口はあっちだぜ」


ジェイクがノアールたちのいる扉の方を指す。


「こっちだって夜の準備で忙しいんだ。あんまり居座るようなら営業妨害でサツに突き出したっていいんだぜ?魔術師はあんま歓迎されてねえからな」


リリーはさっと顔色を悪くした。ノアールはそれに気付き、彼女の背中をさすった。


「事実だが、畏怖の念を抱かれているだけだ。魔法を使えるのが一部の者だけだからな」


リリーはほんの少しだけ安心した表情を見せた。


「我々としても一刻も早くここを退去するつもりだ、あなたが我々にさるお方がどこにおられるのか、その情報を提供しさえしてくれればな」

「人にものを頼むときの姿勢がなってねてなあ。母ちゃんに習わなかったのかあ!?」


ジェイクが握りしめた拳をバーカウンターに思い切り打ちつける。ゴンッという鈍い音に魔術師たちは少し怯んだようだ。


「いいか。礼儀のなってねえやつに与える情報なぞ何もねえ。てめえの母親の胎内に戻って生まれ直してから戻ってこいや!」


ジェイクの鬼の形相に恐れを成したのか魔術師たちは舌打ちをしながらも転移魔法でその場から消えていった。


「盗み見してないで、入ってこいよ。お前らのために追っ払ってやったぞー」

「なんだ、バレてたのか」

「扉を指差したときに若干開いてるのが見えてな。大丈夫だ、あいつらは気づいてなかった」

「だといいんだけど」


ノアールはゆったりとした足取りでジェイクの元まで行った。


「ほらよ、報酬」


ノアールとリリー、それぞれに金貨五枚が入った麻でできた袋を投げる。


「恋人じゃねえって前にノアールが断ってたから平等に報酬は分けといたぜ。調整はあとでしてくれ」

「ありがとな」

「ありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとよ。また次も頼むわー!」

「おう」


ノアールは「初仕事完了だ」と言ってリリーの肩に手を置いた。そして、手をひらひらと振りながらリリーと共に去っていった。


リリーは先程から難しい顔をして黙り込んでいる。ノアールはそれに気がついているが何も言わず、とある店の前で足を止めた。


「リリー、着いたぞ」


リリーははっとして顔をあげた。そこには女性用の服がずらりと並んでいる商店街の一角にある服屋だった。


「念のためジェイクの店を出る前にリリーとわからないように魔法をかけといたからアイツらにはバレないだろう。安心していいぞ」

「いつの間に……」

「手を肩に置いた瞬間があっただろ?あのときにちょっとな」

「気づかなかったわ……」

「お、敬語がとれてきたな。良い傾向だ。あ……!直さなくていいぜ。その方が気楽だからな」


ノアールはそのまま堂々と服屋へと足を踏み入れた。リリーも慌てて後を追って入店した。


「うわあ、素敵なところです……ね……」


敬語を使ったことでノアールに睨まれたリリーは語尾が尻すぼみになっていった。


「すみません、この子に似合う服を適当に何着か見繕ってくれませんか」


ノアールが店内にいた適当な店員を捕まえて注文する。頼まれた店員はぽっと頬を赤く染めながら「畏まりました」と言ってそそくさと店の奥へ引っ込んでいった。


彼女が消える前に一言ノアールが耳打ちした内容がリリーは気になって仕方がなかったがすぐにわかることとなる。


「すごい!綺麗!生まれて初めて白以外のワンピースを着るわ!」


リリーが目の前に並べられた若草色のワンピースを見て興奮気味に言う。


「さっき耳打ちしてたのってこのことだったのね!ねえ、そうでしょ?ノアール!!私の片方の瞳の色だわ!!」


あまりにもキラキラと笑うのでノアールは眩しそうに目を細めた。


「無言は肯定ね。ふふふ、どれにしようかなあ」


リリーはあれこれ手にしながらも鏡の前で自分の体にあてては確かめていく。その間ノアールはずっと考えていた。なぜこの少女が真っ白な格好をしていたのか。白といえば純潔を表し、花嫁衣装やその他の儀式などに多用される色だ。もしそういった意味合いが今彼女が着ている服にあるのだとすれば……一体魔術師協会は何をしようとしているのだろうか。


「ノアールはどれがいいと思う?」


リリーに声をかけられ、慌てふためいたノアールは一番真っ先に目に入ったワンピースを指差した。


「これかー。これもいいと思ってたの。ますます迷っちゃう」


彼女は三着ほどを見比べながらうんうんと唸っている。


「じゃあ、この三着ください」

「ノアール!?」


ぎょっとしたようにリリーは振り替える。金銭感覚などないリリーだが、ここに置かれている服たちが高級品であることは理解していた。


「どうせ三着は必要さ。女にしたら少ないくらいだ。本当はもっと買ってやりたいが今回はこれで我慢してくれ」

「我慢なんてそんな……あ、私のお金で」

「いい。俺が買いたいんだ」


なんでかそう思うんだ、と付け足しその場で店員にお金を渡した二人は紙袋を手に家に帰宅した。

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