ep.6 昔話と憑依
家に帰った二人は新居で眠り、翌朝になると作戦会議を行った。
「妖精の怒りを鎮めるためには一体どのような妖精がそこにいて、どういう経緯でこの土地に住み着いているのかを知らなくてはなりませんね」
「どういう経緯と言われてもなあ。俺は昔話しか知らねーし、あれは妖精ってもんなのかビミョーだし」
「ああ、ジェイクさんが仰ってた耳にタコができるほど聞かされたというお話のことですか?」
「そうだ」
「話してくれませんか?」
「少し長くなるが……」
ノアールは机でリリーと向かい合ったまま話始めた。
昔々、森深くに美しい少女が住んでいた。その美しさは近隣の村に知れ渡るほどだった。当然のことながら村の男たちはその少女を手に入れることに血眼になった。上質な布でできたドレスや、炭鉱でとれたダイヤモンドなど、考えつく限りの贅沢品が彼女の家に届けられた。しかし、彼女はそのどれにも心動かされることはなく、寧ろ贈り物が小さな家に増えていく度に憂鬱な顔をする一方だった。
そんな娘の様子に心を痛めた両親は付添人を雇って二つほど山を越えた先にある祖母の家で休養をとらせることにした。そしてその道中に少女は付添人と恋に落ちた。常に少女の身体を気遣い、体調が良くないことに気づくと薬を調合したり、その症状に合った食事を作ってくれる彼は、今までの男たちと全く違うと感じたからだった。
祖母の家から帰宅するまでに二人は恋人になっていた。二人は幸せに過ごしており、結婚も間近だと噂されていた。だが、悲劇がやってくる。なんと、彼女たちが祖母の家に滞在しているときに王子がお忍びで祖母の家がある町にやって来ていたらしい。そこで少女に一目惚れした王子は国力を駆使して調べあげ、彼女に求婚したのだ。運の悪いことにその王子は第五王子で王室からしてみれば結婚相手が庶子でも経歴に傷がなければ誰でも良かった。王室からの求婚を断れるわけもなく、少女は王室に輿入れすることになった。
少女が王子に嫁ぐ前の最後の夜、恋人同士の二人は森深くで最後の密会をしていた。泣き止まない少女を青年は抱きしめながら宥めた。これ以上泣いても青年を困らせるだけだと考えた少女は泣き止んだ。そして、二人は最後のキスを交わして別れた。
王子に嫁いで暫くした頃、青年に会いたくて堪らなかった彼女は両親に会いたいという口実で里帰りの許しを得た。嬉々として帰宅した娘を喜んで迎えた両親だったが、その様子はどこかよそよそしかった。どうしたのかと問いただすと、青年は少女と別れた後、その場で首を吊って自殺していたという話を聞かされた。あまりのショックに家を飛び出した彼女は彼と最後に会った場所、彼が息を引き取った場所へと向かった。そこには何も残っておらず、そのことが少女に青年がこの世界にいないことを知らしめるように思え涙が溢れ落ちた。止まる気配のない涙はどんどん地面に溜まっていき、やがて湖を作るほどにまでなった。
今の湖が輝いて見えるのはその少女の純情がそのまま溶け落ちたからだと言い伝えられている。
「……ってな感じだ」
「とても興味深いお話です」
リリーが答える。
「長いお話をありがとうございました。一つ合点がいったことがあります」
「何だ?」
「橋が壊されたのは妖精のせいではないということです」
「というと?」
ノアールがリリーの方へ乗り出す。彼女は少し後ろへとたじろぎながら続ける。
「きっと亡霊の仕業です」
「亡霊の?」
「はい。間接的には妖精かもしれませんが、橋を壊したのは亡霊でしょう。ずっと、怒った妖精が橋を壊したというのが腑に落ちませんでした。なぜなら妖精は直接手を下しません。人の心を惑わせて操ることにより快楽を得る、そういう存在です」
「なるほど」
顎に手をあててノアールが推測を述べる。
「リリーの話を全面的に信じるとなると、亡霊となっているのは『少女』の方か」
「いいえ、そうとは限りません。『青年』も報われてませんからね。楽しそうな若者を見るとどうしても恨んでしまうのでしょう」
「じゃあ、解決するにはどうすればいいんだろうか」
「亡霊なので成仏させるのが妥当かと」
「成仏か。二人が一緒になれたらいいんだが……なんせ何世紀も前の話らしいからなあ」
リリーは少し考えた後に「妙案があります。試してみてもいいですか?」と言った。
早いものでリリーとノアールが出会ってからもうじき一週間が経とうとしていた。二人は今依頼を受けている深緑の森の奥深くの湖にいた。夜空に輝く星々を写す水面が美しい。
「本当にこれでいいのか?」
ノアールが硝子のコップいっぱいに酌んできた湖の水をリリーに渡す。それを受け取った彼女は湖からそう遠くない、一番幹が太い木の下まで歩み寄った。そして、その木から二枚葉を摘むとその葉の上にコップから水を少し垂らした。
「はい、これで大丈夫です。私の身体を少女に乗っ取らせます。次にノアールさんの身体に青年を。こうすることで再会できるはずです。これで成仏できるかはわかりませんが、最期に会えなかった二人が再会できれば成仏できる可能性はあります」
木と湖を交互に見つめた後にリリーは言葉を続けた。
「ノアール、こっちに来てください」
ノアールは言われるがままリリーの傍まで近寄った。「ノアールはこれを持って」とリリーに手渡された湿った葉をノアールは掌に乗せた。
「その湿った部分を唇に押しあててください。こんな風に」
リリーは湿った面を自らの唇にあてた。ノアールもそれを真似る。彼が同じ動きをしたのを認めたリリーはノアールの手を握ってから目を瞑り何かを念じ始めた。すると、まずはリリーの体が金色に輝き始め、続いて頭上の木、湖、最後にノアールもその光に包まれた。
「これは……」
ノアールが辺りを見渡していると、リリーが目を開いた。彼女の瞳がオッドアイではなく、琥珀色に変わっており、宝石のような輝きが失われていた。様子のおかしいリリーに向き直ろうとしたところでノアールは金縛りにあったように動けないことに気がついた。首から上しか動かすことができない。
「なんだ、これ……!!」
『フフフ、それは私の台詞よ』
急に脳に響く声が聞こえてきた。再びリリーの方へと目をやると彼女の目がつり目に変貌し、ふらふらと頼りなく身体を揺らしているのが見えた。
「お前……リリーじゃないな」
『正解。私はフィオナ。ずっと、アベルと結ばれる日を夢見ていたのに……。それは叶わなかったのに……。どうして他の若者は楽しそうに生きてるの?ねえ、どうして?私の容姿が少し優れてるからって神様は私の大切なものを全部奪うの?いいえ、奪ったのは神様じゃないわ……そうよ、人間よ。人間を呪わなきゃ。フフフ』
リリーの読み通り、フィオナは湖の亡霊であり、妖精ではないようだ。妖精の目印である羽が背中から生えていないのがその証拠だ。
「人を呪わば穴二つ…ってフィオナさんもご存知だろ?呪ったところで……ああっ!!」
何かが身体に流れ込んでくる気持ちの悪い感覚がノアールを襲う。どんどん声も出せなくなっていき、意識が混沌としてきた。ああ、リリー。ノアールは完全に意識を失う前に彼女の名前を乾いた唇に乗せて掠れた声でなぞった。
湖の前で二人の男女が向き合っている。辺り一体同じような淡い金色を放っており、その男女の体も光っている。女の瞳は琥珀色だが男の瞳はアメジストのままだ。人の生命を感じさせる輝きは両者ともにない。
『フィオナ……?』
男が信じられないものを見るような目で女の方を見る。女もまた同様に男を同じ目で見た。
『アベル……やっと会えた』
その言葉に弾かれるようにして二人は走って距離を詰め、固く抱き合った。
『私、あなたが首を吊ったと聞いて、あとを追ったのよ』
『可哀想なフィオナ』
アベルがフィオナの頬を右手の甲で撫でながら言葉とは裏腹に嬉しそうな顔をした。
『僕は君がいなくなるくらいなら、死さえ厭わなかった。あれは名誉ある死だといまでも思っているよ。君への忠誠を誓えた瞬間だった』
『それは私だって同じ!あなたがいない生活は死よりも苦痛だった……愛してもいない王子の傍で愛を囁かれるだなんて。だから私も死を選んだのよ』
フィオナは頬を撫でるアベルの手の上に自らの手を重ねた。
『ああ、この手。この手が私の触れてほしかった手よ。愛しいアベル』
フィオナとアベルはかつてのように見つめ合った。そして引かれ合うようにその唇は近づき、最期の日のようにキスをした。うっとりした目でアベルはフィオナを見た。
『もう誰も僕たちを邪魔できない』
『行きましょう』
『君がいればこの世界にはもう用はないんだ』
二人は手を繋ぎ、湖の中へと消えていく。彼らの体が完全に湖の中に消えた時、辺りの光が一層強まった。そして、湖にすべての光が集まったかと思うと、一点に集中しやがて弾けた。もう二人の邪魔をするものは何もない。羽を生やした人型の何かが残念そうな顔をしながらその場を去っていった姿を見た者もいない。
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