ep.5 始点と依頼

 レオンハルトから受け取った封筒には不動産の契約書と鍵、そして地図が入っていた。彼は本当に二ヶ月しか持たないと思っているらしい。契約期間はたったの二ヶ月間だった。地図を頼りに家まで行くと、町の中心からそう外れていない、しかしそこまでは人目に触れないような場所にひっそりと立っていた。一軒家だ。


「昔からあいつは喰えない奴なんだ。許してやってくれ」


鍵で扉を開け、リリーに先に入るように促すと彼は先ほどのことをリリーに謝罪した。


「別に気にしていません。先程はつい噛みついてしまいましたが、彼には彼の人生があり、ああなってしまったのでしょう。私は許しますよ」


完全に根に持ってやがるじゃねえか、とノアールは思ったが口には出さないでおいた。火に油を注ぐようなものだからだ


「それはありがたい。どうやら俺がこの町を留守にしている間に相当上り詰めたらしい。……まだ俺と同じ22のはずなんだけどな」


先程のレオンハルトの格好を思い浮かべているようだった。


「あの制服はこの国の王家に仕える者のみに着用が許されているものです。体つきを見る感じではあまり肉体派には見えませんでしたし、掌に剣だこはありませんでした。それに右の中指にペンだこもありました。つまり、頭脳派です。軍の中でも参謀といったところでしょうか」


リリーがすらすらと推測を話すとノアールは驚いた。


「リリーの言う通り、あいつは参謀にいる。さっきクロナが教えてくれたんだ。詳しく何をやっているかは軍事機密らしくて教えてくれなかったが……。たった一瞬でそれだけ見抜いたのか」

「別に暇すぎて人を観察していたら身につけただけです」


無表情のまま言うリリーを黙ったまま見ていたノアールは一息ついたのち、話題を転換した。


「この家、いいな。たった二ヶ月なんて勿体ないくらいだ」

「ええ、本当ですね。中庭に可愛らしいデイジーも咲いていることですし」

「ああ」


二人は玄関を抜けて、リビングに面している中庭を見つめなから言った。平屋で部屋は三つ、その他にはリビングと風呂場、そして中庭がある。


「リリーはここ。俺はその隣のこの部屋だ。何かあれば呼びに来てくれ」


彼は扉までリリーを送ると、自分の部屋へと向かった。暫く部屋を歩き回る音がしていたが、すぐに部屋の扉が閉まる音がした。開けっ放しにされていたリリーの部屋の前を戦闘服に身を包んだノアールが通る。


「どこに行かれるのですか?」


リリーがベッドの縁に腰かけながら、ノアールに声をかける。


「魔導剣士としての仕事。生活費は稼がないとな」

「なら、私も付いていきます」

「でもリリーは魔法使えるのか?剣や飛び道具は筋肉のつきを見る限り扱えなさそうだし、魔法がないと戦えないし……」

「どうしてそう思われたのですか?」


彼女は不服そうに唇を尖らせながらふと手を挙げて目の前で指揮棒を振るように動かした。すると、彼女から少し離れた位置にあったカーテンが勝手に閉まった。


「無詠唱……」

「ノアールも無詠唱でしたね」


リリーは閉めたカーテンをそのままに勢いよくベッドから立ち上がった。無詠唱で魔法が使える者は相当珍しい。王宮お抱えの魔術師はたくさんいるがそのなかでも王族直属の魔術師になれるほどだ。


「つまり、私もノアールと同程度には魔法が使えます」


ふふふと笑うリリーはやはり女神にしか見えなかった。


二人は『ジェイクの墓』という看板がでかでかと掲げられた酒場の中へと入っていった。今は昼間なので酒場はだ。


「よお、ノア。七年ぶりに帰ってきたんだってな。クロナが言ってたぜ」


酒場に入るなり坊主、左耳にピアス、そして右腕にはタトゥーが入った厳つい男がノアールに近寄ってきた。


「そこの別嬪は彼女か?片隅にもおけねーなあ」

「よ、ジェイク。クロナってば相変わらずお喋りなやつめ。彼女は彼女じゃねえよ」


ノアールは呆れながらも嬉しそうだ。


「リリー、こいつはジェイク。ここの酒場の店主だ。昼は俺みたいな魔導剣士や旅人に仕事を紹介する紹介所、夜は酒場って具合だ」


「よろしくな、リリーお嬢さん」とジェイクはウィンクをして見せた。リリーも微笑みながらよろしくお願いします、と返した。


「さて、紹介も終わったところで、仕事を紹介してほしいんだけど、この辺で良いのないか?」

「お、それなら今朝いいのが入ったんだぜ。確か……」


ジェイクはバーカウンターの下の棚から分厚い台帳を取り出しペラペラと紙を捲った。


「あった。これだ」


台帳のとあるページを開いてノアールとリリーの方へと差し出した。


「深緑の森……怒れる湖の乙女」

「この深緑の森の奥深くにそれはそれは美しい湖があるんだ。その湖に、水の妖精が住んでいるらしい。俺は見てないからよくわからんが、とにかく美しい女の妖精なんだそうだ。ノアールは知ってるだろ?あの昔話。この町の俺たち世代なら耳にタコができるくらい聞かされるからな。あれがただの話じゃなくて本当だったかもってさ。しっかし、最近はその話も忘れられちまって若者が夜な夜なそこでパーティーやらなんやらでどんちゃん騒ぎをするやら、ほら恋人同士の夜の触れ合いやらを堂々とやるもんだから……」

「妖精が怒ったのか」

「そういうことだ」


ジェイクはため息を吐きながら続ける。リリーは一人、納得がいかない様子だ。


「まったく、若者ってのはなんでこんなやんちゃなのかねえ」


ジェイクは愚痴のあとに鋭い目付きに変わった。


「わりと被害は深刻だ。この辺りの水は全部その湖から伸びる水路によって確保されている。怒った妖精がその水路を三つのうち二つも壊しちまった。修復にはかなり時間がかかる。干ばつの被害がちらほら挙がってきている」


「そこで、だ」とジェイクは依頼表を台帳から引き剥がしノアールに手渡した。


「妖精の怒りを鎮めて欲しいってのが依頼だ。A級クエストだから報酬は弾む」

「ふーん、どうやって怒りは鎮めるんだ?」

「それがわかってたら誰も依頼なんかしねえだろ」


ノアールはそうだったと笑い、依頼表を見つめた。


「金貨十枚か……」

「普通に過ごせば二ヶ月は持つ額だな」

「よし、のった」

「じゃあ、その紙は持っていけ」

「ありがとう」


彼はそう言って、紙を丁寧に折り畳み服の内ポケットに仕舞った。


「じゃあ、またな。リリー行くぞ」

「はい」


ノアールのあとに続いてリリーは酒場を後にした。


「あの、」


リリーが先を歩くノアールに声をかける。


「依頼にクラスがあるのですか?」

「ああ、教えてなかったな。全部で四ランクある。最低ランクがC級で最上がS級だ。S級なんてものは滅多にない。大抵は国家や政治が絡んでるからな。お抱えの騎士団ではどうにも手に負えないときに現れるのさ」

「今までにS級をこなされたことは?」


その問いにノアールの足が止まる。リリーも一定の間隔をあけて止まる。


「……ある、一度だけな。でも失敗した」


吐き捨てるように言うと彼は再び歩き始めた。リリーは聞くべき質問ではなかったと少し後悔していた。

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