ep.3 回答と出発
なかなか答えないリリーに焦れてノアールは真っ赤な顔で頭をかきながら早口に捲し立て始めた。
「拐われないかって既に拐われてますけどって話だよな。違うんだ、誤解だ。あれ、誤解ではなくこれは誘拐なのか?いや、でもこれは保護じゃないか?うん、そうだこれは保護だ。だから……」
「はい、私はノアールに拐われます」
リリーがにこにこと微笑みながらこてっと首を不思議そうに傾ける。ノアールの脳裏に女神の微笑みとはこのことかという考えが過ったがすぐに我に返った。
「じゃ、じゃあ決定ってことだな。よろしく」
ノアールが差し出した手を今度は迷うことなくリリーは握り返した。
ノアールが仮宿だと言っていたように宿を発つためにすぐに彼は身支度を整えた。リリーの追手は相当優秀な魔術師で構成されている組織だということはノアール自身がよく知っていた。この宿が割り出されるのも時間の問題だとわかっていたので彼はここをすぐ発つことを決めていたのだ。
リリーは着の身着のまま逃げてきたため特に持ち運ぶものはない。ノアールの簡素なトランクには魔導書とメモ帳とペン、方位磁針に水筒、少しのお金と替えの下着くらいしか入っていない。二人が宿を後にするのはあっという間だった。滞在していた町を出る前にノアールはリリーに白いサンダルを買い与えた。丁寧に汚れない魔法もかけて。
次の町は徒歩では少し時間がかかりすぎるため、馬を一頭借りることにした。鞍の上は不安定で走る度にお尻が痛む。少し辛そうな表情を見せるリリーに緩衝効果のある風魔法をノアールはかけた。すると、彼女は魔法に気づいたらしくさっとその陶器のような白い頬に赤みを差しながら「ありがとう」と小さく呟くのだった。
二日ほど馬を飛ばすと見えてきた町は全ての屋根の色が赤褐色で統一された美しい町並みだった。漆喰の壁も青空とのコントラストを成して素晴らしい。思わず「ほう」っとリリーの口から感嘆の溜め息が漏れた。
「この町は世界でも指折りに入るほどの美しさを誇る町だ。こういう状況でなければリリーを案内してやりたいんだけど、今は時間がない。馴染みの知己の元へ直行しよう。馬ではここからは行けないから放してやろう」
ノアールがひょいっと馬から降りるとリリーに向かって手を伸ばした。彼女もノアールの手に手を乗せ体重をうまく移動させながら馬から降りた。馬は一度嘶くと踵を返して元来た道を帰っていった。
「あの馬には帰る場所があるのですね」
リリーのぽつりと呟いた独り言にノアールは聞こえなかったふりを決め込んだ。
ノアールは地図を見ることもなく確かな足取りでとある場所へ向かっていた。何度も角を曲がり、坂を上ったり下ったりでリリーには最早自分がどこにいるのかすらわからなくなっていた。混乱を極めた直後、突如として彼の足が止まった。ただひたすらに無言でついていっていたリリーは危うく彼の背中に正面衝突しそうになったが足を踏ん張ることで辛うじて回避した。
「ここだ」
ノアールがリリーを振り返りながら目の前にある建物を指す。だが、しかしそこはあばら屋にしか見えず、ここに人が住んでいるとは到底思えない。困惑したリリーの表情を見てノアールは笑い飛ばす。
「安心しろ、ここはシュナゴゲー(集会所)であって人が住んでいるわけじゃないからな」
リリーがこくこくと頷くとノアールはあばら屋の扉を三回ノックした後に口笛を二回鳴らした。すると、扉越しに「今日の天気は?」と尋ねる声が聞こえてきた。リリーが思わず天を仰ぎ見るとどんよりとした雲が広がっており今夜にでも大雨になりそうだった。にもかかわらず、ノアールは「晴天」と答えた。そしてぎいっという今にも壊れてしまいそうな古い扉が開く音を聞いて、今のはただの合言葉だということに気がついたリリーだった。
開いた扉のなかに足を一歩踏み入れると、途端にクラッカーの音があらゆる方面で弾けた。パーン、パーンという破裂音が心臓に悪い。生まれて初めてクラッカーを見たリリーはポカーンと銀テープが空を舞う様子を子供のように眺めていた。
「おっかえりーーー!!ノアール!!待ってたよ!!」
二階の梁から小柄な男がノアール目掛けて飛んできた。ノアールはそれをひらりと躱すとその男はスタッと無駄のない動きで着地した。
「なんだよー、冷たいなー。七年ぶりの再会なのにもっと喜んで愛の包容を……!!」
何やら熱烈に語っているようだが、ノアールはそれを一切無視して用件を述べた。
「クロナ、じぃさんに会いたいんだけど」
クロナと呼ばれたその男はぴたりと動きを止めた。そして目を伏せて答えた。
「レオナルド様なら去年お亡くなりになられたよ」
リリーはノアールの方を見たが特に悲しんだ様子も見せずに「そうか」とだけ呟いた。
「でもレオナルド様の息子さんがあとを継いでる。会うかい?」
ノアールが少し嫌そうな顔をしたのち、「頼む」と言うとクロナは奥の扉の取っ手に手をかけた。彼が詠唱を始めると扉は淡い光を放ちだし、クロナが手を離すとひとりでに扉が開いた。
「さあ、ようこそ。『レオ』へ!」
リリーは扉の先から溢れでる眩い光に目を細めた。ノアールはどこか懐かしそうな笑みを浮かべていた。
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