笑顔
「足立さ~ん。ちょっとこっち向いてください」
さっきまで鼻歌を歌っていたミューが少し冗談っぽく言ってきた。
そのことがものすごく引っかかるが、無視したらやかましいから仕方なく振り向く。
瞬間、ミューの指が俺の頬をつついた。
つつく、というか俺が振り向いたことでつついてしまったって感じだ。
「……何の真似だ?」
それを見てミューはおかしそうにクスクス笑う。
「見事に引っかかりましたね~」
楽しそうにニヤニヤしやがって。
何がそんなに楽しいんだ?
「なんでそんなことした?」
「意味なんてありませんよー。ただ何となくです」
ミューは歌ったり話しかけてきたりする以外にも、俺にこうしてちょっかいをしたりする。
そのたびにミューは楽しそうに笑い、俺は呆れながらも何となく落ち着くような、安心感のような。
そんなものを感じていた。
それが日常、いつものことだからだ。
だが旅を続けていくにつれ、色々とあちこちにほころびが出るように、ミューにも若干変化が現れるようになってきた。
それが現れたのはとある夜のこと。
「足立さん、もう寝ますか? いつもみたいに何か曲でもかけましょうか?」
「そうだな。頼む」
無くても寝られるんだろうが、あった方が寝つきがいい。
前にミューがいってたヒーリングミュージックとやらのおかげだ。
ミューはよく音楽には力があるとか言ってたけど、今ではそれがよく分かる。
「では流しますね」
俺は目を閉じ、深く息を吐いた。
綺麗で心が落ち着く音楽が流れる。
ザザッ……ガザ……
そんな音がなぜか聞こえた。しかもそれっきりじゃなく連続して。
何かが近くに? いや、それにしては違和感がある。
物音、というよりノイズみたいだった。
「ミュー、何か変な音が聞こえるがどうした?」
俺が目を開けて呼びかけるが、ミューはぼーっと何かを考えているみたいに反応しない。
こんなこと今まで無かった。
漠然としたぞわぞわしたものを感じる。
「……ミュー? 大丈夫か?」
「……え?! ああはい! 平気です! でも……。すみません、どういうわけか音楽を流すとちょっとノイズみたいなのが混じるんですよね」
やっぱりあの音はミューのものだったか。
ミューは首をかしげながらヘッドホンを触っている。
すると何か思い浮かんだようにハッとし、また曲を流し始めた。
それは今まで聞いた曲でもかなり古そうな雰囲気の曲だった。
「かなり古い曲か?」
「はい。『かなりや』という曲です。古い曲なのでこうしてノイズが混じってると何だかそれはそれで雰囲気が出てると思いませんか?」
ミューは得意げな顔をしながらそう言うと、かなりやのメロディーに合わせて歌いだした。
雑音は相変わらずだが、たしかにミューの言う通りその音まで曲を構成する音の一つのように思えてくる。
しばらく聞いてるうちにミューは歌い終え、どうでしたか? と俺に聞いてきた。
「ミューの言う通り、それっぽくなってたな」
「ですよね! よく思いついたと思いませんか?」
「たしかにな」
ミューは嬉しそうな笑みをみせる。
さっきは少しぼーっとしてて驚いたが、この調子なら別に問題ないのだろう。
「ああでも、寝る時に歌ってたら邪魔ですよね。それにこの曲にはあってましたけど、寝る時の曲にあうかというと……」
「別に無理して流さなくていいぞ」
ミューは少し残念そうにしている。
いつも俺のために曲を流してくれてたもんな。
俺はそばで座っているミューの手をなんとなく握った。
「……足立さん?」
「代わりだ」
ミューの表情がほころぶ。
上手く歌えた時と同じくらい、嬉しそうに。
今までどうしてこうしなかったのだろう。
もっと早くにしてあげればよかったのかもな。
まあ、これからそうしてやればいいだけか。
♢
ミューの音楽に雑音が混じるようになったあの夜以来、ミューは段々と曲を流さないようになった。
といっても曲を流さないだけで相変わらず歌ってはいるが。
だが……。何かがおかしくなっていた。
「おーいミュー。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
俺が呼びかけてもミューはぼーっとどこかを見つめたままか、まるで聞こえていないように歌い続ける。
そんなことが増えていった。
遅れて反応はするが、まるで寝ていたところを起こされた感じの反応を示す。
その違和感は、さすがのミューでも気づいていた。
「ミュー。お前最近……」
「はい。分かっています。分かって……います」
俺達は廃墟の中をただ無言で歩く。
「……足立さん」
「なんだ」
ミューは何も言わない。
俺は返事を待ってる間に、何かの機械の腕を踏んでしまった。
「……ごめんなさい」
ミューはまた無言になる。
そしてしばらくして、思い出したかのように謝った。
それを何度も何度もミューは繰り返す。
「もういい。謝るな」
「だって……私……」
ミューの声が震えていた。
気持ちは痛いほどわかる。
こうなっていく日がいずれ来るだろうとは覚悟していた。
でも……。
「あだちさん……」
ミューは大声で泣き始めた。
声があたりにこだまする。まるで周りの建物も同じように泣いてるみたいに。
今までミューが落ち込んだり悲しんだりする姿を見たことは何度もあった。
でも今回は……。
俺は荷物を置いて、泣きじゃくるミューをただ抱きしめた。
それしかできなかった。
俺にはどうすることもできない。
辛さ、寂しさ、恐怖。
俺の心がそういったものでかき乱されていく。
だが今のミューはきっと、それ以上に心がぐちゃぐちゃになっていってるのだろう。
ノイズの混じった音楽のように。
♢
ミューが泣いたあの日が一番、ミューが感情を見せた日だった。
あの日を境にミューはさらにおかしくなっていった。
反応が遅れる。歌う回数が減っていく。笑顔の数が減っていく。
それでもミューは、いつも通りに振る舞おうとしていた。
それでも泣いてしまう時が何度も何度もあった。
ある日俺が夜中にふと目を覚ました時なんか、俺を起こさないように声を殺して泣いていた。
きっと声をあげて泣きたかったに違いない。
それでもそばを離れたくないって気持ちがミューにはあったのだろう。
手をギュッと握っていたから。
そんな日々が過ぎていく。
そしてある日。
俺がいつものようにミューと話をしていて、何となく冗談を言ってみた。
「もうー。あだちさんったら~」
俺はその時、何となくミューの方を振り向き、目を疑った。
「? どうしたんですか? 足立さん」
ミューは一切笑っていなかった。
前ほどではないが、いつもなら頬を少し緩ませてくれたりしていた。
そのはずなのに。
それさえしていなかった。
つけ放すかのような無表情。
「ミュー、お前。……笑ってないぞ」
俺は立ち止まって荷物を起き、ミューと向き合う。
するとミューは表情一つ変えずにボロボロと目から涙をこぼしだした。
「あだちさん。おもしろいと思ったんですよ? ほんとうですよ? 心からそう思ったんですよ?」
何も言ってほしくなかった。
だがミューは、吐き出すように言葉を続ける。
「でも笑うことができないんです。それだけじゃありません。歌えないんです……。歌うことが……わからなくなっているんです……。できないことが……増えていってるんです……」
震えた声。
その声と同じくらい震える手でミューは俺に体を寄せた。
体が冷たかった。
「でもどうして……。どうしてでしょうか……。どうして……なみだはとまらないのでしょうか……」
その日、ミューから笑顔が消えた。
その次の日も、そのまた次の日も。どれだけ経っても、ミューが俺に笑顔をみせることはなかった。
それでも俺はどうすることもできない。
ただ一緒にいることしかできなかった。
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