雪
息を吸うたび体に呼吸するのが嫌になりそうな冷たく乾いた空気が体の中を流れていく。
喉の乾燥を防ごうとつばを飲み、俺はふと上を見た。
空はどんよりとした灰色の雲に覆われ、太陽らしき白くぼんやりした丸が頭上くらいにある。
見慣れた灰色の景色はいつもより暗く見える。
どうも気分が乗らない、晴れていればまだマシなんだろう。
いやどうだろうな。そもそも気分が乗る日なんてどんな日だ?
「はあー……」
ため息が勝手に漏れる。
それに鼻がムズムズしてきた。
俺は大げさすぎるくらい大きなくしゃみをしてしまった。
気が滅入るほど冷たい空気は銃声のような俺のくしゃみをえらく遠くまで響かせる。
まるで俺があちこちにいるみたいに、そして一斉にくしゃみをしたみたいに。
続けて俺のくしゃみに驚いたミューの声も同じくらいに響いていく。
「大丈夫ですか?」
「ああすまん。別に問題はないんだが、やっぱこうも寒いとな」
「そうですね。今日はずいぶんと寒いですからね」
背中から小さな振動が伝わる。
ミューは寒さで少し震えているようだ。
そもそも、ミューも寒いって思うんだな。
「寒いのか?」
「もちろんですよ。どうしてそんな不思議そうなんです?」
「だってミューはアンドロイドだろ? なのに寒いって感覚があるのかって」
「今さらって感じの疑問ですね」
正直、質問したことで初めて意識したくらいだ。
その程度の事だし、知ったところで何の足しになるのか。
「まあ、そうですよね。それに足立さんがそう思うのは当然だと思います。だって普通、アンドロイドに感覚や感情なんて必要ありませんから。私達はただの道具にすぎません。ですが私の場合、コミュニケーションを目的としたアンドロイドですので」
「そうだけどよ、なんで寒いとかそういうのが必要――」
鼻がムズムズし、つい大きなくしゃみをしてしまった。
それも一回ではなく何回も。
そしてようやく収まったかと思うと今度はミューが俺のと違って小さなくしゃみを何度もした。
くしゃみってあくびみたいにうつるものだったか?
「あのー足立さん。ちょっと提案があるんですけど」
「なんだ?」
「よければ私を抱っこしてくれませんか?」
「は? なんで?」
「抱き合えばきっとあったかくなると思うんです! 肌と肌を密着させればお互いの体温が伝わって、そう思いませんか?」
まあ確かに寒さを少しでも和らげることができるならありがたい。
俺はものは試しとミューを背中から降ろし、そっと抱き上げる。
「えへへ~。どうです足立さん?」
「……」
気の抜けたミューの声と一緒に暖かさが伝わる。
いいかもしれないが、ちょっと問題がある。
ミューの体重は軽くこうしている分には問題ないが、背中に背負ってる時と違って俺自身の腕やら頭の動きがぎこちなくなる。
それにミューがそわそわ動くと背中に背負ってる時と違って一々俺も動いてしまう。そのせいで鬱陶しいし、くわえて視界の端でちらちら頭が映るから気が散ってしまう。
現に今も、俺の胸にミューは顔をうずめているが吹いてくる冷たい風がミューの髪をなびかせ、毛先が俺の顎や首にかかってしまう。
「……やっぱ背中に戻す」
「ええ?! そんなー、ひどいですよー! こんなにあったかいのにあんまりです!!」
「だが動きにくい」
「それは足立さんが慣れてないだけですって! しばらくこのままでお願いします! きっと慣れますから!」
ミューがジタバタしながら力いっぱい俺を抱きしめてきた。
首の後ろ辺りが痛い。
骨がきしむ音が聞こえてきそうだ。こいつこんなに力があったのか。
「……分かった。じゃあとりあえず今日は冷えるしこのままでいい。だから力を落とせ、痛くて仕方ない」
「本当ですか?! えへへ、ありがとうございます!」
ミューはふにゃりとした笑顔を見せると俺の肩に顔を乗せた。
緊張感の無いやつだ。
……って、抱っこしておいて緊張感が云々ってのも変な話だな。
♢
それからしばらくして、太陽らしきぼんやりとした白い丸がやや傾きだした頃。
「あ……雪」
ミューが耳元で囁くと、俺の腕に白い粒のようなものが付いた。
キラキラとした小さな粒だ。
しかも一つだけでなく雨のように、でも勢いよくってわけでもなくゆっくり、ひらひらと。
どうやら空から降ってるらしく、上を見ると似たような粒がたくさん降っていた
「雪っていうのか。初めて見たな」
「そうなんですか? でもどうです? 綺麗じゃないですか?」
「……埃みたいだな」
ミューは「えぇ……」と引いたような声を漏らす。
そんなにひどいこと言ったか?
「足立さん、それはちょっと……」
「なんでだ? 思ったことを素直に言っただけなんだが」
「でもでも、白い華とかもっと言い方というものがあると思うんです。それに雪ってロマンチックなものなんですよ?」
「これが?」
よーく見れば分かるんだろう、そう思い俺は立ち止まって雪の降る景色を眺める。
巨大な廃墟に、壊れた機械に、動物の死体に。雪は毛布をかぶせるように落ちていく。
それは俺達も同じ。服の袖にも、ミューの頭にも、雪は舞い落ちる。
俺はふと服に付いた雪を見てあることに気が付いた。
雪が結晶みたいなものだってことだ。
ついジッと見ていたがふとした拍子で息がかかると雪は結晶から水へと変わる。
俺はもう一度目の前に広がる雪景色を眺めた。
「……なんだろうな」
静かな空気に俺の声がぼんやりと消えていく。
「ミューは雪をロマンチックなものって言ってたが俺は違うと思う。こう、言葉にするのは難しいんだが……。気分が沈むというか、無性に悲しくなるというか。でも嫌ってわけじゃない。……何なんだろうな」
ミューの方へ目をやるとミューは遠くを見るように空を見上げていた。
どういう気持ちで今見ているのか見当がつかない。
「感傷的ですね」
「感傷的?」
「説明するのは難しいですけど、今、足立さんが感じているのはきっとそういう気持ちだと思います。でも、それもまた雪を楽しむ一つの方法です」
「楽しむ? 明るい気持ちじゃないのに?」
「はい。明るければいいというわけではありません。大事なのは心が動かされているかどうかです」
するとミューは俺に視線を合わせてきた。
水のように青い目にぼんやりした俺の顔が浮かび上がっている。
「足立さん。さっきの話、覚えていますか」
「さっきの話?」
「私に感覚があるという話です」
「ああ、あれか。コミュニケーションのためにってんだろ? でもちょっと分からないことがある。別に言葉さえ通じれば会話はできる。それなのになぜ感覚が必要なんだ? 寒いとか暑いとか、そういうのって正直、不便じゃねえか?」
「機能だけならばそうでしょう。でも、理解するには必要なんです」
どういうことだ?
俺が考えを巡らせているとミューは顔をそっと近づけてきて、頬を俺の頬に当てた。
ミューの柔らかさと少し肩がビクッと反応しそうな肌の冷たさがじんわりと伝わる。
だがその冷たさは、雪の結晶が溶けるように無くなっていく。
「私の感覚が分かりますか?」
「……ああ。冷たかったが今はあったかい」
「私もです。もし私がただの金属なら、冷たいまま何も思わないでしょう」
ミューは穏やかな口調で言うと、しばらく何も言わなかった。
俺もミューを抱きしめたまま、ぼんやりと景色を眺める。
さっきまで寒かったはずなのに、それさえ忘れていく。
「……よく分からん。でも、何かが伝わったような気がする」
「そう思っていただけたら私は嬉しいです」
ミューが嬉しそうにしていたが、ふと視界の端で何かが動いたような気がして俺はそっちに目をやった。
そこには獲物となる動物がいた。
同時に動物も俺達に気づき向きを変えて走り出し、俺の腹の虫は「追え!!」と言わんばかりに大きな音を鳴らす。
「このッ! 逃がすか!」
空腹に突き動かされた俺はいつものように銃を! と思ったが、ミューを抱っこしていたせいでいつもより準備に手間取ってしまう。
そのせいか、ようやく構えた頃には獲物はどこかへと走り去っていた。
グウゥ~……と腹の虫がもう一度虚しい音を鳴る。
「……やっぱ背中に――」
「ええええ?! そんなー! せっかくいい雰囲気でしたのにー」
「雰囲気で腹は満たされないだろ」
「もう!! 食べることばっかり!!」
「でも飢え死にしたらダメだろ」
「うう……。そうなんですけど……! そうなんですけど!!」
その後、ミューをいつものように背中に戻すまで一苦労だった。
でもまあ、たまにくらいなら抱っこしてやってもいいだろう。
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