ミューの長い夜の一幕
廃墟の中にある部屋の窓から満月が差し込む真夜中頃。
ふと目が覚めた俺は窓辺に何か気配を感じ薄目のままそっちを見る。するとミューが窓に寄せるように置かれたボロボロのテーブルの上に座っていた。
何か思いふけるように月を見つめたままヘッドホンから悲しげなピアノの音色を流し、表情は遠くを見ているようにぼんやりとしている。
こんなミューは初めてで声をかけるか迷った。とりあえずもう少しこのまま見ておこう。
そう思った矢先――
ギィ……
古ぼけたベッドの上で寝てたせいか少しの寝返りで音がしてしまう。
まずい! 俺は慌てて目を閉じる。その直前に不思議そうに俺の方へ振り返るミューの姿が見えた。
ふう……あぶねえ……。いや、ばれても問題はないんだが。
それから数分後、また似たようなピアノの音が聞こえてきて俺はもう一度目を開く。
さっきと変わらずミューは月を見ている。
その姿が言いようがないくらい綺麗で寂しげだ。
窓から入り込む月の光と肌寒いそよ風のせい? 埃と瓦礫だらけのこの部屋のせい?
そうだろうしそれだけじゃない。ミューの月を見る姿が普段と違うように思えるからか?
どう表していいのか分からない。
けどこのままずっとこいつの姿を見ていられる。そんな気がしてならない。
変な話だ。あんなにワーワーうるさいのにな。今のこの状態の方がいいと俺は思ってるのか?
……それはそれで味気ないな。ん? 何で俺はそう思うんだ? まあいいか。
「う~ん……」
急にミューがうなり、同時にピアノの音がピタリと止まる。
するとミューは体をゆらゆらと揺らしたり腕組みをしたりし始める。
なんだ? 何やってんだ? 何かにとりつかれているようでちょっと怖いな……。
そう思ってるとミューは目を閉じてまたピアノを流し始めた。
そして数分後、急にピタリと音を止めてうなりだす。
もしかして毎晩こんなことをしているのか? そう思うと寒気がしてきた。
「う~ん……。やっぱり難しいですねー……」
何がだ? 無茶苦茶気になるが声をかける勇気が出ない。
俺はもう少し様子を見ることにした。罪悪感もあったがそれ以上にこいつが何をしてるのかが気になって仕方ない。
好奇心が勝つとはこういうことか。
ミューの行動原理もこれと似たようなものかもしれない。
いやどうだろうな。あいつの場合、好奇心旺盛なだけで罪悪感があるのかどうか。
「……私は、足立さんのことをどう思ってるのでしょうか?」
え?
「好き。……なのは当然ですよね。じゃあそれは? 恋? 違います。愛? そうですけどそうじゃないような……。愛だけど愛と表現するのは違う。じゃあ何? 一緒にいたい? もちろんそうです。でもそれは私が人を満足させるために作られたことによって出てくる想いが原因? 造られた思い?」
おいおい、よく分かんねえけど大丈夫か? 普段あんなにのんきなのにそんなに思い悩んでたのか??
どうする? 起きて何か言うべきか? いやでも今の俺に何が言える?
気にすんな? そう深く考えるな? こんなの気休め程度だよなあ……。
「……そうかもしれません。でもそうじゃないと思います。じゃあこれは一体何なのでしょうか?」
ミューはしばらく天井を見上げたまま動かなくなる。
かと思うと急に大きなため息をついてテーブルの上にゴロンと寝転んだ。
「私は何を考えてるんでしょう」
それはこっちのセリフだ。
「はあ~……歌を作るのはこんなにも難しいのですね」
ようやくミューの不可解な行動に納得できた俺は思わず「あ~」と間抜けな声を一瞬出してしまう。
「ん?」
ミューがこっちをバッと振り向いたが間一髪のところで俺は声を出すのを止めた。
あぶねえ……。心臓がバクバクうるさい。
なんでミューに対してこんなにも緊張しなきゃいけないんだ。調子が狂うな。
「まさか……。ふふ、そんなわけありませんよね。そばでうっかり銃を誤射した時も起きなかったような人ですから」
なんだと?! こいつ俺の寝てる間にそんなことしてたのか??!
こんど問い詰めてみるか? あーでもそんなことしたら「何で知ってるんですか?」って聞かれるか。
はあ……にしても、よく俺はこの世界で生きてられるな。
ミューのことを散々のんきだとか言っておきながらぐっすり眠ってる俺の方がよっぽどだろうよ。
「とにかくもう少し考えてみますか。夜は長いんですから」
そう言いながらミューは両手を上にしてう~んと体をのばす。
その時ミューの服が上にあがり、腹の部分がはっきりと見えた。
月明かりに照らされたミューの白い肌と腹がいつもよりずっと綺麗に見える。
そしてミューが突然、電池が切れたようにピタリと止まったことで、俺はハッと我に返り慌てて目を閉じる。
「……夜は長い。……夜は長い」
何度もぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。
ああよかった……。ばれてないようだ。
って、別に何か悪い事をしたか?
いやしてないな。だがこのことを知られたらいじられるのが目に見えてる。
……鬱陶しそうだな。今後は気をつけよう。
「長い夜……寂しい……孤独……寒い……」
俺は懲りずにまた薄目でミューを見る。
「でも、あなたがいるから乗り越えられる」
一瞬、ミューと目が合った気がした。
だがそれは気のせいらしくミューは俺から目を離しゆっくりと月を見上げる。
満月がハッとした表情をしているミューを照らす。
そしてミューは何かを問いかけるようにぼそぼそと呟き、ピアノを流し始めた。
今度は優しい音色だった。
静かな夜なのに陽だまりに包まれているような、そんな優しい音。
ミューは音にあわせて体をゆったりと揺らしている。
さっきみたいな不気味さは全くない。どんな歌を作るか知らないがきっとうまくいきそうなんだろう。
これ以上盗み見るのは失礼だ。俺は寝返りをうって目を閉じた。
なぜだか目元が温かい。この調子じゃ、またミューに叩き起こされそうだ。
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