宇宙人ピアノ


 見渡す限りにある色の失った廃墟、いつも通り。

 廃墟から顔を覗かせる行くあてのない野生動物、いつも通り。

 背中にのしかかる荷物とミューの重さ、いつも通り。


 今日もいつも通り。この世界は何もなければ退屈だ。

 それはありがたいことなのかもしれない。

 ミューの話によると人類の大半は忙しさに身を削っていたか、貧困にあえいで死んでいったらしい。

 こんな世界よりもずっと便利な世界。だが楽しむという余裕すら失った世界。


 ミューの見てきたことだから実際は違うのかもしれない。

 それでも過去は――


「足立さん、調子でも悪いのですか?」


「いや、別に。……つかそれはこっちのセリフだ。今日はどうした? 調子でも悪いのか?」


 今日のミューは珍しく音楽も流さず黙り込んでいる。

 それに時々感傷に浸っているように小さくため息をついたりして。

 らしくない、ミューがこうだと俺も余計な事を考えてしまって気が散ってしまう。


「いえ、たまには自然の音を聞くのもいいと思いましてね。ほら、聞こえませんか?」


 耳をすます。聞こえてくるのは風の音、どこかで何かが崩れる音。

 動物の鳴き声。そしてミューの息遣い。


「? 別に何も」


 ミューががっかりしている。見なくても十分分かる。

 仕方ないだろ、感じ方は人それぞれなんだから。


「あ、雨」


 雨? 晴れているのに――


 ピチャリ。


 顔をあげた俺の鼻先に小さな雨粒が当たった。

 しばらく空を見上げたまま立ち止まる。五秒、十秒。


 ピチャリ。


 今度は額。それもまた小さい。

 青空が広がっているのに不思議なものだ。


「これは狐の嫁入りといいまし、ってええ??!!」


 俺はビクッ! と反応してしまう。ミューが大声を出すのはそう珍しいことじゃない。

 だからってこういきなり出されたら誰だって驚く。


「なんだいきなり? そんなにきつねのなんたらってのが珍しいのか?」


「い、いえ! 違います!」


「はあ? じゃあ何なんだ?」


「あ、足立さん。銃が……銃が……」


 銃? 何のことか分からないしとりあえず状況を確かめるためにミューと荷物を降ろす。

 そして俺はミューほどでもないが声を出して驚いた。

 ミューが抱えていたはずの銃がどこにもない。


「落とした? いやそんなはずはないよな」


「当たり前ですよ!」


「じゃあなんで無いんだ?」


「分かりません。空を見てたんですけど、ふと手元を見たらいつの間にか無くなってて……」


 全く意味が分からないがミューもそうなんだろう。

 とりあえず辺りをキョロキョロと見渡してみる。

 ここは開けた場所のど真ん中。遮るものなんて何もない。もし落としているならすぐ見つかるはず――


「……は?」


「どうかしまし――」


 俺の見ている方をミューは見て同じように驚く。

 俺達の目の前にいつの間にか置かれた謎の物体。ミューはそれを『ピアノ』と呼んだ。


「なんでこんなところにピアノが?」


 不気味なものだ。さっきまでこんなものはなかった。

 それにこんな大きなものがあったらとっくに気づいているはずだ。

 つまりいきなり現れた? 銃が消えた事といい、一体何が起きてる?


「ちょっと見てみたいので近づいてください」


 ビクビクしてたって事態は進展しない、ここはおとなしくミューに従おう。

 ミューは椅子に座るとそっと手でピアノをなで、ふたをあける。

 中にはつやつやの白と黒の長方形が並んでいた。鍵盤というらしい。


「新品みたいに綺麗ですね……。まさか今こんなものを見るとは思いませんでした」


 ミューはそう言うと鍵盤を押してみる。

 ボーン……と音が流れる。それだけだ。それ以外何もないし何も起きない。


 その時、雨粒が頭に当たり俺は空を見上げた。相変わらずの青空だ。

 そして視線を降ろすと、俺達から数十歩ほど離れた右側に不格好な服を着た人間らしきものが立っていた。


「誰だお前?!!」


 声をあげるとミューは驚き人間らしきものを見た。

 だが人間らしきものは微動だにせず手に透明な傘を持ったままこっちを見ている。

 パッと見顔は分からない。何かヘルメットのような被り物をしているからだ。


 だが目を凝らして見ると人間に似た別の生物であることが分かった。

 俺と比べて額と二つの目が異様に大きい。

 とくに目は顔の半分ほどもあるのかと思えるほど大きく、そして奇妙なほど黒く、雲一つない星空のようにキラキラしていた。


「ミュー、あれが何か分かるか?」


「いいえ……。あんなの見たことがありません。それにデータにも存在しません。もしかしたら……宇宙人」


「宇宙人?? それってなんだ? 危険な奴か?」


「違う星から来た別のです。危険かどうかは……分かりません」


 ようは何も分からないってことか。

 にしてもこの宇宙人とやらはなぜ傘を持ったまま動かないんだ?

 それによく見ると傘で頭を守っていない、どころかまるで俺達に受け取れと言ってるように差し出している。


「受け取れってことですかね?」


「……ミュー、ここにいろよ」


 ミューが心配して声をかけるが、俺は宇宙人に近づき傘を受け取った。

 その時、宇宙人の手が俺のものよりも、いやミューよりも小さく、そしてプルプルと震えていたことに気がついた。

 一体何なんだこいつは? 目的が分からない。俺が傘を受け取ってミューのもとに戻ってもこっちを見たまま一歩も動こうとしない。


「あいつは何がしたいんだ? 何が目的なんだ?」


 数分経っても変わらない。宇宙人は無言のまま動かない。


「……もしかしたら、ピアノを弾いてほしいのかも」


「ピアノを?」


「勘ですけどね。でも宇宙人もこのピアノも同じ場所に突然現れました。だからもしかして、と思って」


 そんなことが? そう聞こうとしたがあの宇宙人がこの星の存在でない以上ありえるかもしれない。

 しかし分からない。なぜそんなことをわざわざ?


「とりあえず弾いてみますね」


 ミューが鍵盤に手をかける。その時、頭に数滴の雨が落ちた。

 俺はふと手に持った傘に気づき、それをミューが濡れないようにさす。

 ミューは俺の方を見て「ありがとうございます」と微笑み、そして演奏を始めた。


 ミューの細く白い指が鍵盤の上を踊るように動き、それに合わせて明るく、透明なピアノの音色が流れていく。

 ゆったりとした音色は時間さえ忘れてしまうようなものだ。

 それをミューは体全体を、無い足さえも揺らし、目を閉じたまま紡ぎ続ける。


 きっと今、声をかけても気づかないだろう。

 それだけ夢中になっている。


 あれだけ不安そうにしていたのに今はその不安を一切感じさせない。

 ミューにとって音楽はそれほど大事なもので、失ってはいけないものなのだろう。


 そして最後の音を出し終えるとミューはしばらく鍵盤を名残惜しそうに押したまま動かなくなった。

 どうしたのかと声をかけようとするとミューは満面の笑みを浮かべながら俺の方を見た。


「どうでした?」


「よかったよ」


「もう~もっと他に言うことは無いんですか?」


「そう言われてもな……。なんだろうな、心がスッキリしたというか……。ああ分からん、まあそんな感じだ。また聞きたいくらいだ」


 ミューは「えへへ~」と調子よく笑っている。

 まったく調子のいいやつ――


「……花?」


「花?」


 俺は鍵盤の上にある黄色い小さな花を指した。

 ミューがそれを手に取り不思議そうに眺めていたが、ふとあの宇宙人のことを思い出し俺はあいつがいた場所を確認する。

 そこに宇宙人の姿は無く、あいつのいた場所には無くなったはずの銃がポツリと残されていた。

 あいつが銃を? いやそうとしか思えない。


 俺は異常がないか銃を確かめる。


「うわわわ!!!!」


 ドシン!!!!


 後ろを見るとミューが花を持ったまま地面に倒れていた。


「おい大丈夫か?!」


「いたた……。あ、はい! 大丈夫です! でもいきなりピアノが消えて」


 たしかにピアノが無くなっている。それに手に持ってた傘もない。


「何だったんだ?」


 首をかしげるミューをよそにとりあえず荷物を整理する。

 それを終えてミューを背負おうとしたがミューはボーッと空を見上げたままだ。


「ピアノが聞きたいなんて、ロマンチックな宇宙人でしたね」


「…………」


 わざわざこんなことするなんてな。宇宙人も案外、暇なのかもしれない。

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